それは1929年、8月の半ばのとても暑い日だった。
ニューヨークの夏は日本と比べると湿気が少なくてじめじめした気候ではないけれど、それでもやっぱり夏は暑い。
高層ビル群の窓がまばゆい太陽の光を反射している。
しかしそれも昼までのこと、日が落ちれば少しは暑さも和らいでくる。
おまけにこの辺りは海が近く、潮風が熱せられた空気たちを攫って行ってくれるのだ。
「みんな、ちゃんとグラス持った?」
ラチェットが周囲の顔を見回す。
リトルリップ・シアターの屋外サロンには星組メンバーが勢ぞろいしていた。
料理のセッティングをようやく終え、人々は手に手にグラスを取る。
「じゃあ……大河君の誕生日を祝って! かんぱーい!」
「かんぱーい!!」
ラチェットの音頭とともにきぃん、とあちこちでグラスどうしがぶつかる澄んだ音が響く。
「誕生日おめでとう新次郎!」
「えへへ……みなさん、ありがとうございます!」
嬉しそうに礼を言う隊長に、隊員たちは祝いの言葉をかける。
この日、大河は20歳の誕生日を迎えた。
成年になった彼のグラスの中のものは今までと違ってアルコールが含まれている。
サジータがシャンパンを一気にあおりながら、新次郎の背中をばしばし叩いた。
「あっはっは、これでようやく新次郎も酒が飲める年になったわけだな!」
「いたっ、いたっ、サジータさん痛いですって!」
「リカは、ジュース! いししししっ。しんじろー、酒ってうまいか? リカも飲みたいー」
はしゃぐリカの横で、ノコがパンくずをかじっている。
「リカはだめだよ! ほら、サジータさん止めてください」
「そうだぞリカ、未成年の飲酒は法の下にアウトだ!」
「むぅ〜。わかった、リカ我慢する」
「うふふ、リカは偉いわね。はい、フライドポテト食べる?」
「食っべるー。さんきゅーダイアナ!」
「ちゃんとお野菜も食べるのよ」
「うっわあ、これおいしー! ほらほら新次郎、これ!」
ジェミニが新次郎の取り皿に肉を山盛りにする。
「うわっジェミニ、そんなに食べられないって!」
「そう? ボクはおいしければいくらでも食べられちゃうけどなあ」
「リカもー! 新次郎、いらないなら半分貰うぞ」
リカの皿に取り分けてやってから、新次郎自身も残りを口に運ぶ。
「あっ、ほんと。おいしいや。これ、プラムさんが作ったんですよね? 流石、お料理上手ですね!」
「きゃっふ〜ん、タイガーったら、嬉しいこといってくれるじゃない! お姉さん、ご褒美あげちゃおっかな〜」
「だ、だめですっ! まったく大河さんったら鼻の下伸ばしちゃって、いやらしいんだから」
「ええっ!? 杏里くん、ぼくが悪いの!?」
「ほら、新次郎飲め飲め!」
「ひゃあ! サジータさん、すでに出来上がってますね!?」
わーとかぎゃーとかいった叫びが聞こえる中で、それらの喧騒から少し離れたところに、
昴とラチェットの二人は立ってグラスを傾けていた。
やれやれといった風に昴がため息をつく。
「まったく……みんな、はしゃぎすぎだ」
「ふふっ、まあいいんじゃない? たまには。お祝いの席なんですもの、少しくらい羽目をはずしたって」
ラチェットの細い指先がグラスをはじく。ワインの赤が揺れた。それと同じものが昴のグラスにも入っている。
昴は液体を一口含んで笑った。
「ほどほどなら……ね」
そのままのとおり「含みのありそうな」昴の言葉に、ラチェットは苦笑で返す。
「そんなこと言って。昴も楽しめばいいじゃない」
「楽しんでいないわけじゃないよ」
「そう? どこかつまらなそうに見えるけど?」
どこかからかうような口調でラチェットは昴を見た。
昴は澄ました顔を変えることもなく「気のせいだよ」と言い、その視線を他の星組(+虹組)に囲まれた新次郎に向けた。
「あら、自覚がないのかしら」
ラチェットの声が聞こえたが、風の生んだ幻聴ということにしておこうと昴は思った。
その辺りを下手に突っつくと藪から蛇を出しかねないという気が昴の方にもあるだけに、触れないでいたほうがいいとの判断の元だ。
自覚なら――――あるさ。
そのとき、明るい声が二人の上から降ってきた。
「ラチェット、昴、飲んでるかー!?」
「きゃあっ! サジータ、かなり酔ってるわね」
「サジータ……その辺りでやめておいたほうがいい」
