たいした意味なんてない、ただの気まぐれ、思いつきだ。
「クッション下にして、うつ伏せになれ」
もしかしたら単に光の加減だったのかもしれない。気のせいだという可能性も否めない。
が、古泉の顔がどこか疲れているように見えて、俺の口はついそんなことを言っていた。
テーブルの上にこんもりと載ったUNOのカード。
たった今まで壮絶なドロー2ドロー4合戦を繰り広げていたそこに決着をつけることを放棄し、呆けたままの古泉にクッションを押し付け、ぽんぽん、とカーペットの敷かれた目の前の床を示す。
別に勝負を逃げたわけじゃないぜ、実際、俺のほうが明らかに勝っていたしな。
「え……ええと……?」
俺が座っているのに自分だけ寝そべるのは失礼だとでも思っているのか、古泉はクッションを片手に抱きしめながら躊躇っているようだった。
「いいから、さっさと横になれって」
だいたい、自分の部屋で何を遠慮することがあるんだろう。もっと堂々としてりゃいいんだ。
いまさら俺相手にかしこまったって、なんにもならんじゃないか。あんなこともこんなことも済ませた間柄のくせに。
「親しき仲にも礼儀あり、って言うじゃないですか」
「気の置けない仲、って言葉もあるぜ」
つうか、お前は気の使いどころを間違ってる。もっと他に回すべきところがあるだろ、主に夜の面で。
古泉はまだ戸惑いながら、のそのそとクッションを顎の下に敷いて寝そべった。
「あの……なにを」
「お疲れのお前を労わってやろうと思ってな。マッサージしちゃる」
古泉の足首を掴み、自分の膝の上に載せて、靴下を履いた足の裏をふにふにと指で押す。
「っ」
すると、びく、と強い抵抗を腕に感じた。古泉が反射的に足を跳ね上げようとしたらしい。
見れば、その耳が赤くなっている。
「あ、その、いいです、そんなことしなくても」
「遠慮すんなって。それとも嫌だったのか?」
「そういうわけではないのですが」
あなたから触れていただけるのに嫌なはずがないです、などといらんことまで付け加えて、だがその言葉を裏切るように、古泉の足は緊張してしまっている。
嫌じゃないし遠慮してるわけでもないなら、なんだっていうんだ。
まあいい、言いたくないんなら締め上げて吐かせるまでだからな。
そう宣言してやると、古泉の耳がさらに赤さを増した。
「……ん? どうした」
「いえ、なんでもないです」
古泉はそう言って、前を向いた顔を強くクッションに押し付けた。
まるで何かに耐えるような姿勢をされれば、なんでもないなどと誰が信じられるというのかね。
少なくとも俺は疑う。
「本当にそんな、気にするようなことではないんですよ」
「気にするか気にしないかを判断するのは俺だろ」
そして気になっているからこそ、見逃さずに突き詰めようとしているのさ。
マッサージというのは、溜まっている乳酸だとかの老廃物を押し流したり血行をよくしたり筋肉の強張りをほぐすのを目的としており、身体の端から心臓への流れを作ってやるのがいいらしい。
だから俺はアキレス腱の上辺り、ふくらはぎから膝裏まで指の腹を使って押し上げようとした。
「わっ!」
だが、ふくらはぎを少し押した途端、びくんと跳ね上がった足が俺を蹴った。
「いてっ」
「あ、すいません!」
慌てて振り返る古泉。もしかして、お前、
「……くすぐったいのか」
古泉はどこか気恥ずかしそうに眉を下げて微笑んだ。
「わかりました?」
わからいでか。いや、今まではわかってなかったけどさ。
「お前、くすぐったがりだったんだな」
「弱いのは足だけですよ」
だからなんだ、といいたくなるような、フォローにもならない微妙な言い訳をしつつ、
「ですからあの、マッサージをしていただけるなら、上半身のほうがありがたいかと」
「嫌だ」
「は?」
「嫌だと言ってる。マッサージってのは下から上がセオリーなんだ。そのほうが効率よく疲れが取れる」
「で、でも、またあなたを蹴ってしまうかも」
「俺を傷つけたくないなら愛で抑えこめ」
