窓から吹き込む夏の風がカーテンを煽り肌を冷たく弄る。
町から離れた山間のこの別荘地は、夏といえど夜になると肌寒さを感じる。
今夜は青白い三日月が空を照らし、夏の夜空を彩る星座達もその美しさに霞んでしまうほど幻想的な夜だ。
窓から射しこむ月明かりに、鏡の中の自分の顔色が一層青ざめたものに見える。
ベッドから身体を起こしそっと自分の腹部に手を当ててみた。
ここに拓巳の子どもがいる
信じられなかった。
朝から目眩がするとは思っていた。数日前から気分が悪かったのも風邪気味なのだと思っていた。
まさか倒れるなんて…。
まかさ妊娠していたなんて…。
『細河さん、あなた妊娠しているんじゃないですかね』
目覚めた時、優しげに笑う年配の医師はそう言った。
私が倒れて、オーナー夫妻がお医者様を呼んでくれたらしい。
まさかとは思ったけれど、確かに生理は遅れていた。
精神的な事や食欲が無くて急激に痩せた事が理由で遅れているのだろうと簡単に考えていたけれど…。
すぐに検査をしましょうと言われ、検査薬を用意してもらった。
結果は陽性。
妊娠…
しかも
倒れた時におなかを打った可能性があり、流産しかねないと、追い討ちをかけるような医師の説明があった。
すぐに紹介状をもらい婦人科を受診することとなった。
すると微量だが出血が見受けられるとの事でそのまま入院を余儀なくされた。
妊娠
流産
拓巳の…子ども?
私はこの子を産んでもいいの?
拓巳に知られるわけにはいかない。
拓巳が知ったらきっと結婚しようと言うんじゃないかしら。
例え私に愛情が無くても、きっと子どもの為にそう言うと思う。
そんなのはイヤだ。
拓巳の人生を狂わせるなんてイヤだ。
子どもの為に結婚するなんて言われるのは絶対にイヤだ。
オーナーは私の入院の事をきっと誰かに知らせるだろう。
身分証明になるものは持っていない。
だけど携帯を調べれば実家の電話番号くらいすぐに判るだろう。
実家に電話をするのならまだいい。
電源を切る事で拓巳からの連絡を断っていた私の携帯は、多分電源を入れると同時に拓巳からのメールが山のように届くだろう。
それを見たらオーナーは先ず拓巳に連絡を取るんじゃないだろうか。
発着信の履歴が一番多くて、しかも電源を入れると何通もメールが届く男なんて…普通は誰もが恋人だと思うわよね。
オーナーがもし、拓巳に連絡を取っていたら、彼は間違いなく迎えに来ると思う。
ダメ、会えないよ。
拓巳に会ったらこの気持ちが溢れて止まらなくなる。
想いを告げてその腕に飛び込みたくなる。
ここを出なくちゃいけない。
拓巳が追ってくるその前に…。
私は腕の点滴を外すと、静かに着替えてそっと病院を抜け出した。
青白い光につつまれる街は、僅かに風が冷たくて、一瞬ぶるっと寒気が走った。
自分を抱きしめるようにして、立ち止まる。
もうペンションにも戻れない。
そっとおなかに手を当てて、赤ちゃんに相談する。
何処へ行こうか、この子と一緒に…。
病院に背をむけ、ペンションとは逆の方向へと向かおうとしたときだった。
「待てよ亜里沙!」
忘れようとしても決して忘れる事の出来ない声が聞こえた。
夢かもしれないと思った。
振り返るときっと誰もいなくて、ただの空耳だったと苦笑するだけだと思った。
だけど…
恐る恐る振り返ったその先には、確かに誰よりも愛しい人が立っていた。
「た…くみ?」
身体が…動かなかった。
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