くたくたになって帰ってきたら部屋に昴さんがいた。
「おかえり、新次郎」
今日の僕は何故か色々な用事を頼まれたりして仕事が多くて、一日中あちこちを駆け回ってご飯を食べる暇もないほどで、それこそニューヨーク中を走りつくしたんじゃないかと思えるくらい(まあ、流石にそれは誇張しすぎかもしれないけどね)。
もちろんお腹がぺこぺこなわけだけれども、かといって帰ってきて自分で何かを作る気力も失せていた。
だから軽くシャワーだけ浴びてから寝ようと思っていたのだけれど。
僕は目を軽くこすった。昴さんは消えなかった。
「幻覚を見るほど疲れてるのかな僕。すぐ寝たほうがいいかも」
そうとうやばいとしか思えない。
だって目の前の昴さんは優しく微笑みながら「遅かったな。夕食はいるかい?」なんて訊いてくるんだ。
あまりにもリアルで、本物そっくりだけど、こんな都合のいい現実があるわけない。
それにしても本当にリアルな幻覚だなあ。
僕は疲れのせいもあって、昴さんに抱きつくようにふらふらと倒れこんだ。
「うわ、触れるし……あったかい。最近の幻覚ってすごいんだ」
なんかすごく幸せだ。このまま寝たらきっととてもいい夢が見れるに違いない。
えへへ、お休みなさい……。
「昴は言った。新次郎、何をやっている……と」
「え?」
さっきまであんなにあったはずの眠気が一瞬にして吹っ飛び、僕は、自分の腕の中で頬を染めながら怒っているような呆れ果てているような昴さんの顔をまじまじと見つめてしまった。
いくらなんでも現実感がありすぎる。それに触れている感覚があるということは、実体を伴ってるということだ。
「……もしかして、本物ですか?」
「何をわけのわからないことを。当然だろう」
昴さんの声は耳のすぐ横で聞こえた。綺麗で心地いい声だ。
こんな声で子守歌なんか歌ってもらえた日には数分もしないうちに安らかに眠れること間違い無しだろう。
――――じゃなくて。
「ところで、君はいつまでこうしているつもりだ?」
「こうして……って、わひゃあっ!?」
僕は我に返って慌てて昴さんから離れた、というか昴さんを放した。
半分寝ぼけていたとはいえ、ずっと昴さんに抱きついてたんだ、そりゃあ声が耳のすぐ横で聞こえるはずだよ!
「す、すすすすみません!」
もう完璧眠気なんか跡形もない。昴さんがため息を吐いた。
「で、でもどうして昴さんがいるんですか?」
確かに幻覚と勘違いして抱きついてしまったのは僕が悪いけれど、だって、まさか本当にいるなんて思わないじゃないか。
昴さんはミッドタウンの高級ホテルに住んでいて、ビレッジにある僕の家からは少し離れている。
しかも今は夜だ。結構遅い時間だし、外だって暗い。なのに、帰ってきたら僕の部屋に昴さんがいた。何故?
「昴は言った……やれやれ、と」
昴さんが取り出したのは鍵だった。この間僕の渡したこの部屋の合鍵。
「新次郎がこれをくれたんだろう。まだ寝ぼけてるのかい?」
「そ、それは確かにそうなんですが……あれ……?」
僕が聞いたのは「どうやってここにいるのか」じゃなくて「どうしてここにいるのか」なんだけどなあ。
混乱したままの僕におかまいなしに、昴さんは続けた。
「新次郎、何も食べていないんだろう? 今日は忙しかったみたいだし、夕食の仕度も出来ないほど疲れてるんじゃないかと思ってね。食事を用意していたんだ」
「えっ……本当ですか!」
「こんなことで嘘をついてどうする」
そうですね、昴さんは秘密主義ですけど嘘はつきませんもんね。
「それにしてもよくわかりましたね、僕が疲れてることとか、ご飯食べてないこととか……。昴さんの言ったとおり、今日はもう食べないで寝ようかと思ってたんですよ」
「ああ、それは僕が新次郎をよく見ているからだよ」
「えっ……それって」
昴さんは意味深に笑った。
「興味深い観察対象ってことさ」
ある程度予想はしていたけど、やっぱりからかわれたみたいだ。
昴さんの一挙一動にいつまでも振り回される僕も僕なんだろうけど。
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