せっかく僕の部屋に来てくれたというのに、いとしの彼女は彼氏である僕をそっちのけで、部屋に入るなり教科書の並べてある棚にまっしぐら。
地理の教科書を選び出すと、なぜか熱心にめくっている。
フレイは僕の一つ下のまだ一年で、一年の社会科は世界史と日本史で、地理の選択は二年から。
でも地理の教科書がいったいなんだっていうんだ？
置いてけぼりの僕は、仕方ないので横でお茶の仕度をする。
カップをテーブルに載せていると、ようやくフレイが話しかけてきた。

「キラ、ツンデレって何？」
「…………」

えーっと。
今のは空耳だろうか聞き間違いだろうか。
こういうときどう答えたらいいかなんて、僕のマニュアルにはない事態だ。
「……どうして？」
ああお茶が恋しい。僕は乾きつつある喉から声を出して言った。
フレイは教科書をぱたんと閉じると、むくれた表情を作った。
「ラクスがね、『フレイさんはツンデレですわね』って」
僕はせっかく淹れたお茶をひっくり返すところだった。
ラクス、君はなんてことをフレイに教えてるのさ。
深窓の令嬢という形容がぴったりの美少女の顔を僕は思い浮かべて脱力した。
「……それで？」
「それで、『今流行りなんだそうですわ、ツンデレというのは』って言うのよ。でも私はよくわかんなくて」
そうだね。普通の人は知らないよ。
僕はラクスが知ってたことも驚きなんだけど、彼女はときとして妙な知識があったりするからまあ納得。
「気候のことかと思ったの。冷たい女って意味かしらって」
「それはツンドラだよ」
僕がつっこむと、フレイは頷いた。
「そうよね、違うなって思って、だから確認してたのよ」
「ああ、それで地理の……」
地理の教科書の『世界の気候』でも調べてたんだろう。
そしてフレイは、確認し終わった教科書を本棚に戻して振り向いた。
「ねえ、ツンデレって何？」
「その……ツンデレっていうのは……」
フレイの追及に、答えあぐねて僕の目は泳いだ。
勿論僕はツンデレのなんたるかを知っているし、ラクスが言ったとおりフレイはどちらかというとツンデレタイプだとも思う。
思うけれども、それをそのままフレイに伝えていいかどうかは別問題だ。
「ごめん、僕も知らないんだ」
検討の結果、僕は逃げることにした。
三十六系逃げるに如かず、昔の人は上手いこと言うよね。
フレイは両手を腰にやって、当てが外れたように唇を尖らせた。
「なによぉ、役に立たないんだからっ」
「ごめん」
その通りなので素直に謝る。
「ラクスは笑ってるだけで教えてくれなかったし……」
脳裏にラクスの穏やかな、言い換えると裏がありそうな微笑が浮かんだ。
妖精のような彼女は、はぐらかすのがものすごく上手い。
フレイもきっとそんな感じで誤魔化されてしまったのだろう。
口元にカップを運んでフレイは舌をちろりと出した。
「温い」
「あ、ごめん。フレイ猫舌だからあんまり熱くない方がいいかと思って……淹れなおそうか？」
「べ……別に、そこまでするほどじゃないわ。いいわよ、これで」
そう言いながらもう一口飲む、そのお嬢様然とした仕草に僕は見とれていた。
「キラが知らないんじゃみんな知らないわね。キラならわかると思ったのに」
がっかりした様子のフレイに心の中で謝りつつ、僕は温いお茶をすすった。



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