地球温暖化の叫ばれる昨今。異常気象と言われてはいるけれど、この季節、なんだかんだいってちゃんと雨は降る。
つまりは梅雨到来ってワケです。
湿気は楽器にとって大敵、それだけじゃなく、かくいう私だって、雨の中通学するのは靴も濡れるし結構憂鬱で。
でも、今年の6月はいつもと少し違ってた。
春、二年生になりたての頃、開催された学内音楽コンクール。
何の因果か(まあ妖精が見えてしまったとか言うおそろしくありえないことのせいなんだけれどね)参加するハメになってしまったそのコンクールで、私は同じく参加者の一人であらせられました、柚木梓馬、という美形の皮をかぶった魔王様と出会い、そして何故か気に入られ、おまけに何故か私も彼に恐れ多くも恋心などというものを抱いてしまい、そこから色々あって晴れて恋人同士になったのですが。
その、一応彼氏である柚木先輩は、登下校が黒塗りのお車なのです。
で、一応彼女である私は、何か特別な事情(例えば急用が出来たとか)のときを除き、一緒に登下校をする――つまりは徒歩じゃなく、車で。
私の家は学院から結構近くて(なんせ歩いて通ってたくらい)、それこそ車だと数分しかかからないのだけれど、その数分ですら、一緒にいられることを嬉しいと思ってしまうのだから、実は私は意外と彼のことが大好きらしい。
恐ろしく綺麗で、計算高くて、強くて、悪魔で、そのくせとても繊細で脆くて、すごく魅力的な人。
恋をした私の欲目なのかもしれないけど、こんな人を、好きにならない方がどうかしてる。
私はそっと、長い髪をかきあげる彼の横顔を見る。
いつまでたっても、柚木先輩が私の隣にいることに慣れなくて、どきどきしてしまう。
じっと見ていると、こっちを向いた目と目が合った。

「……なに?」
「なんでもないです」

見とれてたなんていうのは、流石に照れる。
先輩は、そう?と言って、案外あっさり引き下がった。
雨粒がフロントガラスを叩いている。水滴が線を引き、後ろに流れては散っていく。
雨の日の車は、泥をはねてスカートの裾を汚すこともなく、とても快適だ。
でも。ちょっと、その快適さを、素直に喜べない気持ちもあって。
柚木先輩は、先輩で、音楽科で、学年も校舎も違って、だから一日の中で一緒にいられる時間は限られる。
寂しいと思ってしまうのは、分不相応な私のわがままなんでしょうか。
ほら、もう正門前。
歩いている生徒たちが、色とりどりの傘の花を咲かせながら校舎に向かっていた。
私は傘に当たる雨の音を想像する。
ゆっくりとお上品に車が止まる。
先輩が鞄から黒い折り畳み傘を取り出したけれど、私は自分の持っていた傘を、先輩の手に押し付けた。

「香穂子?」

怪訝な顔をする彼の手のひらに、傘を握らせる。
先輩、気付きませんでした?
この傘、綺麗な紺色で、大きくて、いつも使ってる私のパステル調の傘とは全然違うの。
それから、一度も使ったことがない新品で、玄関から車に乗り込む間も差してなかったんですよ。
私はなるべく可愛い笑顔を作った。

「お誕生日おめでとうございます」

先輩の目がまばたきをした。

「このタイミングでプレゼントを貰うとは、予想外だったよ」
「そうですか?」
「しかも傘とはね……」
「う、いらなかったですか」
「いや、他ならぬお前から貰ったものだ、嬉しいよ。ただ、お前のことだから放課後まで待たせるだろうと……そうしたら堂々と俺から欲しいものを催促してやろうと思っていたのに、残念だ」

その『先輩から催促されるだろうモノ』が何か大体わかってる私は、だからそんな事態にならないように先手を打ったんだけど、まさか本当のことは言えない。

「で、どうして傘なのかな」

先輩のお顔はすごおく楽しそう。私は、やっぱりちょっと照れる。

「ええと、普段先輩があんまり傘を使わない生活なのはわかってるんですけど、だから、単なる私のわがままというか……」
「うん?」
「車で送っていただくのはとてもありがたいんですが、でも、もうちょっと一緒にいたいなって思って。正味五分の通学時間は、短いです」
「だから傘?」
「だから傘です」

先輩はその傘で、私は自分の傘で、ときどきでいいから、歩いて一緒に学院に行きたい。
私はピンクになってるだろう頬をごまかしたくて、わざと済まして言う。

「可愛い恋心だと思ってください」

先輩は明るく笑った。それから、自分の折り畳みを鞄の中にしまった。


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