丸い窓の外に見える景色は、毎日同じで代わり映えがしない。どこまでも続く海の蒼。日に煌めく海面はときに宝石よりも美しい顔を見せるが、俺はそれがどんな風に血に染まるのかすでに知ってしまっていた。
 ――――まるで、あの男のようだ。
 思って一人ひっそりと笑った。
 王族だと言われても信じそうなほど眩いばかりの美しい外見をしているのに、その本性は忌むべき海賊であり、優美な白い手は血塗られて、麗しの瞳はただの一瞥で屈強な男どもに畏怖を与え、その胸にあるのは冷たい心臓だ。
 あの男が何を考えているのか、俺にはちっともわからない。
 わかったのは、意外と戦利品に対する執着心が強いのだということ。
 もっと早く飽きて捨てられるか、下っ端の海賊たちに引き渡されるものだと思っていた。いずれにせよ、玩具のように嬲られて生を終えるのだと思っていた。
 だって俺は、あの男の……古泉の所有物なのだから。

 この船に囚われの身になって幾日経っただろう。
 床が絶えずゆらゆら揺れるのにも、もう慣れてしまった。
 窓から離れようと身を動かせば、首に嵌められた枷から伸びる鎖がじゃらりと重たい音を立てた。
 俺がこの身体に纏っているのは、首輪と鎖とそれから足かせだけだった。
 攫われてくる前に着ていた服は取り上げられてしまった。古泉に与えられた服は着たくないと突っぱねた。
 だから俺はベッドの上で薄い布にくるまって、眠ったり本を読んだり、海を眺めて過ごしていた。
 俺が移動できるのは鎖の長さまでで、つまりベッドから半径数メートルの範囲だ。
 部屋からはもちろん出られない。
 ここは古泉の寝室で、船長の私室ということで内装は相当贅沢なものだった。
 ビロード張りの長椅子、マホガニーの机、羽毛の寝具。壁に掛けられた絵。
 海の上なのでシャンデリアこそないが、貴族の邸宅のそれと比べてもなんら遜色ないだろう。
 だが俺にとっては牢獄と変わらず、豪華な家具などなんの意味もない。この部屋で意味を持つのは、古泉がいるかいないか、それだけだ。
 そしてそれは翻って、俺のこの船における存在意義をも示していた。
 あいつは船長で、俺は捕虜という名の船長の獲物だ。
 俺を生かすも殺すもあいつ次第。鎖で繋ぐのも、抱くのも、同じこと。
 全ては古泉の気まぐれに過ぎないのだろう。
 鍵の回る音がし、キィ、と軋みながらドアが開いた。はっと反射的に身が強張る。
「いい子にしていましたか?」
「……こい、ずみ」
 自分を古泉と呼ぶようにと言ったのは古泉本人だった。
 海賊船の船長がただの捕虜にそう軽々と名前を呼ばせていいものか疑問には思ったが(だって俺は部下が古泉をそう呼ぶのを聞いたことがない)だからといって他になんと呼べばいいのかなんてわからなかったのでそのまま従っている。
 古泉はにこりと笑うと、俺のいるベッドにゆっくり近づいてきた。
 その所作は優雅そのものといった様子で、類稀な容姿も相俟ってとても荒くれ者の海賊たちを束ねる頭には見えない。
 だがこいつは紛れもなくこの船の船長なのだ。
 左腕に何かを抱え、ベッドに腰を下ろして古泉は言った。
「少し甲板に出ませんか? たまには散歩もいいものですよ」
 どういう風の吹き回しだろう。
 古泉の思惑が読めず、どう返事をしたものか戸惑っていると、目の前にばさりと白い布が広げられた。
「っ!」
 それは服だった。古泉の着ているものと同じ、俺にとっては長めのシャツが一枚。
 古泉は俺がかぶっていた掛け布をそっと剥ぎ取ると、ごく自然に背中に手を這わせた。
 俺の肌はすっかり古泉の手を覚えてしまっていて、触れられた場所からぞくんと熱を持ち始める。
「流石に裸で歩かせるわけにはいきませんから。これに着替えてください」
 俺は身を捩って古泉の手を振り払った。
「……っ、嫌だ……!」
 わかった。わかってしまった。
 古泉はみじめな捕虜の調教具合を他のやつらに見せつけたいのだ。悪趣味な。
 そろそろ俺に飽きたから、部下の誰かに下げ渡すつもりなのかもしれない。船長様から忠実なる船員への下賜だ。さしずめ甲板は品定めの舞台というところか。
 この部屋から出れば、俺は否応なく他の船員の目にも晒されることになるだろう。
 彼らの目に自分がどんな風に映るのか考えると恐ろしかった。
 毎日のように古泉に弄ばれ続け、肌のそこかしこに跡を残すこの身体が、女のいない海の上で男たちにどんな扱いを受けるのか。しかも俺は捕虜だ、壊してしまったとしても一向にかまわない。
 いつか古泉にも戯れのように言われたことがある――――あなたのことが船内の噂になっているようですよ、僕をたぶらかした今度の捕虜は相当具合がいいらしい、是非一度自分たちもお相手願いたいものだ、とね。そうなったら、あなたの身体はこんなにいやらしくてかわいいから、みんな溺れてしまうかな。
 ――――あのときの古泉はくすくすと笑い声で、でも目はちっとも笑っていなかった。そう、今のような。
「どうしてあなたは、いつまでも反抗的なのでしょうね。この船で僕に逆らえばどうなるか、散々教えてあげたでしょうに。それとも……そんなにお仕置きされたいの?」
 手首を取られ、寝台に押し付けられる。
「嫌だ、放せ……いやだ!」
 抵抗がやすやすと封じられてしまうのが悔しかった。口まで塞がれてしまう前に俺は叫んだ。
「人を見せものにして気分がいいか? 散歩なんて回りくどい言い方しねえで、俺のことを他の船員に見せるって言やあいいだろう! 飽きたんならそう言えよ、飢えた野郎どもの慰み物にされる前に海に飛び込んでやるからっ」
「……え?」
 古泉の声はまさしく「きょとん」といった感じだった。予想外の言葉を聞いたとばかりに目を瞠っている。
「ああ、そういうこと。違いますよ、僕はあなたに飽きたりなんてしていません。誰かに渡すなんて考えたくもない。そうではなくて……でも見せびらかしたいというのはあっているかな」
 首筋に強く吸いつかれる。跡が残るほど強く。
「よく知らしめておく必要があると思いましてね。……あなたが誰のものなのか」