フレイはバスルームで沈んでいた。比喩的意味でも、直接的意味でも沈んでいた。
ぶくぶくと若干お行儀悪く泡の息を吐いて、ようやく顔を上げた。そのまま悲壮な声で呟く。
「泣きたい……」
今日も今日とてお風呂のお供にきたトリィは、フレイの悩みなど知らぬげに無邪気にさえずっている。
そして、今のフレイにとって機械であるトリィは敵なのだ。たとえ裸の付き合いをしていても。
「楽しそうで羨ましいわ」
などと、八つ当たりに近い言葉だって出てきてしまう。
「私って、機械オンチだったのかしら」
パソコンをマスターすると決意したのに、しょっぱなから思いっきり躓いた。
買ってしまえばどうにかなるだろうと思っていたのが甘かった。
わからない。なにもかもわからない。なにがわからないのかもわからない。
なんとかつけることと消すこと、キーボードを超ロースピードで打つことは出来るようになったが、そこから先の道がまったく見えなかった。
フレイは爪の短くなった両手の指先を眺めた。
自分が情けなく、同時にキラを少し尊敬した。でもキラには訊けない。
勉強用にと本を買ってみたものの、開いてみれば専門用語のオンパレード。……数ページめくって潔く諦めた。
となると、残された選択肢は――――
「最終手段に出るしかないかしら……」
バスルームの壁に反響する声にも力は無く、お湯が揺れる音のほうが大きいかと錯覚してしまうほどで、自分がいかに凹んでいるか思い知る。
最終手段、そう、『アスランに習うこと』だが、どうしてもためらってしまう。
落ち込んだ気持ちのまま立ち上がり、身体を流してからドアを閉めた。
ガッ、という音がした。
「……!」
慌てて振り返ると、ドアの隙間にトリィが挟まっていた。
ぼんやりしていたせいでこのペットの存在をうっかり忘れていた。
「あぁっ! ごめんね、トリィ!」
すぐに我に返って、フレイはトリィを助け出して手に乗せた。
どこか壊れていないか、欠けたりしていないかあわあわしながら確認する。
見たところ破損はない。
ごめんね、ごめんなさい、と繰り返しながら、どうやら破損は免れたようだと未だ裸の胸をなでおろした。
トリィ、と自分の無事を訴えるように鳴く鳥がなんだか可愛くて、お詫びの意味を込めてキスを贈った。


その、次の日。
せっかくケーキを持って訪ねたのに、キラはなぜか微妙に拗ねていた。
まあ気にしなくてもいいか(ひどい)と、フレイは紅茶を入れるためにキッチンに立つ。
お湯を沸かして、カップを温めて。準備をしていると、
「フレイ、苺のほうだよね」
ちゃっかりケーキの箱を覗いていたらしいキラが言う。
「お皿取って」
「うん」
ケーキ皿とフォークを出すためにこちらに来たキラに、フレイは声をかけた。
「機嫌直った?」
「なんのこと?」
そらとぼけるキラの肩に、今日はトリィがいない。
昨日は大丈夫だと思ったけれど、ひょっとしてやっぱり壊れたのかしら。
だとしたら自分のせいで、心配になって訊いてみる。
「ねえ、トリ」
「そういえばフレイ、最近僕にマニキュア塗ってって頼まなくなったよね」
「え?」
「ほら、以前はさ、塗りにくい右手とか僕が塗ってたじゃない?」
「あ……そ……そうね」
なんでもないふうを装いながら、内心フレイはぎくりとしていた。
実はキーボードが打ち難くて短く切ったのだ。だがもちろんそんな本当のことは言えない。
キラの指がフレイの指に絡んで、親指の腹で丸い爪の先を撫でてくる。
「ほら、あの、短くしたから……ネイルチップを使ってるの」
「なんで切っちゃったの? 綺麗に伸ばしてたのに」
キラの追求に、フレイは会心の笑みを浮かべた。きゅ、とつないだ指にわずかに力を込める。
フレイは女優だった。
「あなたの背中に傷をつけたら悪いと思って」
――――これは効いた。
キラは目を瞠って、それから完全に機嫌を直したようだった。
可哀相なトリィが、主人の理不尽な嫉妬のせいで籠に閉じ込められるという目に合っていたことを、フレイは知らない。



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