[ そ み ]


 
思うことがある。ずっと気にかかっていることが。仁と居る限り、絶対に離れることのない悩みが。
 他人からの、誹謗中傷。
 誰も俺たちの関係を知らない。ただふざけているだけだというくらいの認識しかしていない。
 でもいつか、この関係がばれたらどうなるんだろう。
 そのときには別れるしかない気がするし、でもあいつは余裕たっぷりで、誰が何と言おうと構わないさ、と言ってのける気もする。あるいはまた逆に、僕はいいがお前が傷つくのは耐えられない、だから終わりにしよう、と言い出す気もする。それとも無理矢理、物理的に引き離されるだろうか。
 ――ていうか、そもそも、仁は俺のことを何者だと思っているんだろう。それすら分からない。

 仁の与えてくれる安心感に勝るものを俺は知らない。
 彼と一緒に居ることで見える色々な風景も、物事も、教えてくれるこの時代のことも、自分に記憶されていく。共に生きているという気がする、そう思えることより大切なことなんか、知らない。

 けど本当は――仁が誰を愛しているつもりでいるのかすら分からない、のに、そんなのはまやかしなんだろうか。
 周りには真実を知られてはならないこの間柄も。男同士でセックスしている、だなんて……、普通に考えてみれば気色悪い、理解できると言っている人間だって本当にそれを理解しているかどうか……、当人である俺ですら、他の男と、なんて考えただけで寒気がする。それをまさか百合子さんや亜伊子や学校のやつらに、知られるわけにはいかない。
 考えただけで怖い。
 絶対に知られてはならない――ということは、イコール、絶対に許されない。俺と仁は。

 でももう、止めるなんて無理だ。どうしよう。
 あいつが手を伸ばしてくればそれを拒めない。俺のほうがそれを、望んでいるから。

 今だけなら大丈夫、
 ばれなければ大丈夫、
 誰にも言わなければ、
 誰にも見られなければ――。

 仁に触られるともう、他のことなんかすぐにどうだってよくなる。
 鍵あいてるかも、と、ちらっと思っても、それを確かめに行くなんて無粋はできない。したくもない。
 いつかこの、甘い考えが――快楽に流されるこの癖が、命取りになるんだろうか。

