僕にとって彼は特別な、ただ一人の人だった。
 宇宙人でも未来人でも超能力者でも神さまでもない、どこにでもいそうなごく普通の人間のようでありながら、実は僕らよりもよほど稀有な、かけがえのない人だということがそばにいるうちにわかってきて、少しずつ惹かれていき、気づけばもう、僕は彼に夢中になってしまっていた。
 ぶっきらぼうで何事にも冷めていて、怠惰にすら見えるけれども、本当はとても優しくて、柔軟で、度量の広い、強い人。
 好きにならないわけがない。
 自分に同性愛の気があるとは思わなかったが、彼への想いは肉体的な欲求を孕んでいて僕は自分に対する認識を覆さざるを得なかった。
 触れたい、あの髪の毛に指を通したい、薄い唇に口付けたい、わずかに開いた隙間から舌を捩じ込みたい、胸に手のひらを押し当てて鼓動を感じたい、手を這わせてあばらの硬さを確かめたい、なだらかな腹部を撫でたい、そしてその下の、秘められた場所の奥を知りたい。
 年頃の若者らしくエスカレートする妄想と、信仰にも似た恋心とを同時に育てながら、僕はそれを全て笑顔の下に隠して彼の隣にいた。
 だって打ち明けたところでどうなる、初めから実るはずもない恋だ。
 だから、膨れ上がってとうとう抱えきれなくなった想いに押し潰されそうになり苦しんでいた僕に、放課後二人きりの部室で彼が「お前、俺のことが好きなのか」と核心を突き、思わず「はい」と答えてしまったとき、
「そうか。……俺も、お前のことは嫌いじゃない」
 と受け入れてもらえたことは、僕にとって奇跡としか言いようがなかった。
 信じられなくて泣きそうになっている僕の背中に彼が腕を回して顔を上向けたので、僕はくらくらしながら彼に顔を近づけて、キスをした。
 嬉しくて、幸せで、有頂天だった。
 濡れた唇を舐めた彼は妖艶に微笑み、僕に尋ねた。
「――――なあ、古泉、俺としたいか?」
 僕にとって彼は特別な、ただ一人の人だったから。
 だが彼にとって僕は、特別ではなかったのだ。
 僕は彼を手に入れたかったけれど、彼は誰のものにもならない。
 彼は、彼は、彼は、
「あ、こいずみ、い、すごい、もっと、あ、あああっ……!」
 彼の嬌声で我に返ったベッドの上、僕の腰に足を絡めて、彼が背中を反らす。
 壮絶に色っぽい光景に、さらに下半身に血液が集まり、僕はぐっと腰を押し付けて、溜まった熱を彼の中に吐き出した。
「く、は、ぁっ……あ……」
「あ……こ、ずみの……あつい、でて、る……っ」
 いっぱい、と嬉しそうにうっとり呟いて後孔を締め付け、僕にキスをねだるいやらしい生き物。
 けれど決して彼のほうからはしてくれないことに僕は気づいている。
 口付けるのはいつだって僕からだ。
「……なあ、もっかいしようぜ」
 キスの隙間から、掠れた声で彼が囁く。
 彼とこんな関係になって、彼が普段の姿からは考えられないほど快楽に従順だということを知った。
 貪欲なほどに僕を求めるかわいい彼。
 でも、彼が求めているのは僕だけじゃない。
 何度肌を重ねて体温を分かち合っても、思い知らされるのは彼が『僕一人の彼』にはなってくれないのだという絶望だ。
 たとえば今、仰け反った喉の柔らかな皮膚に覚えのない赤い痣があることに気づいてしまったように、彼の身体に他の男の痕跡を見つけるたび、僕は泣きたくてたまらなくなる。
 彼は僕が好きなわけじゃない。
 セックスが好きなだけ。
 気持ちいいことが好きなだけだ。
 それでもやっぱり僕は彼が好きで、彼が穏やかな声で僕の名前を呼んで、
「こいずみ」
 笑ってくれるから、
「……愛してるよ、古泉」
 ああ、なんてずるい人。