――――なかった。なんかもう全てが。
 あー、すまない、少し確認させてくれ。
 俺は男だ。
 戸籍でもそうだし周囲の認識も生物学上でもそうだ。
 胸はないし下はついている。
 別に、家系的に女児が不吉とされているとか、跡取りとして男の子が欲しかったのに女が生まれてしまったのでとか、父親がうっかり交わしちまった悪魔との契約により娘が十六歳になったら生贄として差し出さなくてはいけないとか、そういう特殊な事情や家庭環境のせいで、実は女なのに男として育てられたなんてことはない。
 モロッコに行ったこともなければ中国で温泉に漬かったこともない。
 この世に生を受けて十六年あまり、ずっと男として生きてきた。
 親戚の間では面倒見のいい長男と評判だし、今でこそキョンくんなんぞという間抜けなあだ名に取って代わられているが、かつてはきちんと妹に「お兄ちゃん」と呼ばれていたことからも、俺の性別がどちらであるかおわかりいただけると思う。
 俺は間違いなく男だ。
 しかしである。
 それが突如として揺らいだのが昨日、土曜の朝のことだった。
 ある日突然世界が変化していたり、終末の危機を迎えたり、無限ループに陥ったり、あるいは自分の身近に未来人や宇宙人や超能力者が現れたり、妙な空間が発生したり諸々、そんなこの世の不思議の八割方はこの言葉で説明できるんじゃないかと思う「ハルヒの神的能力」とやらのせいで、俺の身体はメタモルフォーゼ、性転換を遂げてしまったのだ。
 信じられん。
 だが、その信じられない事態を引き起こすのが涼宮ハルヒなのである。
 アメリカも真っ青な一人超常現象の坩堝であるハルヒ、そのハルヒの精神がどう作用した結果なのかはしらんが、休日の朝、古泉の家のベッドで目覚めた俺は女になっていた。
 なぜ古泉の家なんぞで寝ていたかについてはあまり深く追求しないでいただけるとありがたい。
 自分が別の性に変えられてしまったことに気づいた俺は驚愕、のち諸々の理由により戦慄し、かくかくしかじか一騒動も二騒動もあって、結局古泉の家でその日一日を過ごした。
 それというのも、俺が全幅の信頼を置く長門が「一日で戻るだろう」とのお墨付きをくれたからである。
 というのがこれまでの話で、そして俺は次の日には男に戻っていることを信じ、安心して眠りに着いたわけだが。
 くああと大あくびをして目を擦ると、
「……なんで」
 俺は呆然と呟いた。
 またしても古泉の腕の中、密着して寝ているため目の前に胸板やら鎖骨やらがある。
 おかしい。
 なぜおかしいのかというと、普段であればまず飛び込んでくるのは幸せそうに微笑みながら俺を見つめる顔か、でなければ安らかな眠りの中にいるあどけない顔であり、つまり顔なのだ。
 確かに俺は非情に忌々しいことに、いくらか古泉に身長で負けてはいるが、すっぽりとやつの胸に収まってしまうほど小さくはなく、一般的な男子高校生の図体を持ち合わせており、よって抱き合って寝たとしてもこんな風に起き抜けに胸板が間近に迫ってくることはほとんどないと言っていい。
 俺は、どうやら昨日大幅に増加した身長差が今なお縮まっていないらしいことを悟り、しばし意識を現実から逃がした。
 よもやあの夏の日のように前日を繰り返しているのではないかと、おそるおそる自分の身体を見下ろす。