賢介は自分のデスクに座りながら、正面の壁にある時計にふと目をやった。
 今頃、東海林がプレゼンを行っているのだろう。
 ハケン弁当の企画の説明を、営業部の代表として、会社のお偉方の前で、さも自分たちの手柄であるかのように――――賢介はゆるく首を振った。
 仕方ない。それが彼ら勝ち組の仕事なのだ。
 東海林だって友人を蹴落とさなければいけない罪悪感に苦しんでいたじゃないか。
 その気持ちだけで十分だ、と東海林が聞いたならまた「お人よしだ」と怒りだしそうなことを考えて、賢介はパソコンを立ち上げた。さて、自分は自分の仕事をしよう。
「春子せんぱい!」
 マーケティング課のスペースに、美雪の明るい声が響く。
 そしてもはやお決まりのように、春子のそっけない声が続いた。
「なに」
 美雪の声は女の子らしくて可愛い。
 けれども賢介は美雪ではなく、冷たい印象すら与えるはずの春子の声にばかり、耳を澄ませてしまうのだ。
「今朝のお弁当のことなんですけど。先輩、すごい上手に魚さばいてて……まあ、マグロがさばける先輩なら、サバなんか簡単なんでしょうけど……それで」
「それで?」
「あたし、魚さばけないんですよね。切り身しか触ったことなくて……今度さばきかた教えてもらえません? ダメ、ですか?」
 こんな風におねだりをされたら、大半の男は普通、なんとかしてやりたいと思うだろう。
 だがあいにく賢介の知る大前春子は男性でも、そして普通でもなかった。
「ダメ」
「そんなぁ〜……そうじゃないかとは思ってましたけど」
 でもダメ元で……としょんぼりしながら美雪が引き下がる。
 その様子を横目で伺いながら、賢介は先ほど食べた弁当のことを思い出していた。
 栄養がきちんと計算され、見た目にも綺麗で、女性が好みそうに工夫されている。なにより美味しかった。
 大前さんは料理のスキルも完璧なんだな、とキーを打つ。
 ディスプレイに生まれる文字列を見ながら、賢介の思考は逸れていく。
 つまりあの弁当は大前さんの手作りで、その手作り弁当をおれは食べて、大前さんはおれにハッパをかけるために、おれのために、弁当を作って。
 知らぬうちに顔がにやけてしまったらしい。とたんひきつった口元の痛みに、賢介は顔をしかめた。
「いてっ」
「え、だ、大丈夫ですか、里中主任!」
「う、うん。平気」
 心配する美雪に向かって軽く微笑むと、唇の端を軽く押さえ、賢介はパソコンに向き直った。
 昨夜の東海林との殴り合いのせいで、顔中あざだらけだ。不用意に顔の筋肉を動かすと痛むので気をつけていたのだが。
『賢ちゃんもとっくりのこと好きだろ?』
『だったらなに?』
 東海林が春子に本気なのは知っている。その東海林の前で、己の気持ちを認めてしまった。
 言わないでおこうと思っていたのに、いや、抑えつけてなかったことにしてしまおうと思っていたのに、一度はっきり口に出してしまえば、想いは明確な形を持って賢介の前に姿を現した。もう無視することはできない。

――――里中賢介は、大前春子が好きなのだ。

 今まで多くの仕事上の手柄を東海林に譲ってきた。
 東海林に彼と春子との仲を応援するよう頼まれたときも、また譲るつもりだった。
 でも、今度はもう、譲れそうになかった。春子だけは譲りたくない。
 賢介だって、本気なのだから。



どっかに投下したやつ
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