朝のニュースでアナウンサーのセリフを聞いたときから警戒はしていた。なにせ「猫の日」だからな。
イベント大好きハルヒが見逃すはずはないだろう、何か起きる、というより起こすに違いないと確信に近い思いを抱いていた。
人間は考える葦、学習する生き物である。津波が来るかもしれないのに、なんの用意もしないやつはいない。
そんなわけで、万が一のことを考えて、フードつきのコートを着て登校した。鞄の中には目深にかぶれる帽子も忍ばせてある。
もしSOS団総ネコ耳化なんてことになった場合、やはり頼りになるのは長門だろうが、あいつにばかり負担をかけるのは宜しくない。
俺にはちっぽけな力しかないが、自分の荷物はできるだけ自分で持ちたい。
さて、案の定ハルヒは2月22日が何の日であるかしっかり把握していて、団員全員分の猫耳を用意していた。
「今日の活動はこれをつけてすること!」
有名な猫型ロボットの便利な道具を取り出すときのような効果音を律儀にも口で表現しつつ、ハルヒは高々と猫耳を掲げた。
その頭にはすでにオレンジの猫耳が装着されている。自らが率先して行動するところは上に立つものの姿勢としては立派かもしれない。
ただし肝心の行動が猫耳を着けることである時点でなんかもう帳消し台無しだ。
真っ先にハルヒ猫の毒牙にかかったのは、まあ順当に朝比奈さんであった。
ハルヒは片手に赤い猫耳、もう片手で朝比奈さんを捕獲し、
「さあみくるちゃん、最強の萌えキャラへと変身するのよ!」
「ふええええ〜!」
ちなみに長門は紫がかった灰色、古泉は黒と白の縞、俺はカラスの羽のような真っ黒い耳を賜った。
俺はともかく、他のメンバーは各々とても似合っていたことをここに記しておく。
最強の萌えキャラへとみっみっみらくるパワー、メーイクアップ! した朝比奈さんはいわずもがな、クールで高潔な血統書付の猫を思わせる長門も、気まぐれでプライドが高い性格や好奇心旺盛なきらきらした目が本物の猫のようなハルヒも、実に男心をくすぐるものがあった。ハルヒの審美眼はなかなかであると認めざるを得ないな。
この猫耳をつけた途端髪の毛と同化して外れなくなったりとか、あとで本物の猫耳が生えてくるんじゃないかとか、そんな俺の疑念はしかし取り越し苦労だったようで、何事もなく長門は本を閉じ、本日の活動も無事解散の号令を迎えた。
「……やれやれ」
ようやく一安心、か?
朝比奈さんの着替えを待つために猫耳を着けたまま廊下に立たされ、誰もこの廊下を通らないでくれと全身全霊で祈りながら、俺は口癖のようになってしまったセリフとともに溜息をついた。
隣の男は同じく羞恥プレイ中だというのにまるで恥ずかしがるそぶりも見せず、それどころか楽しそうに自分の耳の毛並みを確かめたり摘まんだりしている。まるでチェシャー・チーズに群がるねずみを捕まえた猫だ。
「何がそんなに楽しいんだ」
「おや、あなたも楽しまれたでしょう?」
「そりゃあそれなりに目の保養にはなったが、それ以上に精神的な疲労を覚えたぞ。結果的に杞憂ですんだからよかったようなものの……」
古泉は「ああ、なるほど」と思わせぶりに微笑んだ。
「今日の件につきまして、少しお話があるのですが、このあと僕の家に来ていただけませんか」
「なんだ、やっぱりなにかまずい事態が?」
「ええ――――」
ちょうど朝比奈さんの着替えが終わり、コンピ研の部室から誰かが出てきそうな気配がしたせいで俺たちはそこで会話を切り上げた。猫耳は素直に外れたし、身体に異常もない。
そうして帰り道、フードは猫耳を隠すためではなく、本来の使用目的どおりに風除けのために使われたわけである。
ハイキングコースの風の強さに肩を竦めていると、古泉の視線を感じた。
す、と距離が狭まり、ハルヒに聞こえないようにか小さな声で問いかけられる。
「ところで、なぜ今日が猫の日とされているのかご存知ですか?」
「2月22日、2が3つでにゃんにゃんにゃん、だからだろ」
11月1日はわんわんわんで犬の日、という豆知識とともに今朝アナウンサーが言っていたからな。
「ええ、そうです。そして涼宮さんは作り物の猫耳で満足し、現実世界に影響は及ぼさない。しかしそうは問屋がおろさなかったようです」
チェシャ猫と同じ物語に出てくる三月ウサギが狂っているとされるのは、野ウサギの発情期が三月ごろであるからだと言う。
よく見れば、古泉の光る目は欲情に赤く潤んでいて、猫というよりも、もっと別のものに似ていた。
「甘い性行為のことを、にゃんにゃんする、と表現することがあるのもご存知ですか?」
……やっぱりお前の家に行くのパスしてもいいか。
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