僕は彼に肩を貸しながら校舎の廊下を歩いていた。
 昼間見慣れた景色と違うからか、それともこの、彼と密着しているという今の僕には拷問にも等しい状況のせいか、夜の廊下はやたらと長く感じる。
 どうしよう、彼の顔がまともに見られない。
 僕になにをされたのか気づいていないのか? 気づいていないんだろうな。
 そうでなければ、こうも無防備に僕に接したりしないだろう。
 彼の足がよろめくのを、慌てて支える。
「あ……ごめん」
 謝らないでください。謝らなきゃいけないのは僕のほうで、切なくて胸が締め付けられた。
 こんなにふらふらなのに、どうしてあなたは自分のことを一番に考えず、僕のことばかり気遣うんです?
 やがて彼の教室に着き、彼はロッカーから体操服、ジャージ、タオルを引っ張り出した。
「あ、タオル、濡らしてきます」
 様々な理由により、彼の着替えを見ていられなくて、ここから遠ざかる口実を探してそう言った。
 彼は「ああ、それじゃ頼むな」とタオルを投げてよこす。
 少しずつ体力が戻ってきているようなのはいいことだ。しかし痛々しい印象は拭えない。
 そんな彼をこれ以上直視できるはずもなかった。僕は逃げるように教室を出た。

 ジャァァァァ、と流れ落ちる水の中にタオルを浸す。
 指先から冷えていく。
 けれど今僕が何よりも冷やすべきは頭だろう、不謹慎な妄想が僕を苦しめている。
 いや、それも、自業自得か。
 まったく、なにをやっているんだろうな僕は?
 ほとほと嫌気が差し、僕はかぶりを振った。
 蛇口を捻って水道を止め、タオルを絞る。
 そういえば僕のロッカーにもタオルが置いてあるはずなのを思い出す。
 とってこようか。ついでに僕も着替えてしまおう。
 上半身裸で帰ったら職務質問に合うかもしれないし、そんなことになったら色んな意味で大変だ。
 9組に寄り、ジャージに着替えて戻ってくると、彼はまだ着替えておらず、僕のブレザーを羽織ったままの姿だった。
「あ……」
 僕を見て、ほっとしたように表情が緩む。
 その変化に胸を打たれ、僕は目を瞠った。今のはなんだ?
「遅かったから、心配した。着替えてたのか」
「あ、すみません……、あの、あなたは」
「ん。拭いてから着替えようと思って待ってたんだけど」
 僕は馬鹿か! なんで気づかなかったんだ、当たり前じゃないか。
 自分を殴り飛ばしたくなった。
 なんのためにタオルを濡らしに行ったと思ってる。
 自分の着替えなんかどうでもいいだろう、後回しにして、真っ先にタオルを届けるべきだったんだ。
 ああダメだ、正常な思考回路が取り戻せていない。
「す、すみませんっ」
 僕は慌てて濡れタオルを渡した。それから乾いたタオルも。
「あ、良かったらこちらも使ってください、僕のなんですけど、洗濯してからまだ使ってないので」
「ああ……サンキュ」
 どうして笑うんだ、どうしてそんな風に笑えるんだ!?
 僕は自分のしたことをなにもかも洗いざらい打ち明けてしまいたくなった。
 僕は意識のないあなたを凌辱したんですよ。
 だが臆病な僕の心がかけたブレーキは、全然違う言葉を僕に言わせた。
「僕、廊下に出てますね。着替えが終わったら呼んでください」
「え? なんでだよ」
 いろよ、命令形だったが、何故だろう僕には懇願に聞こえた。
 僕はゆっくりと息を吐き出した。
「……わかりました。なら、後ろを向いていますから」
「……うん」
 衣擦れの音に混じって、彼の呼吸音が聞こえる。それをかき消すかのごとく、僕の心臓の音が次第に大きくなる。
 やがて完全に心臓の音しか聞こえなくなったとき、彼が言った。
「帰ろうか」