ベストフレンド 友達であるために 3 Side Arisa




ちょっと意外だった。

拓巳が私をこんな所に誘うなんて…。

いつもだったら、会社の近くの行きつけの居酒屋へ行くのにどうしたんだろう。

拓巳が私を連れて来たのは、市内を一望できる小高い丘の上の小さなフランス料理のレストランだった。
ここは雑誌などでも紹介される人気レストランで予約がないととても入れないと聞いている。

突然の予定だったはずなのによく予約が取れたと思う。


「どういうつもり? こんなお洒落なレストランに来るなんて、よく予約が取れたわね。それにお値段だって…ワリカンにしようよ」

「今日は俺の奢りだって言ってるだろう? どういうつもりって…特別な日だからな。ダメ元で電話してみたんだけど、ちょうどキャンセルがあってタイミングよく予約が取れたんだ」

「簡単に奢るって言うけど、その辺の居酒屋とは違うのよ。凄い金額になっちゃうかもしれないでしょ?」

「いいんだってば。ほら、オーダーするぞ。シェフのお勧めコースでいいかな?」

「え…あぁ、うん。いいけど…」

戸惑う私に拓巳は慣れた様子でウェイターを呼びオーダーをしている。
海外への添乗も多いため、こういった場所には慣れているんだろう。
そう言えば、レストランに入るときのさりげないエスコートも見事だった。

だけど、本当にどういうつもりなんだろう。
誘われた時はこんな所へ来るなんて思いもしなかったし、軽い気持ちでOKしたけど、これじゃまるで恋人同士みたいじゃない。

テーブルのキャンドルに浮かび上がる拓巳の横顔が、何だかいつもよりも優しく見えてドキッとしてしまう。
ロマンティックな雰囲気に二人きりは、気持ちを抑えるのに必死な私にとって、かなり苦しいものがある。
胸が高鳴って、苦しくて、いつもと同じように笑えている自信が無い。
どうして? 
なぜ今日に限って、こんな風に私を誘ったの?

あなたがいつか陽歌と幸せになってくれればいいと思っていた。

だけど、それは私自身のせいで全て壊れてしまった。

こんな結果になるってわかっていたら、あの丘を見つけようと思わなかったのに…。

何の為に、あの場所を探し続けていたのだろう。

何故、陽歌にあの場所を教えてしまったのだろう。

陽歌が夢を夢と諦めて、現実世界の拓巳を愛してくれることだけを願ってした事だったはずなのに、全て裏目に出てしまったなんて…。

あなたを悲しませる事になるなんて思ってもみなかった。


ごめんなさい、拓巳。


私の気持ちも知らず、あなたはいつものように明るく話し掛けてくる。


その優しさが辛いよ。


だめだよ。


これ以上優しくしないで。


心があなたを求めてしまうよ。


これ以上私の心を乱さないで…


あなたを愛してしまうから…







「…さ、ぁりさ… 亜里沙。どうしたんだ。ボウッとして」

拓巳の呼ぶ声にハッとして現実に引き戻される。

自分の考えに深く囚われていて拓巳の呼びかけにも気付かなかったらしい。
ダメじゃない、こんな事じゃ拓巳が変に思うでしょう。
いつもどおりの明るい亜里沙でいないと…。

「あ…あははっ。ほら、こんな場所滅多に来ないからちょっと緊張したのかな?」

出来るだけいつも通り明るく振る舞ってみる。

「そっか、ならいいんだけど、こんな場所は嫌いだったかなと思って」

「あ、ううん。そんな事無い。お洒落で素敵な所よね。お料理もとても美味しいし。贅沢を言うなら素敵な彼と来たいわね」

「それって、俺は素敵じゃねぇってことかよ」

「あら、誰もそんなこと言ってないじゃない。スポンサーの機嫌を損ねるような事私が言うと思ってるの?」

クスクスと笑いながらいつもの調子で語り合う。キャッチボールをするような会話のやり取り。
近すぎも遠すぎもしない、絶妙な距離。

拓巳と私だけの特別な距離。この感じがいつだって心地いい。

場所がいつもと違ったって、私たちの距離は変わらない、変わるはずが無い。

拓巳にとって私はいつだって、ベストフレンドなんだから。
この距離を保つ為なら、どんな厚い仮面だって被ってみせるよ。
どんなに切なくても、どんなに悲しくても、あなたの前では笑ってみせるよ。


