室内にはバニラオイルのにおいが充満していて、ヘンゼルとグレーテルに出てくる家がそうであるように、空気まで菓子でできているような気分にさせられた。
 その香りに反して苦味のあるバニラエッセンスよりもほとんど無味かつ少量で済むオイルを使うのが主流になった昨今、エッセンスのついた指をうっかり舐めて顔をしかめるなんてことはなくなった。
 ふわんと漂う香りはどこぞの誰かのようにただただ甘ったるい。
 そう思いながら、隣で手持ち無沙汰に突っ立っているそのどこぞの誰かを横目で見る。
 俺の手元に熱心に注がれているべきやつの視線は、なぜか俺の顔面に穴を開けんばかりに固定されており、おい、ちゃんと見とけ。お前が作り方を教えて欲しいと言うから、俺はこうやってケーキ作りを伝授しているんだろう。
 ボウルの中にシリコンのへらをつっこんで、せっかく作った泡をつぶさないように生クリームを切り混ぜる。
 まっすぐ線を引くように入れ、手首を返してぐるんとボウルを半回転。
 へらだけじゃなくボウルも一緒に動かすのがコツだ。
 一回ごとにボウルのふちでへらについた生クリームを落とすのを忘れずにな。
 ああ、あと砂糖を入れると泡は潰れやすくなるから気をつけて、ものぐさせずに分けて入れろよ。
「了解しました」
「ん。じゃあほれ、味見してみろ」
「えっ?」
 きょとんとした古泉の目の前に、クリームの付着したへらの先を突き出す。
「好みの甘さってあるだろ。確認しといたほうがいいから」
「はい」
 それで素直に返事をするのはいいんだが、なにもそのまま素直にへらにかぶりつかんでもいいだろうに。
 顔を上げた古泉の頬には点々と白いクリームがつき、へらには舌の跡。
「お前なあ…スプーンにとるとか色々あるだろうよ」
「え、あ! はい、そうですね」
 今気づきましたとばかりに苦笑する古泉に、ついてるぞ、と手を伸ばそうとして、混ぜてる間にでもついたのか自分の手も汚れていることに気づいて止めた。
 まあいい、こいつもガキじゃないんだ、自分の頬くらい自分で拭くさ。
 そう思ってこちらはこちらで手を洗おうとした瞬間。
「ん?」
 手首を取られて持ち上げられ、古泉の口元まで運ばれたかと思うと、指先についた生クリームを指ごとぺろりと一舐めされた。
「なっ」
 赤い舌の上に白いクリームが載り、やがて口の中に消え、そのまま指フェラのごとくねっとりとしゃぶられる。
 なんだかくらりとするのは、甘い匂いのせいに違いない。
 やがて顔を上げた古泉は、とろけそうな笑顔でのたまいやがった。
「僕としては、こちらの甘さが好みですね」
 ――――そうかい、俺は胸焼けしそうだよ。