居心地が悪い。
 こんな場所に男二人で来ている勇気ある俺たちを揶揄するような、周囲のテーブルからのさざめき。
 「かわいいー」ってなんだ、聞こえてるんだよ。女の子の甲高い声ってのは本人たちが意識してるよりずっとよく響くもんだ。
 アメリカ製の毒々しいジェリービーンズみたいな真っ赤な色をしたチェアはただでさえ落ち着かないっていうのに、つんつん突っつきあってこっちを見、ひそひそ囁いてはくすくす笑い、きゃぴきゃぴとはしゃぐ女子中高生によるからかい混じりの視線やらうっとりした熱視線やらに晒されて、まったく尻のすわりが悪いったらない。
 しかもその熱視線が自分に向けられたものではなく、自分と同席しているやたらと見た目のいい男に向けられていたりすれば、居心地の悪さは最高潮だ。
 おいこら古泉、頬を染めて恥らうのはやめろ。キモイ。
 大の男がしていい表情じゃない。
 そういうのはお前の右斜めふたつ後ろのテーブルのあの清楚なロングの子あたりにしか許されないぜ。
 そりゃ俺だって、このヘンゼルとグレーテルに出てくるお菓子の家のような空間に自分がいるというのは恥ずかしいがな。
「いえ、場所についてはさほど問題ではないんです。それよりも、あなたが僕を誘ってくださったのが照れるといいますか」
 俺にまでお前の赤面をうつすんじゃねえ。
 こういうのは今階段を下りてきた栗毛の美少女あたりにしか許されないんだっつってんだろ。
「だって、二人きりでなんてデートみたいじゃないですか」
 黙れ、これ以上恥ずかしいことをぬかすと問答無用でそのフォカッチャをお前の口の中に突っ込むぞ。
 古泉の目の前には皿が三つあり、そのどれもにフォカッチャやらスパゲティやら炊き込みご飯やらカレーやらが所狭しと乗っている。
 俺のほうもまあ似たり寄ったりで、テーブルの大部分を占拠する取り皿のせいで端ぎりぎりに追いやられている烏龍茶のグラスを落とさないよう気をつけなければならないだろう。
 あーもう、いいからお前も食えよ。
 制限時間は一時間半しかないんだ、俺の金を無駄にする気か?
 食えるだけ食って元を取る、それがバイキングの醍醐味だろ。
 人がせっかく奢ってやるっつってんだから大人しく奢られとけ。
「あ……、はい。いただきます」
 古泉は微笑んでフォークを手に取った。
 銀色のフォークは曲がることもなく、くるくるとスパゲティが巻きついていく。
 さて、俺たち二人の皿には主食と呼ばれるものばかりがチョイスされているわけだが、実はこの店のメインはそれじゃなくて他にある。
 なんせここはバイキングはバイキングでも、スイーツバイキングの店なのだ。
 したがって店の中は制服を着た女性の数人グループが多く、男子高校生の姿など俺たち以外には影も形もない。
 店内に漂う甘ったるい匂いは古泉によく似合っているが、あいにくこいつの連れは同じように甘いものの似合う可愛い彼女ではなく、原色に埋もれそうなこの雰囲気に辟易している冴えない俺だってんだから、イレギュラーな二人組はもう目立つ目立つ。
 それでなくても古泉は人目を引く容姿をしているのだ。
 放課後こいつを誘った自分の行動に今更ながら後悔の念に見舞われつつ、俺もジャコご飯に箸をつけた。
 こんなところに連れてきてなんだが、古泉が甘いものが好きかどうかは知らん。
 ただちょっと、俺には俺の思惑があって、だから恥ずかしいのも我慢してスイーツバイキングなんぞに来ている。
「この店の売りはな、ケーキの種類の豊富さだそうだ」
 古泉の席からなら、俺の後ろのショーケースがよく見えるだろう。
 俺もさっき飲み物を取りにいったときにさりげなくチェックしたが、ずらりと並んだ色とりどりのケーキは壮観だった。売りなだけある。
「確かにすごい数ですね」
 古泉はフォークの手を休めて目を細めた。
 どうやら興味を抱かせるのには成功したようだ、と俺は少し安堵した。
 この様子ならデザートを全く食わないでタイムオーバー、なんてことにはならないだろう。
 そう、俺が古泉を誘い、二人でスイーツバイキングに来ている理由とは、古泉にケーキを食わせることだったりする。