そう思っていた…


自信があったはずなのに…


その日は私も拓巳も何処かおかしかったのかも知れない。






食事はとても美味しかった。
拓巳が選んだワインも凄く飲みやすくて、普段ワインを飲まない私でも十分に楽しめた。
でも、私には拓巳の考えている事がわからない。一体どうしたって言うんだろう。
以前に、私に彼ができたと拓巳が勝手に勘違いした時でさえ、「奢ってくれたら話す」と言った私を連れて行ってくれたのはいつもの居酒屋だったのに。

食事を終えた私たちはいつも行くショットバーに自然と足を向けた。
拓巳は相変わらずいつもと変わりない笑顔で話しかけてくる。
だけど、話が陽歌の結婚のことになった時、私は胸が痛くてたまらなかった。

拓巳はどうしてそんな優しい笑顔で陽歌の事を話せるの?

『俺はこれでやっとみんなが幸せになれると思っているんだ』

式からの帰り道に拓巳はそう言ったけれど、『それは違う!』と、あの時言えずに飲み込んだ台詞が、再び感情と共に迫り上がってきた。

みんなが幸せになんかなっていない。拓巳は? 拓巳は幸せになっていないじゃない。
どうして平気な顔で陽歌の幸せを願えるの?
まだ愛しているんでしょう?
そんなに簡単に忘れられるはず無いよね?
もしかして、私に気遣っているの?
私があの丘を見つけてしまったから。
陽歌と晃先生を引き合わせる事になってしまったから。
だから、私に気にするなって言いたくて、平気な顔をして見せているの?

やめて、そんな辛い思いを独りで抱え込まないでよ。

私はあなたが好きなのに…。

こんなにもこんなにも…好きで…。

あなたの支えになりたいのに…。




「どうして…今日私を誘ったの?」

「どうしてって…陽歌を肴に飲もうって言ったじゃないか」

「…でも、いつもだったら居酒屋とかでしょう?今日に限ってあんな素敵なレストランで、エスコートまでしてくれて…まるで恋人同士のデートだわ」

「今日は特別だよ。陽歌を失って初めて気付いたんだ。今まで亜里沙にどれだけ支えられていたか。それなのに俺はお前の事解っていない部分も多かったよな。彼氏の事もそうだしさ。…親友なのに俺ばかりお前に頼っているなって思ったら、何かお礼がしたかったんだよ。これまでの感謝を込めてな」

拓巳は私から視線を外すとカウンターの向うのバーテンダーにカクテルを頼んだ。

カクテルが出来上がるのを見つめながら、拓巳はただ黙って氷が砕け小気味いい音を立てているシェイカーの音を聞いている。
自分の前に出されたカクテルグラスを取り上げると、拓巳はそれを私に向かって掲げ、微笑んだ。

胸が鷲掴みにされたように痛くなる。

差し出されるグラスに自分のグラスを合わせると、透明な音が響いた。

「これ、マルガリータね」

「そう、このカクテルを作ったバーテンダーの恋人の名前だったって、知ってた?」

「恋人の? ううん、知らない」

「有名な話なんだぜ。狩猟場で流れ弾にあたって亡くなった恋人を偲んで作ったカクテルだそうだ」

「……悲しい話ね。このカクテルにはそのバーテンダーの恋人への想いが込められているのね」

暫くカクテルを見つめていた拓巳は、どこか遠い瞳で溜息を吐き、グラスをひと息で煽った。
まるでバーテンダーと自分を重ねているような姿が痛々しくて、私は黙ってグラスに口をつけた。
グラスの塩がテキーラと混ざり合い、ライムの香りを纏って喉を焼きながら滑り落ちていく。
恋の香りと涙の味。
悲恋に終わった恋のカクテルが拓巳の気持ちそのもののようで苦しかった。

