「さて、不毛な会話はやめてそろそろ夕食にしよう」
昴さんはパチン、と扇を閉じた。
不毛って……ショックを受ける僕を尻目に、昴さんは台所(ニューヨークだからキッチンと言った方がいいのかな)へと。
勝手知ったる他家のお勝手、なんてジョークを言ってる場合じゃないな。
「昴さん、そんな、いいですよ! 僕やりますからっ。昴さんはお客さんなんですから座っててください!」
僕は慌てて昴さんの後を追った。
「いや、僕がやるよ。新次郎は疲れているんだろう?」
「でもっ」
「ふぅ……。仕方ないな。なら、運ぶのを手伝ってくれるかい」
「そんなのお安い御用です!」
ってあれ、ちょっと待って。なんだか凄く懐かしい良い匂いが漂ってきてるんだけれど。
鼻先をくすぐるそれは、日本で馴染んだ温かいお味噌汁の匂いだった。
ニューヨークで暮らすようになってだいぶ洋食に染まってきた僕の食生活では久しく嗅いでいなかったものだ。
そして昴さんから手渡されたお盆には完璧なる日本食が載せられており、お米なんかつやつや輝きを放っている。
思わず呟きがもれた。
「どうして……」
「ん?」
「あ、いえあの、ひょっとしてこれ昴さんが作ったんですか……?」
炊いたご飯に、豆腐とワカメのお味噌汁。お新香と野菜の煮物。
「そうだけど」
「うわあ、すごいですね! リカが来たときとかにも思いましたけど、料理も上手だなんて、昴さんってほんとになんでもできるんだなあ」
「そう? このくらいなら、そんなに難しくないよ。ああそうだ、無断で調理場を使ってしまったけれど」
「そんなの、全然構わないです」
僕はぶんぶん首を振った。お盆の上の物を傾けそうになって焦って直すはめになる。
「わっと」
「気をつけろ、新次郎」
「は、はい、すみません」
うっかりひっくり返したりする前に、机の上に夕食を避難させた。
せっかくの昴さんの手料理をダメにするなんて、そんな勿体無いこと絶対できるわけがない。
こんなに、こんなに素晴らしい出来なのに。あっそうだ、キャメラトロンで撮っておこう。
記念記念!
いそいそとキャメラトロンを取り出した僕に、昴さんは呆れた口調で言った。
「何をしてるんだ、君は」
「え……その、記念に」
「…………。ほら、早く食べないと冷めてしまうよ」
早く食べないと冷めてしまうのは昴さんの態度もかも。
昴さんの機嫌を損ねたくはなかったので、大人しく撮影を諦め、僕は手を合わせる。
「いただきます」
向かいに座った昴さんも、笑って箸を手に取った。
その所作ですら洗練されて美しい……と思ってしまうのは僕の恋心のせいなのかなあ。
はっ、いかんいかん、見とれてる場合じゃない。
「どうした、新次郎。口に合わなかったか?」
「そっ、そんなわけありませんっ! すごく美味しいです」
「ならいい」
昴さんは食事に戻る。
「でも、これだけの材料、一体どうやって?」
ここはニューヨーク、日本料理の材料を手に入れるのは大変だ。
僕はときどき母さんが手紙と一緒に送ってくれるものもあるけど、それだって梅干や羊羹や緑茶といった、かさばらないで保存が利くものばかりだ。
お米や味噌やその他なんて売ってるのを見たことないし。
日本好きなサニーさんの家にならあるらしいって杏里君は話していたけど。
不思議がる僕に、昴さんは小悪魔の笑みを浮かべた。
「それは、ヒ・ミ・ツ……さ。まあ、サニーサイドと似たような方法、とだけ言っておくかな」
「はあ……」
昴さんの秘密主義は今に始まったことじゃないので、特に追求はせずにおく。
それに、僕のために手ずから作ってくれたって事がなにより嬉しいんだ。
でも、そのせいで浮かれていた僕は、直後とんでもない失言をかましてしまった。
感激のあまり、目の前がよく見えなくなっていたに違いない。
「えへへ、なんか新婚さんみたいですね!」
瞬間。
いつも上品な昴さんが、箸を取り落とした。
箸はからんからんと軽い音を立てて卓の上を転がって止まる。
「調子に……」
いつのまにか昴さんの手には、箸の変わりに鉄扇が握られていた。
「乗るなっ!!」
「わひゃあっ!!」
すごい速度で繰り出される鉄扇を何とか避ける。
失言のお詫びとして、昴さんの頬がピンク色だったのは見なかったことにしておこう。
それから、「昴さん、いいお嫁さんになれますね!」とか言わなくて良かったと心の底から思った。



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