この部屋には色がない。
白い壁。白い床。白い扉。白い家具。身体を覆う白い服。鉄格子のはまった窓から見える月も病的なまでに白い。
目に入るもの全て、織姫自身に至るまで白で統一されており、それ以外の一切を排除する。
身も心も藍染に捧げ、他の雑多な感情を抱くことを許さぬかのように。
つまりこれらを用意させた藍染にとって、あるいはこれらを与えられた織姫にとって、部屋は牢であり、服は拘束具なのだった。
織姫は己の肩を抱いた。
虚圏――――ウェコムンド、は、寂しい。寂しいところだ。寂しく、哀しく、痛ましいところだ。
空気は冷えて乾き、世界には夜と砂が満ち、色を失った空虚が広がる。なにもない、という事実だけがある。
そんな世界の中でいやおうなしに襲い掛かってくる孤独は、織姫の神経を磨耗させ、弱音を吐かせようとした。
けれど、恋しいと願う想いをなんとかして封じ込めなければ、きっと気が狂う。
だから口にしない。
その代わりに、ただ、窓の外を見上げる。
現世に置いてきた大切なものを守り抜きたくて、織姫はここに来ることを決めた。
それがこんな甘えた感情で乱れるようでは、なんのための決意か。やり遂げなければ意味を失う。
黒崎くん、たつきちゃん、茶渡くん、石田くん、朽木さん、乱菊さんや冬獅郎くんや――――みんなみんな。
逢いたいと叫ぶ心に蓋をするのは、なんて難しいのだろう。
痛いと泣く悲鳴を無視するのは、なんて難しいのだろう!
それだけでへとへとに疲弊する精神と肉体を、日々綱渡りのように保って、織姫は暮らしていた。
ただ息をし食事をし、部屋で考える置物になるだけ。
虚圏には本当に物が皆無で、特にこれといったするべきことも今の織姫には与えられていないから、ぼんやりと考えることしかできなくて、ことさらゆっくりと時間が流れていく気がする。
そうして流されるままに、無為の、白い時間を過ごしていると、思考や、自分の存在までもが、その圧倒的な白に塗りつぶされそうになる。
……だってここには色がない。
ふ、とこぼれた微かなため息一つでさえ、やたらと大きく響くのだった。
黒崎くんの、太陽みたいな、あの綺麗なオレンジの髪が見たいなぁ。
しかしいくら望んでも、窓から見える空は夜で、太陽が覗くことはないのだ。
織姫が空から視線を落とし、俯いたところで、己の呼吸音以外の音がした。
コツ、コツ、と硬質な足音は、乱れることのない機械のようなリズムで織姫の部屋の前まで来ると、扉を開けて入ってきた。
「食事だ」
簡潔なセリフとともに、彼はこうして日に三度、織姫の部屋を訪れるのだった。
白い装束を纏った、白い肌、白い仮面の青年。
織姫はいつだって表情の変わらないウルキオラの顔に今日もまたなんの感情も浮かんでいないのを認め、小さく息を吐いた。
そのまま視線を彼の瞳に据える。
そこだけが、この白い世界の中で唯一、はっきりとした色を所有していた。深く底の見えない、けれど美しい翠。
織姫はウルキオラの目を見つめ続けた。
「何を見ている」
まさか話しかけられると思っていなかった織姫は内心驚きながらも、言葉を発せられるときに開いた彼の口の内側の赤さに、なぜか胸打たれていた。
「あなたの色、を」
ウルキオラの表情は変わらなかったが、くだらん、と思ったらしいことが織姫にはわかった。
別に理解して欲しくて答えたわけではないけれども、説明かあるいは言い訳をするように、織姫は言葉を続けた。
「色がなくて、白ばかりを見てると、あたしも真っ白になっちゃいそうで……」
染められ、自分を見失いそうで怖かった。
このままこの場所に同化してしまうのではないかと怯え、心の奥でかの人の色を求めた。
「馬鹿馬鹿しい」
織姫の吐露した本心を、ウルキオラは斬って捨てた。わずかにまた、赤い色が覗く。
「白とは色ではないのか。お前の足元、白の影に生まれる黒は、色ではないと?」
織姫は瞠目した。
「それは――――」
透明ではないもの、視界を染めるものを色と呼ぶなら、確かに白も黒も色なのかもしれないが。
足元に目をやる。そこから伸びる影の黒色。
そういえば、と思い出す。戦う彼の着ている服は黒だった。
彼を思い出すと胸にさす暖かい光の糸に、織姫は薄く微笑んだ。
ウルキオラは無表情を崩さず口を開いた。
「俺には、お前の髪や瞳に宿っているものも、色に見えるがな」
平坦な、なんの温度も感じられない声だった。
おそらくウルキオラにとってみれば、事実を告げただけなのだろう。
だがウルキオラの言葉は織姫の中の光の糸の数を増やし、織姫の睫を震わせた。
「くだらん」
今度ははっきりと口に出された。
ウルキオラはすっと踵を返し、一度も振り返ることなく出て行った。
その背を見送り、やがて織姫は自分の長い髪を一房とり、指先に絡めた。


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(2007.02.15)