 怖いな。危険を孕んでいる関係だ。
 と、思うと、余計ぞくぞくするけど。

 関係、ないよな、俺たちには、周囲のことなんて。
 いいんだよな、そうやって誤魔化しつづけることしか、道は無いんだよな?
 仁はどう思ってんだろ――。










 僕を受け入れるとき、みつは本当に苦しそうな顔をする。何度も咳き込んで、涙を流す。それが苦痛なのか、快感なのか、僕には分からない。逆の立場にならない限り、分からないだろうと思う。
 彼は絶対に、目を合わさない。顔だけを横にそむける、だから僕はいつもその、筋の浮き出した首を舐めてしまう。舐めると大抵、汗の、すこし潮っぽい味がする。そしてその味が舌に染みこむたびに、僕はみつの苦しみを知らずに、自らの熱を上げていた。
 自分の真下に彼の体が横たわっていて、肌と肌が密着していて、そんな状態で考え事なんかできるわけがない。
「みつ……」
 名前を呼ぶと、ん、と声を漏らす。それが可愛い。
 今、こいつの頭の中も、からだの中も、僕でいっぱいだ――、それを感じると、みつの中で自分の熱がまた膨張するのが分かる。これ以上は、きついな……。
「い、た……っ」
 言葉といっしょに、ぽろぽろと涙を流す。
「じん、もぉ、無理」
 みたいだな。僕としてはもう少し、時間を延ばしたかったんだが。まぁもう一度やってもいいし――。
 みつのそれを包んでいた手をいったん離し、指先だけを使って、少し爪がひっかかるくらいに、指の腹に力を込めて撫でた。手を離されたときは、一瞬、え、という顔をしたが、すぐに今まで以上に与えられる快感に――とはいっても、やっていること自体は大したことじゃない、余程限界が近いのだろう――、シーツにその横顔を強くすりつけて耐えている。その唇の端に、みつの涙が少し溜まっている。
「じゃあ、一度、出すか」
 い、ち、ど?と、彼の唇がかすかに動き、そこに溜まっていた涙が口のなかへ入っていくのが見えた。反射的に口を閉じたのか、ん、と、眉をさらに寄せて目をぎゅっと閉じる、僕はそんな彼の様子を見ながら、追い立てる指をかたくし、さらに力を込め、どんどんと動きを速くしていく。先端から溢れる先走りが、僕の指にも絡みつく、みつ自身も濡れすぎで、手元が狂わないように攻め立てるのは厄介だ。
「まじ、で、もーだめ……」
 こんなときに、そんな色気のない言葉を使うなよな――、一定のリズムで締めつけてくる光也の動きに、思考も熱も全て持っていかれる。はぁっ、と、自分の吐いた息が、頭蓋骨に大きく響いた。どっ、どっ、と、心臓の打ちつける音も、妙に大きく聴こえる、その激しいような緩慢なようなよく掴めないリズムが、僕たちの動きと重なって、脳が揺れるような、眩暈を起こすような感じがし、かるく頭を振った、つもりが、僕もみつと同じように、顔を横にそむけただけになった。
 からだのすべてが、自分の意識で動かせないくらいに、どうかなっている。
 下半身の熱の大きさすらもう、分からない。そこは自分のようで自分でない気がする。べとべとになっているそこが、ゆっくりと収縮する、冷静な眼でそこを見下ろす……、えぐい、えぐい画だ、その視覚映像にまた、脳がやられる。僕らはこんなことをして快楽を得ている!信じられない――。
「じん……っ、は、やく」
 必死になって少し裏返ったような、すすり泣きのような彼の声がする。はやくいって、と聞こえる。みつ、お前絶対に、僕と一緒でなきゃ達しないよな……ある種の、才能だぜ、それは。だから可愛すぎるんだよ、お前は。
 わかった、と囁いて――それは自分でも驚くくらい、熱に浮かされた声だった――、彼のそれを、ぎゅ、と握った。んんーっ、と、くぐもった喘ぎ声がする。シーツに口を押しつけてこらえている。そうだなぁ、家族に気づかれるものな。でも、僕としては、聴きたい。ベッドについていた左手を、無理な体勢になったが、彼の頬とシーツの間に差し込む。ぐっと力をこめて、上を向かせると、涙で濡れそぼった睫を開く。目が合った。
「やだ……、み、るな」
 と、言いながらみつは視線を外さない。言ってることとやってることが違うぜ、お前――見つめあいながら達するってのもいいものだと思うがな。実はそう思っているんだろう、だから僕の目を見つめているんだろ。
 予想以上に長引いた、僕ですら腰に鈍い痛みを感じる、これが大きくなってくると興ざめだ、最後の追い上げに取り掛かる。
 何度か、痛くなりすぎないように、腰ごとぐいっと動かして、光也の内部で暴れる。あぁっ、と、短い悲鳴のようなものをあげる。それ以上ボリュームを上げるなよ――、と、思いながらも、腰と同時に彼を扱く手に力をいれた。
 もうだめだ――、光也は光也で、僕の快感の波を性格に把握して収縮を繰り返す、なんだこの相性。
「あああぁっ……!」
 彼が達して、彼の腰を持ち上げて繋がっていた僕の腹に、あたたかいものが飛び散った、それが肌に密着するのと同時に、くっ、と、喉の奥から息を吐いて、光也のなかに、同じものを吐き出した。
 頭に色とりどりの映像が流れ込んでくるような、強烈な快感が――下半身から全身を貫いて、体内すべてを、何か美しい透明な液体がなでていく、そしてそこから、甘い切ない感触が、染み込んで来る――、目を閉じてそれを味わっていると、んくっ、と、鼻から息が抜けた。
 息を整えながら目を開くと、ことんと意識を途切れさせて、口を薄く開いたまま目を閉じているみつの顔があった。






「うーん、結局2度目は無理だったか……」
 独り言をいいながら、達してすぐに寝入ってしまった彼の、しっとりと湿った額に指を置く。とはいっても僕も、一度でとりあえず満足してしまうなんざ、健康な男子とはいえないな。一晩で三度くらいが限界か――この件については研究の余地がありそうだ。
 と、不埒な考えをめぐらせていると、ふ、と、息を吐く音がした。上半身を起こして、みつを見る。こいつ寝ながら興奮しているのか、と思ったが、そうじゃないらしい。窓の横のカーテンを開ける。思いのほか明るい月光が入り込み、彼の顔を真横から照らした。……ひたいに、うっすら、汗が滲んでいるのが、きらきらと光って見える。
「みつ?」
 思わず名前を声に出しながら、また彼の額に手を置いた。熱い。異常な熱さだ、なぜさっきは気づかなかった……、僕の手も熱かったのか、それにしてもこの短時間でこの熱は、おかしいぞ。
 医師を、と、思い、ベッドを降りて、そこで踏みとどまった。駄目だ――呼べない!
 みつも僕も裸で、衣類はソファに掛けてあるから着込めば大丈夫だが……、それにしても、体を拭かなくてはならないし、精液の処理もある、第一なぜ僕がここにいる、ということになる。この夜中だ――家族は全員、起きてくる。不味い。僕が一人で湯や布を用意するのなど、それだけでも不審だ、いやしかし、みつのためだったといえば誤魔化せるか?
 ――こんなふうに表れてくるのか、という思いだ。
 性別、身分、社会。僕らの関係が孕んでいる様々の問題が。
 愛しているという気持ちがありさえすれば、それで良いと思っていた。いつまで続けられるか分からないと分かっていても、それでも、今だけでも愛したいと思った。けれども……。
 熱を出している彼を前にして、医師すらすぐに呼んでやれない。
 自分はいい、医師に男色家かと蔑まれようとも、何も気にしない。が、こいつがそういう目で見られるわけにはいかない。家族にばれるのも殊更、不味い。
 傍らに立ち尽くし、思考をめぐらせている間にも、彼の息は苦しさを増す。これが只の熱でなく、心臓発作や何か、命に関わるものであったら――、と思い、衝撃を受けた。
 僕の勝手な気持ちが、結果的にはこいつを殺すかもしれない……。
 首を振る。とりあえずは湯と布、新しいシーツだ。体を拭き、シーツを取り替える必要がどうしてもある。精液も掻き出さなければならない……、もう乾いて困難だろうか。解熱剤をそこから入れるようなことになれば、終わりだ。
 一時間はかかるな、と、暗い気持ちになる。


