どうやら砂月は、俺の耳を齧るのが好きらしい。かぷかぷかぷかぷ、お前はクラムボンか、ってくらい、現れるたびに俺の耳を噛む。
「だーっもう、やめろつってんだろ、いってえんだよ!」
「痛いだけじゃねえくせに」
「ううううるせえ!」
いい加減にしろと抗議しても、砂月はにやにや笑うだけだ。……ムカつく。
「そもそも、なんでそんなに俺の耳なんて噛むんだよ?」
「あ? 知らねえのか? お前の耳、甘いんだよ」
「はあ?」
んなわけあるか。甘いものを食べた後の唇ならともかく、耳たぶが甘いなんて聞いたこともない。
「いや、本当だ。どうしてだろうな」
真面目な顔で言っているが、わざとらしい。絶対嘘だ。俺は騙されねえぞ。そう思うが、自分の耳じゃ自分で齧ることはできないから、確かめるのは無理だった。
「って、砂月が言うんだよ。どう思う? ありえないよな、耳が甘いなんて。フレンチトーストの耳でもあるまいし」
Sクラスでこの話をすると、レンとトキヤは顔を見合わせた。それからレンは髪をかきあげてふっと笑い、
「いやいやおチビちゃん、俺も甘い耳を持ってるレディに出会ったことあるぜ?」
「えっ!?」
「彼女の髪からはいい匂いがしてたなぁ。どこもかしこも柔らかくて、引き寄せられるように耳に口づけたら、甘かったから驚いたよ」
な、なんかいきなり大人の話!?
「だから、シノミーの言うことも、あながちないとは言えないんじゃないかな。おチビの耳は本当に甘いのかもよ」
「そ、そうなのか?」
そう言われると、どうなんだろう。俺は他人の耳なんか味見したことないけど、知らないだけで実は耳って甘いこともあるのかな?
トキヤに意見を求めると、
「いえ、私も誰かの耳を齧った経験はないので……」
「よしわかった。俺が確かめてあげようか、おチビちゃん」
「え、い、いいよ」
「遠慮しなくていいって。ほかならぬおチビのためだしね」
「俺のためじゃなくて面白がってるだけだろ!」
「イッチー」
「了解しました」
「は?」
レンが指を鳴らすと、後ろに回ったトキヤにがしりと羽交い締めにされた。う、動けねえ!
「やめろっ、バカ、いい、いいって!」
「さあて、おチビの耳はどんな味なのかな……?」
けだもの! けだものがいる! 舌舐めずりしながらゆっくりとレンの顔が迫ってくる。
「トキヤはなせ、トキヤ、おいこら、レン、嘘だろ、マジ、マジやめて! ひっ……」
うぎゃああああ、と俺は全開の悲鳴を響き渡らせた。
その夜。風呂から出てきた那月は、砂月になっていた。
ふっ、だがしかし今夜の俺は一味違うぜ! なんたって砂月対策を立ててきたんだからな!
「……おいチビ、なんの真似だ」
顔の前にキャラメルを突きつけられた砂月が、眉を跳ねあげる。
「お前が好きな甘いものだ。甘いものを噛んだり舐めたりしたいんなら、これを食べろっ」
「はぁ?」
「だから、俺の耳、本当に甘かったんだろ? 信じなくて悪かった。初めはそんなバカなことあるかって思ってたんだけどさ、レンもトキヤも俺の耳は甘いって言うし」
「……ちょっと待て」
ダンッ、と砂月が壁に手をつき、俺は壁と砂月の間に挟まれ、閉じ込められる。大きな身体に遮られて逃げられない。見下ろしてくる砂月の目がこええ。あれ、俺、なんか間違えた……?
「他の野郎に確かめさせたのか」
「ていうか、確かめられた」
『本当に甘いよおチビ』『マジで!?』『マジマジ。イッチーもどう? 味見してみなって』『えっ私はいいですよ、だいいち今そこに口付けたらあなたと間接キスになってしまうじゃないですか、そんなの御免です』『んじゃこっち側。幸い耳って二つあるしね』――――とか、そんな感じで。
「ほぉう……?」
だからこええって。なんでそんなに威圧感バリバリなんだよ!?
砂月の顔が寄せられて、耳を齧られる――――と思ったらフェイントで、首を噛まれた。
「んぎゃっ。な、なにすんだよ!」
「お仕置きがいるみたいだからな」
「はっ!?」
「全身舐めつくしてやろうか……?」
なんで? さすがに全身が甘いわけじゃないだろ?
