昼休み、いつもなら我先にと教室を飛び出して学食へ行くはずのハルヒが席に残っているので、珍しいこともあるもんだと思いながら、オフクロが俺の好物を詰めてくれたという弁当箱のふたを開けた。一緒に食おうぜ、と寄ってきそうな谷口も国木田もなかなかこちらに来るそぶりを見せない。
 ハルヒが椅子に座ったまま、むっつりと口を開く。視線は合わなかった。
「……キョン」
「なんだ?」
 何の気なしに訊き返した声に、涼宮ハルヒの辞書に載っているとは知らなかった言葉が返ってきたときの俺の、未知との遭遇のような驚きをおわかりいただけるだろうか。
「昨日は悪かったわ」
 まさかハルヒの口から俺に対する謝罪が聞けるとは、ん、昨日? 昨日――――……
「あーあーあー」
 俺は心の中でぽんと手を打った。
「なんだお前、そんなこと気にしてたのか。別にいいって言ったろ」
 ハルヒの表情は見る間にほっとした→それをごまかす→切り替えて強気に笑うと変化した(古泉より遥かにわかりやすい)。
「気にしてるわけじゃないわ。言っておかないと気持ち悪かったの!」
 昨日の出来事もまた昼休み、俺が弁当を食べていたときだった。学食に行ったはずのハルヒが、お財布忘れちゃったと戻ってきた。そして机の上に置いてあったマドレーヌを、後ろからひょいと摘まんだのである。なによ、いいじゃないマドレーヌくらい、と言ったハルヒに、まあ別にいいがな、ちょっと他のクラスのやつに調理実習のおすそわけでもらったやつだったんだよ、と俺は言った。同じ中学だった女子で、さっきたまたま廊下で会ったときにくれたのだ。
「……女の子?」「そうだが」「そう……」「それより、学食戻らなくていいのか? 席なくなるぞ」とそんな会話をしたっけか。回想ここまで。
 ハルヒがどこかすっきりした顔で立ちあがった。てことは、ハルヒが俺に言いたかったことってこれか?
「じゃああたし、学食行くから」
 ハルヒが出ていったのにやや遅れて、谷口と国木田が自然と俺のところにやってくる。
「ようキョン、一緒に食おうぜー」
 昼休みの間、俺に告白しようと訪ねてくる女子はもういなかった。


 で、また放課後に、の放課後だ。
 SOS団の活動を終え、俺と古泉は微妙な距離感を保ったまま、帰りの坂道を歩いていた。謝られたくないな、と思っているのが伝わったのか、古泉は何も言わない。一番前を行くのはハルヒと朝比奈さんで、少し離れて本を読みながら歩く長門の横の俺、それから古泉。
「なあ長門、結局今回のは、ハルヒが俺に謝るための土台作りがちょっとおかしな方向に行っちまった、ってことでいいのか?」
「おそらくは」
 長門はこくりと頷いた。
「あなたに告白する人間が多くいる状況下では、自分の謝罪は告白よりもたいしたことがなく、言い易くなると思ったのだろう」
 はあ、なるほどねえ。俺に告白しに来た生徒の顔を思い出せないのは、彼女らが「俺に告白する生徒」という役割を与えられただけの舞台装置であるせいなんだそうだ。それと鞄の中に入っているラブレター、全て無記名だったそれも、本当は実在しない誰かからのものらしい。
「ただそれら恋愛と呼べる好意は、女生徒に限った話」
 ――――ん?
「男子生徒からの好意は、友情の範囲を逸脱していない」
 ――――んん?
「従って、あなたに対する古泉一樹の好意は、元々その素養があったものが今回の影響を受けて顕在化しただけ」
 なんですと?
 長門は速度を上げてすたすたと前に出、ハルヒと朝比奈さんの方へ行ってしまった。とんだ爆弾発言を残して行ってくれたもんだ。
 さて、どうしたものかね。
「……あの」
 それまでずっと黙っていた古泉が口を開いた。
 いつの間にか距離は先ほどまでより縮まっており、声も聞きとりやすくなっている。
「今日、これから僕の家に来ませんか。きちんとお話したいことがあるんです」