目覚めた時、拓巳の腕が私に絡みついていた。
決して離さないという様にしっかりと…
卵を温めるようにふんわりと…
大切なものを抱くように愛しげに…
幸せだと思った。
だけど…拓巳は私を愛しているわけじゃない。
陽歌を想う気持ちに潰れそうな心を支えたかっただけ。
一夜だけの事…
それを望んだのは私…
それなのに目が覚めた拓巳と視線を交わすのが怖かった。
拓巳の触れた唇が熱くて…
拓巳が抱きしめてくれた体が火照って…
拓巳の私を呼ぶ優しい声が耳に痺れるように残って離れない…
『親友』という枠を越えて女の顔を見せてしまったことを途端に後悔した。
一度ついた道は歩きやすくなる。それがどんなに険しい道であっても。
その通りだった。
心が拓巳を求めて暴走を始めていた。
拓巳が欲しい。
拓巳の心が欲しい。
苦しいほどの想いが胸を押し潰してくる。
こんなつもりで抱かれた筈じゃなかったのに
拓巳を癒してあげたかっただけの筈なのに
いつの間にか自分が拓巳をこんなにも求めている。
私はなんて事をしてしまったんだろう。
たとえ友達でもいい。ずっと傍にいたいとそう思っていたのに。
『朝になったら忘れて…』
そう言ったのは私なのに、忘れるどころか今まで以上にあなたを求めている自分がいる。
忘れようとしている自分とは別に拓巳の余韻を何度も引き寄せて抱きしめている自分がいる。
拓巳の心を癒せるならそれで構わなかった筈だった。
失恋の傷を癒す為の行為だと最初から解っていた筈だった。
あなたの心は私に無いと最初から納得している筈だった。
それでもいいと思っていたのに、私は感情を抑えられなくなってしまった。
本当は私が拓巳を欲しかっただけなのかもしれない。
拓巳に抱かれる事で私を女として愛して欲しかったのかもしれない。
陽歌を失ったその心の隙間に入り込みたいと思っていたのかもしれない。
私は…拓巳の為ではなく、自分の為に拓巳を求めていたのかもしれない。
私は最低だ。
親友だなんて言っておきながら拓巳をずっと騙していた。
自分の気持ちを偽って拓巳にウソをついてきた。
親友なんかじゃない。
邪まな心で拓巳の傍に居続けたかっただけの愚かな女だ。
拓巳に会わせる顔なんて無い
このままじゃいけない。
拓巳を忘れるどころか益々愛してしまう。
拓巳から離れなくちゃいけない
これ以上愛してしまう前に…。
拓巳が添乗を控えて忙しいのは解っている。
私に声をかけることが出来るのは、昼休みか仕事が終わる時間を見計らっての事だと思う。
その時間を上手く避ければ、明日に迫った出発までに終えなければいけない仕事を抱えている拓巳には、私に構っている時間など無い筈だ。
昼休みは早めに事務所を出て、拓巳とすれ違いになるようにタイミングを計った。
夕方も帰宅したと見せかけるため、カバンを持って事務所を出てからコッソリ戻って残業をした。
どんな理由があっても、陽歌から引き継いだ今度の拓巳が担当するツアーの仕事だけは、人には触れて欲しくなかったから。
多分これが拓巳の為にしてあげられる最後の仕事だから。
〜♪
突然隣りの席で鳴った同僚の携帯にビクッと過剰に反応してしまう自分に苦笑する。
「バカね。鳴るはず無いのに」
携帯はずっと電源を切ったままだ。見なくてもわかる。電源を入れれば拓巳からのメールが何件も届くに違いない。
多分連絡が取れないことにイライラしていると思う。
拓巳は短気なんだから…。
こんなときなのに、拓巳の行動が手に取るように解ってしまう自分が嬉しいと思ってしまう私は、本当に救いようの無いバカだ。
陽歌…あなたがいなくなったら私と拓巳に繋がっていた糸は切れてしまったわ。
たとえ拓巳が今までと変わらない態度で接してきても、私の心は元には戻れない。
拓巳は男だから一夜の遊びと割り切れるかもしれない。
だけど、私は自分が思うほど大人じゃなかったみたい。
あれは私が望んだ事。
それなのに気持ちは後戻りできなくなっている。
拓巳の顔を見ることすら辛くて、会うどころか声を聞くことすら怖くて出来ない。
苦しいの。
あなたの傍にはもういられない。
『親友』と言う名の厚い仮面は砕けてしまった。
素顔の自分で心を曝け出したまま拓巳に会う事なんて出来ない。
愛している
会えばきっと私の表情はそう語ってしまうだろうから…
もう会えない。
ゴメン、拓巳。
あなたが添乗に行っている間に私はあなたの前から姿を消すわ。
あと1日…
あなたに会わないようにこのまま静かに消えるから…
どうか忘れて…
あなたの前で女になってしまった私の事を。
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