前略、母さん。
僕が紐育に来て半年と少し、この異国での生活もだいぶ慣れた気がします。
この国の生活様式だとか、一日のリズム、色々なこともわかってきた……と、思います。
ただ、ずっとそのことに接しているはずなのに未だにわからない謎もあるんです。
それは。
それは、目の前で優雅に小悪魔然と微笑むこの人の性別です。


昴さんが扇をかたむけながら、「ん?」と笑う。
そうです、まだわかんないんですっ!
なんか僕も今更訊いちゃいけないような気がして訊いてないし、かといって昴さんが訊かれないことを自分から気軽に話すことはないし。
ラチェットさんやサニーさんなら知ってるかもしれないけど、本人が話さないことを他の人に訊くっていうのもどうなんだろう。
失礼じゃないだろうか。
僕は昴さんの折れそうなほど細い肩に手を置いた。
「昴さんっ! 僕たちって……!」
「……?」
けれどすぐに昴さんの澄んだ瞳とぶつかって、口をつぐんでしまった。
がくりと意気消沈して手も離す。
「――――なんでもないです……」
「おかしな新次郎だな」
昴さんは扇子で口元を覆った。見えないけど笑ってるのはわかる。
うん、確かに僕はちょっとおかしいかもしれない。
僕たちってどんな関係なんですか、なんて言おうとするなんて。
僕の気持ちはたぶん伝わってると思う。思いたい。
きっかけはラチェットさんの入れ知恵だったとしても愛の告白まがいのこともしたし、周りの人に言わせると僕の気持ちはバレバレで見ていて面白いくらい(僕としては甚だ不本意ながら)だそうだから、昴さんが全然気付いてないってことはないと思うんだけど。
聡明で他人の心の変化に敏い昴さんならなおのこと。
でも、僕たちの関係は全然進展していない。
船上パーティのときに手をつないでダンスをしたところから、まっったく、一寸も進展していない。
キスするチャンスは何度かあるにはあったけど、からかわれてたりお芝居だったり邪魔が入ったりでことごとく未遂で終わってしまったから、つまり「手をつないだ」ところまでしか行っていないんだ。
僕だってやっぱり男だから、好きな人とキスしてみたいと思ったりする……し。
「新次郎?」
知らぬうちに意外と深く考え込んでしまっていたらしい。
気付けば僕の顔を覗き込むようにして、至近距離に昴さんがいた。
「言いたいことがあるならはっきり言えばいいだろう? いつもの君のように、思うがまま……ね」
切れ長の涼しい目に射すくめられて僕は固まった。
ちょっと低めの綺麗な声。そしてその声を紡ぐ唇。
唇――――から、目が離せなくなってしまった。
まるで吸い寄せられるかのごとく、例えば羽虫が焼け死ぬとわかっていても熱く光る炎に惹かれてしまうように、僕もまた取り返しのつかないことをしているとわかっていても止められなくて。
やっぱり今日の僕は、おかしいんだろう。
微熱に浮かされたまま口付けた。
「…………」
少し冷やりとしてやわらかい感触が生まれ、気持ちいい、と思った。
触れるだけだったけれど死ぬほどどきどきしていた。信長と戦った時だってこんなにはどきどきしてなかったんじゃないか。
心臓が破裂して本当に死ぬかもしれない。
数十秒、数分にも思えたそれは実際には数秒にも満たなかったんだろう。
唇が離れた後、昴さんは……なんていうのか、盆と正月が一緒に来た顔、ちがうな、鳩が豆鉄砲を食ったような顔、狐につままれたような顔……うまく言い表すことが出来ない、とにかく不思議な顔をしていた。
僕は急に、ものすごくとんでもないことをしでかしたことに気付いてさっと青ざめた。
「あ、あのっ」
「……」
昴さんの無言が怖い。
僕はあわあわみっともなく慌てた。
「お、怒りましたか!? すみませんっ!!」
「……いや」
「そうですよねやっぱり嫌でしたよね調子に乗ってほんとすみませんっ!!」
「だから、違う。その……」
「へ?」
「昴は言った。新次郎になら、別に構わない……と」
ごほん、と気まずげに空咳をする昴さんの頬は赤かった。
――――可愛い。
「ただ、君にこんな度胸があるとは思わなかった」
昴さんはまた扇子で口元を覆った。もしかして照れてるんだろうか。
僕自身もびっくりしてます、と言いそうになったけどそれを白状してしまうのはなんだか男として情けない気がするしやめた。
代わりに「好きですよ」と言ってみたら、昴さんは……。


結局昴さんの性別はわからないままだけれど、ご褒美をもらえたので良しとしてしまう僕は単純なのでしょうか。
でも、恋する男ってみんなそんなもんじゃないかな、と言ったら母さんは笑いますか。


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