 ごめんな、と思う。
 僕ほど、こいつに何もしてやれない立場の人間というのも、他に居ないのかもしれない。
 僕ほど、こいつを傷つける人間も――。










 やがて診察が終わり――解熱には注射が使われた、それにほっとした自分がいやらしく思えた――、部屋にはクイーンと僕が残された。
「原因が分からないと仰っていたわね。変な熱だって」
「……あぁ」
 僕だとは言えない。ただみつの顔に視線を落としていると、そばでクイーンがこちらを見つめている気配がした。
「……鬱血が見えたわ」
 思わず反応して、クイーンの方を見る。目が動揺しているかもしれない……、しまった。
「あなたなの」
 鋭い声で問われる。蔑むようでもなく責めるようでもない声に、かえって緊張が増した。
「嘘がつけないのね。あなたって本当に、そうね。どうでもいい人間のことではいくらでも嘘をつくのに、肝心なところでは駄目なのね」
 内部ではどう思っているのかさっぱり読み取れない、笑みすら含んだ声で言う。僕としたことが、頭がうまく回転もせずに言葉が出せない。
「私はね、あなたがこの子を好きだというのを、冗談だと思っていたわけではないわ。けれども、こうして現場を見るというのは、また違った印象を持つものね――、正直言って、いやだわ」
 自分が立っている感覚すら失くす……、ソファに座っているクイーンは、僕をまっすぐと見据えて言う。
「いやだわ、とっても、ぞっとするわ。熱が出ているのだって、あなたの所為なんでしょう。そのくらい分かるわ……」
 声が震え、どうしたのかと思えば、みつとよく似た漆黒の目から、涙がしずかに伝った。驚く。驚いてさらに、僕は、みつだけでなく、他の人間まで傷つけている、苦しめている、と気づく。――耐え難い。
「あなたたちの気持ちが大切だとは思うわ、でも、そんなの、綺麗ごとね、私にはもう、そんなふうにはとても言えない……、みつ君には、まっとうに、幸せになってもらいたいのよ……」
 ハンカチで目元を押さえながら立ち上がった彼女が、僕の真横に歩いてきて、言った。
「別れてほしいわ。私は、味方にはとても、なれないわ」
 行くわね、という声が、膨張したように聞こえた。パタン、と扉の閉まる音も。
 足の感覚が、無い。がく、と膝が折れて、座り込んだ。


 ――なんなんだ、僕は。










 じくじくと、からだのしたの方から、周りを侵すような熱が広がっていく感じがした。からだの内側が、黒くなっていくようなイメージが見えて、それが喉もとまで来たとき、息が苦しくなった。
 なんの病気なんだろうと思った。ただの風邪なんかじゃなさそうな、ちくちくと内臓の壁をひっかくような熱だ。
 重くなった頭で、仁かな、と思った。
 今までも腹が痛くなったりはした。たぶんそれと同じことなんだろう、この発熱も。
 そう思うとたまらなく悲しくなった。
 普通はされない用途に使われたからだが、彼を拒否している……、俺は受け入れているのに、からだの方が。女だったらよかったのにと思った。今までそんなこと思ったことも無かったのに……女になってあいつに愛されたいわけでもないのに……単純に、俺が女だったら、すべてうまくいったんだと思えた、それが悲しい――。
 泣きたいのに、熱が酷くて、水分が蒸発してしまったみたいだ。目はせいぜい潤む程度で、頬に水の伝う感触は無い。
 熱に犯されたからだが痛む。全身に力が入らず、ぐったりしているより他ない。まぶたすら開けない。
 仁の気配すら分からない。


