週明け、遅刻ぎりぎりにやってきた俺を出迎えた校内の雰囲気は、いつもとほんの少し違って、どことなくそわそわと浮き足立っていた。
 異常な熱気というほどではなく、そうだな、微熱のような期待感に浮かされているような感じだ。
 廊下も教室も、生徒たちのざわめきの種類がなんだか異なる気がする。
 はて今日なんかあったっけと思いながらあくびをしたが、眠気の残る頭には何も浮かばない。
 俺にとっては一時間目が居眠り可能な教科かどうかのほうが重要だ。
 何人かのクラスメートと挨拶を交わして自分の席に着くと、すかさず後ろから首根っこを引っ張られた。
「ぐえっ!」
「おっはよ、キョン! ねえ、あんたどう思う?」
 人に大型トラックに轢かれたヒキガエルのような声をあげさせておきながらまったく悪びれないハルヒの目は、またろくでもない思いつきに輝いており、何についてかは知らんが、どう思うかききたいんならまずネクタイを放してくれ。
 しかし、なんとか窒息死を回避することに成功した俺の耳に先に飛び込んできたのはハルヒの問いではなく、担任岡部が教室に入ってくる音だった。
 ソフトボール部顧問である岡部のがっちりとした体躯の後に続く、背の高い細身の青年を見て、ようやく俺は金曜日に岡部に言われたことを思い出す。
 ――――来週から、教育実習が始まるからな。
「あー、先週も言ったと思うが、今日から入る教育実習生の、」
 岡部教諭に促され、青年は黒板に白チョークでカツカツと名前を書き、簡単な自己紹介をした。
「岡部先生のご指導を受け、このクラスで皆さんと一緒に勉強させていただくことになりました。担当教科は数学です。短い間ですが、これから三週間、よろしく」
 教室の中を女子のはしゃいだ囁き声が蝶のように飛び交い、一気に空気が黄色に変わる。
 何か質問は、との言葉に、お約束的に「せんせー彼女はいますかあー?」なんて声も聞こえた。
 まあ、色めき立つのも無理はない。
 若き実習生はすらりとした長身、爽やかな印象のなかなかのイケメンくんで、かつ、自己紹介によると北高から日本有数の私大の教育学部に進み、バスケインカレ経験者という、顔、頭、体の三拍子が揃った逸材だったのである。ここまでのハイスペックはそうそうお目にかかれまい。
 すると、俺の後ろの超ハイスペック人間がひそりと声を落とした。
「ねえキョン、どう思う?」
 だからお前は人の襟を掴むのをやめなさいって。
 で、俺を絞殺しかけてまでなにをそんなに訊きたいんだ。
「あいつよあいつ。なーんか怪しくない? 教育実習生と見せかけて、世界征服をたくらむ組織の一員だったり、どっかやばい企業のスパイだったりしないかしら」
 そんな人間がなぜ何の変哲もない高校の教育実習などに来るんだ……と、ハルヒと出逢ったばかりの俺ならば答えていただろう。
 しかし、実際に宇宙人だの未来人だの超能力者だのがこの北高に潜入しているのを知ってしまっている今、ハルヒの言葉をはっきりと否定することはできず、もしかしたらという疑念が心に芽生える。
 世界征服を企む組織も、やばい企業も、全くありえない話ではない。
 なぜならこの学校には、一部で神とまで言われる『涼宮ハルヒ』がいるからだ。