出かけていいと言われたのでステラは出かけた。
言われたからステラは出かける。言われなければ出かけない。
そうしたいと思ったからではなくて、そうしてもいいと言われたから、だから出かける。
自分では何をしていいのかわからないから、人がしていいと言ったとおりのことをするの。
けれどそうして出かけた街には綺麗なものがたくさんあって、ステラは嬉しくなる。
やっぱりあの人の言うとおりにして良かったと思う。あの人は正しく、迷子のステラを導いてくれる。
ステラはふわふわしていて、世界のことも自分のことも知らないから。ステラのなかにはなにひとつたしかなことなんてないの。
人がたくさん通り過ぎていく。たくさんの人とすれ違う。みんな知らない人たち。彼らもステラのことを知らない。ステラはステラのことも知らない。
世の中には知らないことが多すぎる。それとも知らないのはステラだけなのだろうか。他のみんなはちゃんと全部を知っているのだろうか。けれどそれも、確かめるすべはない。訊いても答えてくれないだろう。答えてくれたとしても理解できないだろう。だって、ステラは知らないから。あまりにも知らなすぎるから。
そのまま綺麗なものの中を歩いていく。ガラスの向こうにあるものは、綺麗で、可愛い。見ているとどきどきする。不思議な気持ち。
あの人に似ている。あの人のことを考えるときになる気持ちに似ている。
これが好きって気持ちなんだろうと思う。たぶん。やっぱりよくわからないけれど。
だとするとステラはあの人が好き。そして綺麗で可愛いものが好きだ。
好きなものを見るのは楽しい。だからステラは今楽しいし、嬉しいのだ。そして嬉しいから笑う。
笑った目の端に子どもが映った。車のブレーキ音。
一瞬でステラはたくさんのことを考えた、回路がショートしそう。データが詰まりすぎている。あ、あああ。
子どもは道路に飛び出して。バカな子ども。そこへ車がきて、だって車は道路を走るものだ。ちっともおかしくない。おかしいのは子どものほう。
鉄の塊と生身の人間がぶつかったら、壊れるのは人間。あの子はわたしとちがう。わたしじゃない。普通の身体だ。普通の人間の身体だ。わたしは普通と違う。わたしは平気、あの子は死ぬ、死ぬ、死ぬの――――。
死ぬの、ステラ。
ステラは恐慌状態に陥り、周りの景色がぐるぐる回った。強烈な眩暈に立っていられない。身体がよろける。
誰かが子どもを横抱きにして車を避けたのが見えた。人間には到底ありえないスピードで。
けれどステラにはもうそんなことは関係なくなっていた。
あの子どもが助かろうとも。死は次の標的を狙っているのかもしれない。そしてそれはステラかもしれない。
死という言葉ががっちりと心臓に食い込んでステラを離さないのだ。
全身から汗が噴出し、ステラは目を覆おうとした。そして叫んだ。
「いやぁぁぁっ!!」
その、叫び声に。
彼は車にぶつかっていないはずなのに、まるで実はあごだけ車にはじかれてでもいたような勢いで、子どもを助けた少年が顔を上げた。
「――――ィっ!!」
そして誰かの名前を呼んだ。パニックの最中のステラには聴こえなかったけれど。
「だいじょぶ、大丈夫よ……生きてる、ちゃんと生きてる、ステラ、わたし……」
ステラは肩を抱いてうずくまろうとした。それを少年が邪魔をした。もちろん知らない少年だ。知るはずもない。ステラは知らない。
彼はステラの帽子を剥ぎ取った。ステラの髪の毛がふわりと解放される。金色の髪。
初対面の女の子の帽子をいきなり乱暴に奪うなんて、ステラは涙を浮かべたままこのぶしつけな少年を見た。
彼は――――ステラはひとが失望する瞬間を生まれて初めて(といっても確かではないが)こんなにもはっきりと見た。
彼は、彼の目にはステラから帽子を取り上げた乱暴さはもはや失せ、今は不思議な色に変わっていた。
彼は言った。
「ごめん。……大丈夫?」
ステラは彼の声を聴いた瞬間に本当に大丈夫になっていたので驚いた。どうしてだろう。
「怖かったの」
「あの子は無事だよ」
そういうことを言っているのではないのだ。
ステラは首を振った。振り終ると、少年はステラの頭にそっと帽子をかぶせた。
「死ぬのが怖い……」
「どうして」
「死ぬのが……怖くない人間は……いないでしょ……?」
人はみんな死ぬから死ぬのが怖い。でも死は平等ではない。生も平等ではない。
人は最初から最後まで区別され差別され選別され、……ステラはそうやって生まれた造られた肉だ。そしてそうやって死んでいくのだろう。
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