ぐり、と親指を筋肉に押し当てて凹ませた。
古泉はクッションに真っ赤な顔を埋めてじたじたと悶えている。
可愛い可愛いーとか聞こえた声は空耳で、悶えているのはくすぐったさを我慢しているからだということにしておこう。うん。
俺ならこの程度が気持ちいい、と思う強さで揉み上げていく。
「……っ」
指に当たる古泉の筋肉は、俺を蹴るまいと我慢しているせいか硬くて、おいこら、これじゃマッサージの意味を成さないだろ。
「古泉、力抜けよ。やりにくい」
「は、はい」
ぺちぺち叩いて咎めると、少し強張りが緩む。
しかしぐっと押すと、もうそれが規定事項でもあるかのように蹴られた。
「っ」
「す、みません……」
「愛が足りないってことなのかもな」
「そんなことは!」
こっちがびっくりするほどの勢いで、古泉が鋭く叫んだ。
「僕の気持ちをお疑いなら、今すぐにでもたっぷりと信じ込ませて差し上げますが」
「……いや、いい」
悪い予感しかしないんで、何かされる前に封じなくてはと、さっきよりも強めに指を押し付けた。
古泉はかろうじて蹴りこそしなかったものの膝から下が浮いて、痛かったのかと思ったが違うらしい。
これでもまだくすぐったいのかよ。結構強めに押してると思うんだが。これ以上強くすると本当に痛いんじゃないか?
「上、乗ってもいいか」
そうすりゃせめても蹴られることはなくなるだろう。
古泉はちょっと沈黙して、やがて妙に湿らせた声で「どうぞ」と答えた。
足首のところを体重で押さえつけるように乗り上げて、自分だったら絶対に痛いと断言できる力で揉み解していく。
「ん、いい感じです」
そりゃよかった。だがこれは、結構力が要るな。
気を抜くとすぐ力が弱くなってしまって、そのたびに古泉の足が俺の体重に逆らって浮き上がろうとするので、俺は息を切らせながらこっちの親指が痛くなるくらいぐいぐいと押した。
太ももは面積が広い上に、古泉の敏感度もふくらはぎより上がるらしく苦労した。
そんなこんなで、やがて両足を終えるころには、俺はすっかり疲れきってへとへとになってしまった。
「ありがとうございました。お疲れのようですが、大丈夫ですか?」
「お前こそ、大丈夫かこんなんで。……気持ちよかったか?」
古泉は一瞬瞠目し、
「ええ。優しくされるとくすぐったいので、痛いくらいがちょうどいいです」
微笑みながら申し訳なさそうに言った。
俺はそんなどう聞いてもマゾ発言を聞かされてどうしたらいいんだ。
「深読みの必要はありません、そのままの意味です」
薄く笑う。お前のセリフはいちいち思わせぶりなんだよ。
「それはあなたのほうでしょう」
「はあ? どこが」
「先ほどから数え上げたらきりがないですよ。自覚、ないんですか? ご自分の台詞がどれほど卑猥か」
自覚も何も、普通に会話してただけだろう。言いがかりにもほどがあるぜ。
俺が至極真っ当に反論を述べると、古泉は脳が海綿になったとしか思えないようなことをほざいた。
「締め上げて吐かせるって、なんだかいやらしいですよね」
右手を取られて、親指を口に含まれる。舌がねっとりと付け根を舐めて、今度は俺の肩がぴくりと跳ねた。
古泉はいったん口を離して囁く。俺の言葉なんかよりお前の囁き声のほうがよっぽどいやらしいと思うんだが。
何喋っても卑猥なことに聞こえるんだよ。そんな声で実際に卑猥なことを囁かれれば、もうそれはそれはいやらしい。
「あなたのおかげで疲れも取れましたし、先ほど申しましたように愛の証明もしたいので、今度は僕が奉仕させていただきます」
「せんでいい!」
「遠慮なさらず。どうぞあなたの身体で存分に僕を締め上げて吐かせてくださって構いませんよ」
じり、と距離が詰まり、ほとんど覆いかぶさられる姿勢になる。
やる気の古泉、逃げ場はなし、どうやら観念するしかないらしい。
くそ。言っとくが、俺は痛いより優しくされるほうがいいからな。
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