「なぁ、亜里沙は俺に気を遣っているだろう? 陽歌が晃先生と出逢ったのは自分のせいだと、俺に負い目を感じているよな? それ、止めてくれないか」

拓巳の言葉に私は言葉を失った。

「…俺は陽歌を本当に好きだったよ。でも、だからこそあいつがあんな悲しみや苦しみで曇った瞳をしているのが耐えられなかった。あいつには…誰よりも幸せになって欲しかったんだ」

「拓巳…」

「おまえがいなくても陽歌は晃先生に出逢っていたよ。茜さんの意志が陽歌の中にある限り、晃先生と陽歌が出逢う事は必然だったんだ。誰が何と言おうと彼らは最初から出逢うべくして出逢ったんだ。悔しいけど、俺が入り込む隙なんて無いって、痛切に見せ付けられたぜ」

陽歌の中に生きている茜さん。
拓巳は茜さんが陽歌の中に残した思いを知って本当に切なかったと言った。
みんな茜さんの強い気持ちに呑まれて、自分を見失っているんじゃないかとさえ思う。
陽歌は自分の中の別の女性を愛している男性と結婚して、本当に幸せなのかしら?
拓巳はそんな陽歌を結婚させたことを後悔しないのかしら?

私の心を読んだように、拓巳は私の頭にポンと手を置くと髪をクシャッとかき回して微笑んだ。
それから子どもを諭す様に、とても静かで優しい声で言った。

「晃先生は陽歌の中にいる茜さんを確かに愛してるけど、陽歌を茜さんの代わりにしているわけじゃない。陽歌を陽歌としてちゃんと愛してくれている。
陽歌はちゃんと自分の中の茜さんを認めて心を共有している。彼らは3人とも幸せなんだよ。特異な形で直ぐには理解し難いかもしれないけれど、亜里沙にもいつか解るときが来るよ」

拓巳の言葉が、声が、表情までもがとても優しくて…

それが苦しいほどに愛しくて…

気がついたら、無意識に両手を伸ばして拓巳を抱きしめていた。

顔は見えなかったけれど、きっと驚いて目を見開いていたと思う。

「6年って長かったよな…。ずっと応援してくれたのに、いい結果を出せなくてごめんな。俺の恋を最後まで見届けてくれて…ありがとうな」

耳に近いところで聞えた拓巳の声は低く、擦れていた。
涙は流さなくても、心が泣いているのだと思った。

「拓巳…泣いてもいいんだよ。陽歌が幸せでも拓巳は幸せじゃないでしょ? だったら本音を言って? 辛い気持ちは吐き出さないと苦しくて息も出来なくなってしまうよ」

拓巳にそう言いながらも、その言葉は自分自身の心をも貫いていた。
拓巳への想いが苦しくて息も出来ないくらいで…吐き出したいのにそれも出来ない。
拓巳…あなたが好き…。そう伝える事が出来たらどんなにいいだろう。

「私が支えてあげるから。…お願い、無理に自分を抑えて笑わないで。そんな拓巳を見ているのは辛いの」

私は…本当にどうかしていたんだと思う。

『私が支えてあげる』なんて、いつもだったら決して口にしなかっただろうに…。

陽歌の結婚が私の中の何かを変えてしまったのかもしれない。

陽歌なら拓巳を幸せにしてくれる。そう信じて溢れるほどの想いを封印してきた。

けれど今、心を封印していた鍵は陽歌という存在を失って壊れてしまった。

自分の感情がコントロールできないほど、私の心は追い詰められていたのかもしれない。




心が拓巳を求めてしまう。



あなたを愛してると叫んでいる。



お願い優しくしないでよ。



もう…この気持ちを抑えられなくなるから…。



「亜里沙…今夜は…傍にいてくれないか」




僅かに震える拓巳の声に愛しさが込み上げてくる。

あなたの心を救ってあげたい。

あなたが望むならどんな事だってしてあげるわ。



「うん…いいよ…」



後悔はしないわ。

あなたが私を求めてくれるなら、たとえ一夜限りの事でも…。



拓巳、あなたが好き…



あなたを心から愛している…



あなたの心を私が救ってあげたいの―――




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