 しばらくは喋るより食うのが優先で、ときどき他愛もない話をふってくる古泉に頷くくらいはするものの、自分から何かを言ったりはせず、ひたすら詰め込み作業に徹した。
 古泉がうざかったとか談笑するのが恥ずかしかったとか一心不乱に食うことで照れを紛らわそうとかあまり言いたくないことがあったとか、さてこの中で正解はどれだろう。一応建前としては、どれでもない、と言っておく。
 それに俺だってもう少し身長が欲しいと願うような、育ち盛り食べ盛りの高校生男子なのだ。栄養は摂取しないとな。
 スパゲティを全種制覇し米類もあらかたの味を試しサラダでさっぱりしたところで、さあそろそろデザートへと移行しようかねと立ち上がる。女ほどではないが別腹を持ち合わせているのさ。
 チョコレートフォンデュの焦げ茶の噴水の横を通ってケーキの棚に行き、新しい取り皿にレアチーズ、ガトーショコラ、抹茶ムースを載せ――――まあこんくらいでいいか、と席に戻った。
 ケーキはひとつひとつのピースが小さく切り分けられており、三口くらいで食いきれるサイズになっていて、種類を楽しむにはちょうどいい。
 古泉はミルクレープとミルフィーユとバナナムースか、見事に激甘のチョイスだな。
「せっかくなので、色々試してみようと思いまして」
 こほん、と咳払いした古泉の言。意外と(でもないのか?)甘党だったんだろうか。
 いつもハルヒの前じゃ無難なものを無難な量しか食ってねえもんな、お前。
 しかしなぜか古泉は、フォークを握り締めたままではいるものの、なかなかケーキに手をつけようとはしなかった。
「あの……ところで、そろそろ教えてくださってもいいと思うのですが」
「あ?」
 俺はレアチーズをぶっ刺したフォークの手を止め、今まさに食おうとしていたポーズのまま古泉のほうを見やった。
 結果、
「う、上目遣いはやめてください」
 と古泉の動揺を誘うことに成功したが、そんなものが成功したところでまったく嬉しくないし意味もない。
 構わずケーキを口の中に放り込み、咀嚼して、コーヒーを飲んで一息つくと、
「で、なんだって」
 これ以上古泉の頬を赤くしても気色悪いだけでいいことなど何一つないので、素直に顔を普通の角度にして尋ねてみる。
 古泉はフォークを操って無駄にミルフィーユをほろほろと崩しながら、
「……今日は、どうして誘ってくださったんですか。なにかあるんでしょう?」
「なにかって?」
「それをお訊きしてるんです」
 それこそミルフィーユのように喜びの中に疑いを混ぜた古泉の表情は、俺の真意を測りかねているようだった。
「あなたがなんの理由もなしに僕を誘うとは考えられませんからね。ましてやあなた、こういう店は苦手そうなのに」
 確かに得意ではないが。
「ねえ、どうしてです?」
 くそ、すっとぼけるのは無理か。
 いや、まあ、別にそんなもったいぶるようなことじゃないんだが、なんとなく照れくさいというか、改めて言うのは若干の抵抗があってだな……。
 正面には、俺の言葉をじっと待つ古泉の目。喧騒が遠くなる。女の子たちの声も耳に入らない。
 思い出すのは先週のことだ。
 やたらとはりきっていたハルヒ、浮かれきったピンクの空気を撒き散らしたり、かと思えば妙に殺気だっていた一部の女子、やけに腐っていた谷口、紙袋を両手に提げて部室に現れた古泉。
 古泉はそこらのモデル顔負けのルックスで、物腰柔らかな敬語キャラで、背は高く、頭も運動神経もよく、教師のおぼえもめでたく、こんな人間がもてないほうがおかしい。出来すぎだろう。
 密かにファンクラブまで結成されているとかいないとか、それはもうかなりもてるのである。
 SOS団なんつう悪名高い組織に属しているというマイナスポイントこそあれど、それでも想いを寄せる女生徒は後を絶たず、実際俺もやつが告白されている現場を目撃したことが何回かあった。
 でもって、その一番最近の目撃が先週だ。
 やれやれ――――と、俺はフォークを置いて頬杖をついた。
「お前さあ、俺に言えよな。誕生日」


 きょとん、あるいはぽかん、か。
 古泉は、そこまで鳩が豆鉄砲食らったような顔をせんでもいいだろうに、と思うようなツラで俺を見返した。
 ……なんだよ。そんな驚くほどのことか?
