「四月の雨の心臓」のネタバレを大いに含んでおりますので本編をご覧になってからのほうがよいかと思われます



「実はあなたにお詫びしなければならないことがあるんです」
 なんだ、これ以上まだ謝らなければならないような何かをやらかしていたというのかお前は。
 およそ一年前のお前、高三の古泉一樹の、冗談にならない、人としてやってはならないほど酷いドッキリに、同じく高三だった俺の心はいたく傷ついて、涙も枯れるほど泣いて泣いて泣いて、もう恋なんてしないなんてそりゃあ言いもするよ絶対、とまでに悲しみにくれ、十代にして厭世感漂う男になっちまったことについての謝罪は先ほど貰ったが、勿論それで許したわけじゃねえぞ。
 さっきはお前が生きてたことへの衝撃が大きすぎて正直麻痺してたんでろくに怒りもせずそれどころかうっかりやっちまったがな、正気に戻ってよくよく考えたら改めて怒りがこみあげてくるのも無理はないと、お前もわかるだろ? わかるよな? ん?
 いくら俺の身代わりだったという情状酌量の余地があったにしても、俺は付き合ってもいねえ相手にやり逃げまでされて勝手に死なれたわけだからな。ちょっと謝ったくらいでちゃらになると思うなよ。
 お前が俺の目の前で心停止して、医者に死亡宣告を聞かされてからのこの一年、人がどんな思いで過ごしてきたと、俺だけじゃない、何も知らないハルヒや朝比奈さんがどんだけ泣いてたかお前知ってるか? 全部承知してた長門だって、あの辛そうな顔は演技じゃないだろう。きっと機関のふざけた計画なんぞに協力しなければならなかったことに対して、そして泣いてるハルヒと朝比奈さんを前にして心が痛んだに違いないさ。
 なのに元凶たるお前はちゃっかり生き返って、俺らのことなんざ綺麗さっぱり全て忘れて女をとっかえひっかえ、新しい人生を楽しんでたっていうんだからな!
 で、ここまでやっといて、更に謝らなきゃならんようなことがあるんだって?
 そりゃあすげえ。一体どんな悪逆非道な行いなのか是非とも教えて欲しいもんだね。
「……ほ、本当に申し訳ありません……」
 じろりと睨んでやると、ベッドから降りて土下座のように頭を床すれすれまで下げていた古泉は(そう、こいつは古泉なのだ)ますます肩を小さくした。
 それから俺をじっと見あげて、
「あなた、儚さが消し飛びましたね」
 ほう、まだ世迷言をほざく余裕があるようだな。
「世迷言なんかじゃありませんよ。大学で出会ったころのあなたの儚さときたら、桜に攫われそうを地で行ってました。自分がどれだけ危なっかしい色気を振りまいていたかご存じないんですか? でも今は、なんだか高校時代に戻ったみたいで、アンバランスな色気はそのままなんですけど、地に足がついたというか、輪郭がくっきりしたというか……ちゃんとこの世界にいるんだなって感じがします」
「当り前だろう。俺はちゃんとここにいる。いなかったのはお前のほうだ」
 古泉は瞠目して、やがて自嘲気味に笑った。
「……そうですね……本当に、すみませんでした。あなたを悲しませて、縛りつけて、酷い男でしたね、僕は」
 くそ、そういう殊勝な態度を見せつけられると、こっちとしてもあまり強気には出られなくなるんだが、わかってやって……るんじゃないだろうからまあ許す。
 それに、こいつもこいつで人生を捻じ曲げられた被害者なのだ。
 騙されたことには腹が立つが、正直な部分、生きていてくれただけでいいって気持ちも、ある。
 古泉が生きてちゃんと俺の前にいて、俺を好きだと言い、「生まれ変わってもあなたに恋をする」なんつう少女漫画のようなことを実践されてしまったら、やっぱり嬉しさで胸がいっぱいになるんだよ。
 甘いとお叱りを受けるかもしれないが、いつまでもぐちぐちと恨みつらみを述べて責め立てたところで一年前に戻れるわけでもなし、しょうがねえ、この辺にしといてやるかと俺は眉間に込めていた力を緩めた。
「あー、で、そのほかに謝りたいことってなんなんだ」
 古泉は笑みさえ引っ込めて真顔になり、俺もこれはとんでもない爆弾が投下されるのかと身構えた。
「あなたの色気が毒であるのはすでに述べましたが、アルコールによって箍が外れたあなたの色気は決壊したダムのように溢れ出るんですよ」
「……はあ?」
 いきなりなんの話だ。
「あなたが酔いつぶれた合コンの日の話です。あなたは記憶にないと仰いましたが、実は僕は、それをいいことに、あなたに嘘をつきました」
 俺が前後不覚になるほど酔っぱらってここに泊まったあの日か。
 確か、俺がタクシーの中で寝ちまったんで、苦肉の策として自分ちに連れてきてくれたんだろう。
 まさかそれが嘘だったってのか?
 それともやっぱり、お前は何もなかったと言ってくれたが、酔っぱらった俺が変なことをしでかしたとか。
「いえ、そうではなく……何かした、のは、僕のほうなんです」
 なんだって?
「眠っているあなたがあまりに可愛かったので、その、我慢できずに寝込みを……襲いました」
「……は」
「卑怯な真似をしてすみません。あなたは酔っていて、あのとき僕を古泉だと間違って……まあ古泉は結果的に僕自身だったわけですから間違いではないのですが、あの時点ではあなたの中で僕はただの学友で別人でしたからね。僕はあなたが僕を想い人だと誤認しているのを知りながら、それを利用して、あなたを慰めるという口実のもとそのまま抱こうとしたんです」
 つまりなんだ、俺は気付かぬうちに犯されそうになっていたわけか。
 知らなかった。
「あなたの涙で我に返ったおかげで未遂でしたが、だからと言って黙っていていいことではないでしょう。それを僕は、あなたに軽蔑されるのが怖くて隠しました。申し訳ありません」
 涙って、俺泣いてたのかよ、具体的に何されたんだ。引き出しを探っても出てこない。
 全く記憶にございません、なんて政治家の常套文句じゃないが、実際覚えていないのに、その間のことについて謝られてもピンと来ないんだが、酔っぱらいの寝込みを襲うのはどう考えても良くないことではあり、古泉もかなり気に病んでいるらしいところからして、俺は怒っていいのだろう。
 すでに一度こいつに奪われ済みの貞操とはいえ、やはりセックスは双方の合意の上で行うものだ。相手が寝てるうちにやっちまおうなんて言語道断。
 だが、叱られるのを待つ古泉の頭に、ぷるぷる震える獣耳を幻視してしまったら、なんだか怒る気も失せた。
 でもまあ一言だけ言わせてもらうなら、
「――――けだもの」
「すみません……っ」
 狼じゃないな、犬だ。間違いなく。
 俺はやれやれと溜息をつき、それから苦笑して頭を撫でてやった。いい毛並みだな。
「あ、あの」
「もういいよ。全然覚えてねえし、お前も反省してるんだろ? それに、お前が俺のこと好きで好きでしょうがねえってのはよくわかった」
 俺が言うと、それまでしおらしかったはずの古泉は、感極まったようにベッドの上の俺に飛びつき、「好きです」を繰り返した。
 いや待てなんでもそれで許されると思ったら大間違いだ。
 こら、だからがっつくな! がっつくなって!





おまけペーパーでした