取り込んだ洗濯物を丁寧にたたみながら、自分は何をしているんだろう、とぼんやり思う。
 ただその動作だけを単調に繰り返す機械のように、床にぺたんと座り込んで、服を手にとって、それを綺麗にたたんで、また別の服を手にとって、たたんで、重ねて、二人分の洗濯物を、自分のものとそうでないものとに分ける。
 以前はそれが、とても幸福な作業だったのに。
 今は何も感じずに、心は木でできたブロックのように硬く、ああ、まるで、本当に人形になってしまったようだ。
 ずっと座っていると立ち上がれなくなる気がするように、どうしてこんなことにと嘆く気力も湧いてこなくなるんだろう。ずいぶん長い間、夢の中にいるような現実感のない日々を過ごしている。
 携帯のメール着信音が鳴り響き、俺はびくりと肩を跳ね上げた。鏡のように凪いでいた感情の水面に不穏な波が立つ。
「……あ」
 ぎゅっと唇を噛んで手を伸ばし、恐る恐る携帯をとる。
 誰からのメールかなんてのは見るまでもなくわかる。スパムでもない限り、もうずっと、俺にメールを送ってくるのは一人しかいないからだ。
 昔、そいつ専用にしたこの着信音が鳴るのを、心待ちにしていたときがあった。どんな他愛ない内容でも嬉しくて、浮かれきっている自分に苦笑して、連絡がないと不安になった。
「っ」
 ぽたり、と液晶に水滴が落ちたのを慌てて拭う。
 いつからこんなに女々しくなっちまったんだろう。いつから、歪んでしまったんだろう。
 かつては確かに幸せで、明るさに満ち溢れていた日々が、色褪せてモノクロになり、やがて完璧な闇に閉ざされた。光の当たる場所へ出て行けない。俺にはそれが許されていない。冷たく深遠なる暗闇の中でもがいているあいつのそばで、あいつと一緒に沈んでいくことしかできない。あいつを引っ張りあげるだけの力が、俺にあったならよかった。
 履歴にはずらりと同じ名前が並んでいる。一番上の新着メールを開いた。
 ――――古泉。
『今どこにいますか?』
 それだけの、簡潔なメールだ。俺はこれにすぐに返信をしなければならない。十分でも遅れると今度は電話がかかってきて、返信しなかった理由を疑われ責められるばかりか、帰宅した古泉に、手ひどく不実をなじられるはめになる。
『家。洗濯物たたんでる』
 カチカチと文を打って、送信。
 たたみ終わったら、そろそろ夕飯の買い物に行かなくては。
 別に、古泉は俺を監禁しているわけではない。物理的にはどこにも繋がれてはいない。
 なのに俺は、この部屋に雁字搦めだ。外に出ることがひどい罪悪であるかのように思えて、俺の心は縮こまっておびえている。
 折檻ばかりを恐れているのではない。ためらいなく自分の内面にナイフを突き立てるような古泉の狂気に触れるのが何より辛かった。
 たたんだ服をしまい、洗面所で顔を洗う。鏡の中の自分、ただでさえ冴えない面に陰気な色が差して見れたもんじゃなかった。
 ……しっかり、しっかりしろよ、俺。負けるんじゃねえよ。
 泣いたってどうにもならないんだから、自分を見失わないで、この底なし沼のような暮らしから古泉と一緒に抜け出す方法を考えろ。このままじゃ二人して溺れ死ぬだけだ、俺は、古泉を死なせたくない。
 ――――ああ、だけど。
 この生活を終わらせるということは、たぶん、まず俺が古泉のそばを離れるということで、今俺がいなくなったら古泉は死ぬだろう。死ななくても、きっと取り返しのつかないほど壊れてしまう。
 どうしたらいい? どうすることが一番いいのか、俺にはわからない。わからないよ、古泉。
 俺の存在が古泉を苦しめ、けれどまた、かろうじて繋ぎとめているのがわかるから、俺はここから動くことができないでいる。
 最初はただ純粋に、守りたかっただけだった。
 なのにどうだ、互いに心の傷は増えていくばかりで、血溜まりに足を取られ、こんな関係に救いなんかあるもんか。
 間違っているんだ。だが、その間違いを正す方法を見つけられない。
 幸せになりたいのに。幸せになれると思ったのに。幸せにしてやりたかったのに。幸せに、してやれると思ったのに。
 身の程知らずの思い上がりもいいところだった。爆笑ものの勘違いをしていた。自分の手がどれだけちっぽけかを思い知る。高校のとき、長門や朝比奈さんや古泉と違って、なんの力も持たない凡人の、いざというとき人の力に頼るばかりで、一人じゃ何もできやしない自分を突きつけられ、幾度となく自覚したその事実を、今もまたこうして噛み締めている。情けないったらねえな。
「!」
 電話の音が静寂を破り、身体が竦んだ。携帯ではなく、家の電話機の呼び出し音。
 もしかして、ぼーっとしていて携帯の着信があったことに気づけなかったんだろうか、それで不審に思って家にかけてきたんだろうか。しまった。
 慌てて洗面所を出て電話に駆け寄る。動悸を抑えながら受話器を取った。
「は、はい」
『ああ、よかった、ちゃんといましたね』