 ――このまま死んだりして。
 でもいーや、あいつの所為で殺されるんなら……、……。


 全身を刺すような痛みと熱が襲ってくる。
 それで俺は、もう何も考えられなくなった。










 みつは二晩、寝続けている。僕は二晩、彼の横に居る。
 時折、彼がまぶたを震わせるたびに、目をあけるかと立ち上がった。が、何度か繰り返して、それは苦しさの激しいときなんだと気づいた。
 こいつは僕のせいでこんな目に遭っている――、それが信じられない。お互いの気持ちがあっても、周囲はおろか、当のみつの体すら拒否している……。
「顔色が悪いわね」
 気づくとクイーンが横に立っていた。気がつかなかったの、と言われる。返事をせずに、僕はみつのベッドに上半身を預け、体を折ったまま椅子に座った状態で、クイーンの顔を見上げた。
「あなたの顔色のことよ。疲れてるでしょう」
 自分の部屋で休みなさいよ、と促される。
「いやだ。僕は、ここに居る。僕の所為なんだ、全て――」
「そうね」
 さっきまで僕の体調を心配していたのは表向きなんだと思わされるくらいの、涼しい顔で肯定される。クイーンは、僕よりさらに、”いい性格”をしている――用心しなければならないのはこういう性質の人間だ。
「でもあなたが居ても居なくても、みつ君の体調は変わらないわ」
 ずしっと胃が落ち込んだ気がした。
「意地悪だな」
「意地悪じゃないわ。事実を言っているだけよ」
 この女――、やっぱり僕より相当いい性格だ。
「この際だから言っておくが、僕は、本気でこいつを好きなんだ」
 体勢を変えないまま、声をきつくして言うと、クイーンがいやな顔をして、目だけでこちらを見る。
「知ってるわ。でも私だってみつ君を好きよ」
 その言葉にからだを起こす。
「どういう意味だ……」
「ばかね。弟として愛しているという意味よ」
「僕だって……愛してるんだ、こいつを。みつじゃなきゃ駄目なんだ……」
 俯いて言うと、はぁ、とため息が降ってきた。
「愛してる愛してるっていうのは構わないけれど、みつ君のことを想っているのはあなただけじゃないわ。それだけ覚えててくれればいいの」
 あとのことは二人にしかできない話だから、二人で決めればいいわ。
「なんなんだよ」
 聞こえた言葉に頬が緩む。
「何が?」
「やめさせたいのか励ましてるのか、分からないぜ?」
 笑ってしまう。そのままその顔で彼女を見つめて言うと、また、いやな顔をされた。
「あなたって本当にいい性格してるわ。何度も言うけれど、私は事実を言っているだけなの」
「ふぅん?」
「にやにやしないで」
 ぴしっと真顔で言われるが、もちろん効き目は無い。
 うぅーん、悪いけど、僕の勝ちだな。
「次にこの子を泣かせたら、容赦はしないわ」
「みつに対する愛情ほど多くはなくとも、僕に対しても少なからず、クイーンの気持ちがあることは知ってるさ」
 だから周囲にばらすなんてこと、どうせ出来ないんだろう。
「……もう行くわ」
 いいねぇ、その、悔しそうな顔、を、隠そうとする冷静なふりした顔。
「安心してくれ。僕にはこいつが一番だからな」
 扉の前でクイーンは少し振り返り、いかれてるわね、と一言いって出て行った。






 ――もう無理はさせないさ。
 物言わぬ、みつの頬にさわる。
 お前の苦しみも、悩みも、僕は少し、知れた気がしているんだ。僕だけが元気でいて、こんなことを思うのもおかしな話だが。
 お前が何を思ってるか、分かったよ。多分。お前のからだの苦しみも、分かりたいよ。
 
 痛いな。
 様々な痛みが――、僕ら二人にはあって、幸せと表裏一体になったそれは、こんなふうに突然表れるんだな。
 悲しい。
 悲しいが、そんなことでお前を失うわけにもいかないみたいなんだよ、僕は。
 お前ばかりを苦しませておいて、随分勝手なのは分かっていても。

 慶光と光也のことも、お前が帰りたい場所のことも、僕らが男同士だということも、この関係が長くは続かないということも、今こうしてお前が目の前にいれば、そんなこと全部、掻き消えてしまう。
 お前もそう感じてくれていればいいんだけどな。
 そうすれば、いたみもかなしみも、相殺にできるじゃないか、二人で。


 だから、早く起きてくれよ。
 謝りはしないさ。
 だけどその代わりに、僕のすべてをお前に差し出したい。


 兎にも角にも、早くお前に確認をして、キスをしたい。
 今この瞬間、互いの肌に自分が爪を立てられることこそが唯一の真実だという、誓いを立てたい。
 その他には、何も要らないという誓いを――。



ありがとうございました!