きゃらきゃらと楽しそうに笑いながら、サジータは真っ赤な顔で昴の肩に手を回す。
「うるっさいなあ昴は。いいからあんたも飲みなって。って、あんたいくつだったっけ」
「…………」
昴が答えないでいると、サジータは自己完結したらしい。
何故か納得したようにうんうんと頷くと、
「まあいっか、今日は無礼講だ無礼講!」
「そーだ、のめのめー!」
きゃははははとリカの甲高い笑い声が続き、ラチェットが慌ててリカの持っていたグラスを取り上げた。
「お酒飲んだのね!? ちょっとリカ、いつの間に! サジータ、あなたも止めないと」
「ええ? ジュースだろこんなの。あっはっは」
「じゅーすじゅーす!」
サジータにばしんばしんと豪快に背中を叩かれながら、ラチェットは痛そうに頭に手を当てた。
この事態をなんとかしようと、とりあえず彼女はリカの手を引く。
「ほら、サジータも。これからみっちりお説教よ」
それから昴を振り返り、意味ありげにウインクし、リカとサジータを連れて向こうへ行ってしまった。
やれやれ、だな。
残された昴は柱に寄りかかるとワインを舐めた。
そう、僕だって楽しんでいないわけじゃ――――ない。ただ、ほんの少し残念なことがあるだけで。
「昴さん?」
かけられた声に顔を上げれば、今日の主役がすぐ側に立っていた。
目がどことなくとろんとしているところを見ると、皆(主にサジータ)にかなり飲まされたに違いない。
「新次郎……ジェミニとダイアナはいいの」
「いや、ははは……実を言うと逃げてきたんです。ほら、あっち」
指された方に視線を向けると、妄想を語りまくるジェミニ、そしてそれに巻き込まれて姫の役を与えられてしまったダイアナが、白熱の演技を繰り広げていた。
どうやら全員がアルコールの恩恵を受けたらしい。
「あの、つまんないですか?」
ふと、新次郎がそう訊いてきた。
「え?」
「あ、いえあの、なんか……そう見えたから、そうなのかなって」
少しろれつが怪しかった。慣れない酒にだいぶ酔っているのだろう。
昴は「いや……」と前置きして、
「ラチェットと同じことを言うんだな、君も。昴は……そんなに退屈そうに見えるかい?」
「え、ええと……昴さん、あんまり騒がしすぎるのは好きじゃなさそうだし」
言いあぐねている新次郎に、昴は片手で髪をかきあげた。
「ほら、残念賞」
新次郎のグラスを持っていないほうの手の中、細長い箱を握らせる。
新次郎が驚いて目を見開く。
「これ……」
「プレゼントだよ。心頭滅却すれば……とはいうけれど、実際暑い日はつらいだろうから、扇子を。ああ、僕のとは違って鉄扇ではないから安心していいよ」
「うわあ……ありがとうございます。大事にしますね」
新次郎は木の箱の感触を確かめるように手に持った。
嬉しそうな新次郎に、自然と顔がほころぶのが自分でもわかって、昴は内心苦笑した。
これでは新次郎を笑えない、僕だって随分現金に出来ている。
「でも、残念賞ってことは正解は別にあるってことですよね? 答え、教えてくださいよ」
「僕がそんなに簡単に教えると思う」
「う。お、思わないです……」
おそらく酒が入っているので感情の振幅がいつもより大きいせいもあるのだろうが、新次郎はたちまちしゅんとなってしまって、昴にとってはその反応がなんだか面白い。
そうだ、こんな日くらいいつもより素直になってもいいかもしれない。
そう思うと自然に口が開いた。
「昴は……少し考えていた。できれば新次郎と二人だけで過ごしたかった……と」
「え!? あの、それはっ」
「もちろん、他の皆が邪魔だとか、皆と祝うのが嫌だというわけではないんだ。ただ、もっと特別な二人きりの時間が欲しかったな、と思うだけ。ふふふ、僕も酔ったかな」
言いながら、昴は新次郎の肩に頭をもたせかけた。
「す、昴さん……からかってるでしょ!」
「さあね」
「もう……」
言葉では怒っているような新次郎も、寄り添う昴を拒もうとはしなかった。
いつにない昴の態度を、酔っているせいだ、と彼は思っているだろうか。
なるほど、酒の魔力とはなかなかのものであるらしい。
まあ、僕がたったワイン一杯程度で酔うわけないんだけどね、と本当はこの場で唯一ほぼ素面であろう人物は笑った。



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