こうも上手くいくとは。 柚木は聴こえてくるヴァイオリンの調べに耳を傾けた。心地のいい調べ。 もはや柚木のものとなった音は、彼をひどく満足させた。 香穂子は、気づいていないだろう。全てが仕組まれていたことを。 柚木によって計算された行動を、そのまま取らされていたことを。 ――♪―――――――――――――♪―――――――――――――♪―― 金澤が香穂子の想いを知っていたのは、当然だ。なにせ、想いを寄せられている本人なのだから。 しかし柚木は違う。 柚木は香穂子に教えてあげたではないか。「見ていればわかる」と。 それはすなわち、柚木が彼女を見ていたということなのに! いっそ大声で笑い出したくなって、こみあげてくるそれをそっと微笑むだけに抑えた。 あのタイミングで香穂子の背を押せば、あっけなく空から落ちるだろうことも。 落ちてきた香穂子を、金澤が受け止められるほど近づいてはいないだろうことも。 受け止められなかった香穂子が傷つくだろうことも。 全て、わかっていた。 そしていまや、彼女は柚木のものだ。 柚木の微笑が深くなる。それに陶然となる女生徒は、今この場にはいない。 柚木の目の前にいるのは、金澤だけだ。 「ああ――日野さんのヴァイオリンですね」 しらじらしくそう言ってのけると、音楽教師からはああ……と気のない声が返ってくる。 おかしくてたまらない。 ねえ、金澤先生? 僕は知っているんですよ。 なんでもないふりをしているあなたが、実は内心、ひどく傷ついていることを。 彼女を失ってしまったことを、とてもつらく感じていることも。 手をとらなかったくせに、その手が他の男のものになったと気づいて、激しい嫉妬にかられていることも。 柚木は笑う。隠し切れなかった金澤のどろりとした感情が、一瞬だけその面に浮かんだ。 おそらく彼は、柚木のことが憎いだろう。 金澤は香穂子を欲しがっていたのだから。 そう、そして柚木にはわかる。 もう少し待っていれば、香穂子は自分から金澤のところへ堕ちてきただろうに。少女は苦もなく金澤のものになっただろうに。 だが、柚木は待ってなどやらなかった。欲しいものは自ら奪うものだ。 残念でしたね? 先生。 香穂子の音が甘くなる。 押し殺した声で、金澤はばさりと紙を差し出した。 「ほれ、お前さんの言ってた楽譜だ」 「ありがとうございます」 にこやかに受け取る柚木は、完璧な優等生の顔をしているだろう。それが金澤の目にどう映るかは知らないが。 フォーレの楽譜。子守歌と、幻想曲。第3セレクションで香穂子が弾いた「夢のあとに」と同じ作曲者の楽譜。 本当は、わざわざ音楽準備室で探すまでもなく、柚木はこの楽譜を持っていた。 自分とこの音楽教師を勝者と敗者に分けたものは、単にタイミングだ。 ただそれだけだが、しかしそれが全てだ。 柚木は一礼し、自分に向かう音の源へと扉を開けた。 Fin. ――♪―――――――――――――♪―――――――――――――♪―― BACK |
おつきあいいただきありがとうございました。
しかしお前は本当に柚木ファンなのかと。そしてごめんよ金やん。