 俺が憮然と言うとはっとしたが、いまいち我に返りきれていない様子で答える。
「あ、ええと……その、思いもよらなかったものですから。そもそも先週のことですし、すでに祝ってもいただきましたし……」
 ああ先週だ。ハルヒ団長の企画による、SOS団総出のサプライズでな。
 俺はなあ、当日昼休みにハルヒに言われるまで知らなかったんだぞ!
 谷口の「9組のAランクの子が凝ったラッピングの菓子持っててよ、なんだろうと思ったらプレゼントだと。けっ」というぼやきに、俺もかぶせてぼやきたかったぜ。
 おまけに放課後告白の現場まで見ちまって、嫌になるったらねえ。
 いつまで経っても部室にこないお前に業を煮やしたハルヒが、迎えに行けと俺に命じ、プレゼントを渡すのと同時に想いを告げる女の子の姿を見つけたときは、色んなものを呪いたくなったね。
 あらかじめ誕生日だということを知らなかったら、はて今日はバレンタインデーだったっけかと日付を確かめていたところだ。
「他の人間の口から聞かされたときの俺の気分を想像してみろ、確実に正の感情じゃないことくらいはお前にだってわかるだろ」
 俺の不機嫌を感じ取った古泉が、申し訳なさそうに眉を下げる。
「……すみません。でも」
 でも?
「自分から言うようなことでもないかと思って……それに、まるで祝ってくださいと催促しているような感じがしませんか」
 そうだな、お前の言い分もわからんでもない。訊かなかった俺も悪いんだろうさ。
 だから俺の胸に渦巻く複雑な感情の主成分は理不尽な八つ当たりだとわかっちゃいるんだ、が、割り切れるほど大人でもない俺は、やっぱり自分だけは特別だと信じていたのを否定された気がして悔しいというか悲しいというか。
 古泉はストロベリーソースのごとく真っ赤になって俺を見つめた。
「それは……」
 じわじわと喜びの度合いが増していく古泉の表情。
 俺は頬杖をずらして顔を抑えた。だから言いたくなかったんだ、くそ。
 コーヒーを飲んで恥ずかしさを誤魔化そうにも、生憎グラスはすでに空になってしまっている。もっと量を入れておくんだった。
「ああそうだよ、一人でちゃんと祝ってやりたかったんだよっ」
 顔が火のように熱い。
 確かドリンクの側にソフトクリームもあったなと思いながら、俺は開き直ってそう言い捨て、ぎろりと古泉を睨んだ。
 他の人間と一緒くたなんて御免だった。俺は俺個人として、こいつの誕生日を祝いたかったのだ。
 それは独占欲に近くて、早い話が嫉妬だ。
 俺ってお前のなんなわけ、とか女々しいことを言いたくはないが、付き合ってるなら恋人らしいことをしてやりたいとか、……俺だってお前に喜んでもらいたいとか思ったりするんだよ。
「お前は、俺に祝ってもらいたいとか思わないのか」
「あなたに祝っていただけるのが一番嬉しいに決まってるじゃないですか!」
 古泉を見ると、やつの顔は今や喜び一色となっていた。
 その目の前の皿には、ミルクレープとバナナムースが手付かずのままだ。
「食え」
「は」
「いいから食えよ」
「は、はいっ」
 古泉は慌ててフォークを構えなおし、ミルクレープを一口サイズに切りわける。
 あーあ、なんだかんだであと15分しかねえじゃん。
 俺はソフトクリームと飲み物のおかわりを取りにいくべく立ち上がった。決して逃亡を図ったわけではない。
「……誕生日おめでとう」
 早口になってしまったのも、残り少ない時間が惜しかったからだ。





お誕生日おめでとうございました!