誰か、答えがわかるなら教えてくれ。
……今、何時だろ。あれからどのくらいたったんだろう。
「っ、あ……う」
どうしてこんなことをされてるんだろう。どうしてこんなことされなきゃならないんだろう。
「っき、」
砂月は何を怒ってたんだ? わけわかんね……。
「……ちび」
うなじに唇が当たる。ぞわ、と首の後ろが粟立つような感覚。
ぼんやりとしかものが考えられない。今の自分が現実じゃないみたいだ。
「ひぁ……っ」
でもこれは、俺の声だよな。
ふわふわと気持ちがよくて、でも、めちゃめちゃ恥ずかしい。顔が熱くて、脳みそ溶けてんじゃないか、これ。
いとも簡単にひっくり返されたり、足を持ち上げられたり、砂月ときたら好き放題だ。俺の顔を見て、笑う。
「泣き顔、すげえいい。……もっと泣けよ」
砂月の声がすごく熱くて、湿っているを通り越して濡れている。
つうか、そこは普通、泣くなって言うとこじゃないのか。わけわかんなくなってる俺は、こらえきれなくてぼろぼろ泣いてしまう。全然そんな気ないのに砂月の言うとおりにしてるみたいでむかつく。
「ううーっ」
これじゃむずかってる赤んぼみたいだ。みっともない、恥ずかしい、恥ずかしい。どうにかなる。
上の重みを押しのけたいのに、腕どころか全身に力が入らない。
砂月にベッドに引っ張り込まれたのは風呂に入ってからだったからそんなに汚くはないのが救いだが、だからって身体をべろべろ舐められるなんてすごく恥ずかしい。嫌だ。やめて欲しい。嫌だって百回は言ったと思う。やめてくれ、も多分同じくらい言った。でも全然終わらないんだ。一向にやめてもらえる気配はない。うまく言えてないからそのせいかもしれない。ちっとも嫌そうに聞こえないのもよくない。
それでまた気持ちよくなって、端から溶け崩れてぐずぐずになっちまう。砂月が舌を這わすたび、俺の身体は楽器にでもなったみたいに震えて、音を出した。こいつ器用だし、楽器弾くのうまいし。
「あ……あぁ」
本気で全身舐めつくされたんじゃないかと思う。多分、本当に。だってもうずっと舐められている。信じられないような隅々までを、だ。
最初は中途半端にまくりあげられたり脱がされてたのが、風呂上がりで簡素な服装だったってこともあるんだろうがいつのまにか全部剥ぎ取られていた。見えるとこで砂月の舌が触れてないところはもうないんじゃないだろうか。こんなに舐められたら、俺、溶けてなくなるよ。もうほんと、こいつ何がしたいの? でっかいちとせ飴を思い出したが、当然ながら俺は飴じゃないし。俺なんかひたすら舐めてどうするんだよ。何が楽しいんだ。試しに途中でこっそり自分の腕を舐めてみたけど、ちょっとしょっぱい汗の味しかしなかったぞ。
ベッドの隅っこにキャラメルの箱がむなしく転がっている。あーあ、せっかく用意したのに。砂月がいらないんなら、あとで食っちまうかんな。
「いつ……っ」
噛まれた。砂月の口は舐めるほかに噛んだり吸ったりしてときどき痛い。砂月はそのあと満足そうに笑って眺めて、それからまた唇を寄せる。
「俺のことだけ、考えてろ」
言われるまでもなく考えてるよ。お前のことばっかだよ。でも一生懸命別のこと考えて気を逸らすようにしないと、すぐお前のことで胸ん中いっぱいになって溢れて、流されて、溺れそうになるから仕方ないだろ。
「――――翔」
ぞくぞくぞく、背中を震えが駆け抜けて、でも寒いんじゃなくて、そう、甘い。甘いんだ。あれ、じゃあ、甘いから舐めるっていうのは、正しいのかもしれない……? 駄目だ、俺いま頭バカになってる。俺の感じてる甘さと、砂月の感じてる甘さはきっと違うだろ。
「さ、つき……」
「……なんだ?」
だったら、砂月の舌、甘くなってるんだろうか。
そこに移っているであろう味を衝動的に確かめてみたくなって、俺はほとんど何も考えずに、砂月の口を食んでいた。
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