『大人の為のお題』より【Under study(代役)】
〜きみの瞳に映るもの&ベストフレンド番外編〜
君の瞳に…


「暁。陽歌知らないか?」

自宅と隣接した診療所で診療を終え、リビングへと移動した晃はテレビの前を陣取ってゲームをしている息子の暁に声をかけた。

「あぁ?父さん知らないの?陽歌母さん出て行ったよ」

「……え?でっ…出て行ったって…」

「こんな大きな息子がいきなり出来て、新婚生活もそこそこに父さんが仕事ばっかりしているから嫌になったんじゃないか?結婚1週間で出ていかれちゃ可哀相だよな、父さんも。結婚式も慌しかったし、せめてゆっくりと新婚旅行ぐらい計画してやるべきだったんじゃねぇ?」

テレビから視線をそらさずにシレッとそう言った暁を呆然と見詰める晃は動揺を隠しきれない。
そう言えば昨日、何処かへ出かけたと思ったら血相を変えて帰ってきて、あちこち電話をかけまくっていた陽歌の姿を思い出す。

どうしたのかと聞いても曖昧に誤魔化すばかりで、部屋を追い出されてしまった。



出逢ってすぐに結婚を決意し、そのまま実行してしまった晃は少々不安になってきた。





……まさか、家出?





余りに急いで結婚したからもしかして今になって後悔しているとか?

そう言えば、茜のときも結婚を急ぎすぎて、大喧嘩した事があったっけ。
今更ながらに成長していない自分に呆れると同時に落ち込み始める。

……家出…ってことないよな?

「暁、陽歌はおまえに何か言って出て行ったのか?」

「ん?…暫く帰らないようなこと言ってたぜ」

「しっ…暫く?何処へ行くって言ってたんだよ」

「知らねぇ。すげぇ急いで出て行ったし、よっぽど父さんに嫌気がさしたんだろうぜ。どっかに離婚届でも書いておいて行っていないか捜しておいたほうがいいんじゃねぇか?」

暁の言葉に顔色を変えてバタバタと寝室へと駆け込む晃を横目でチラリと流し見して、ニヤリと悪魔の微笑を漏らす暁。



「バーカ、嘘だよ」


クスクスと笑いを堪えながら日頃からかわれている復讐を果たしたと、今ほどの晃の顔を思い出してみる。

「亜里沙さんを捜しに出かけただけだって。…少しは反省しろよな。新婚なのにほったらかしで陽歌母さん可哀相じゃねぇか。…帰ってくるまで少しは放っておかれる寂しさでも噛締めてろよな」


暁の忍び笑いを含んだ言葉は晃にはもちろん聞こえていなかった。


暁にしてみたら、つい先日まで死別した母、茜を想い続け、自らの死の淵での再会のときだけを願い、思い出の中に生きていた父の姿を思うと、今の姿はとても微笑ましい。

愛する妻の魂との再会だけを望み続けた父の愛情の深さは尊敬に値するものがある。

だからと言っていつまでも思い出の中の住人では茜も浮ばれないだろうと、幼い頃から暁は子供なりに心配していたのだ。



その父が長い孤独と、心の空虚を埋めてくれる相手にようやく巡り逢えたのだ。

その相手が母、茜の魂を宿しているのだからこれ以上申し分のない相手でもある。

陽だまりの中で愛する人と生きる幸福を手に入れた晃を、暁は心から祝福していた。


しかし、仕事の忙しさから、結婚してからも晃は新婚旅行は愚か、ゆっくりと陽歌と過ごす時間すら取る事が出来ていなかった事に、暁は苛立ちを感じていた。
慣れない生活に戸惑う陽歌に対する気づかいが足りないだろうと、晃に対して少々怒りも感じていたときの出来事だったのだ。

全く、我が父親ながら、あの能天気振りには呆れてしまう。ノンビリなのは良いが、もう少し危機感をもったほうがいいのでは無いかと常々思う。

ここぞとばかりにお灸を据えてやろうと暁が動いたのは必然の事だったのかもしれない。



しかし、人当たりが良く、誰にでも八方美人で危機感がないように見えるのは、実は暁も同じなのだが…。



本人は絶対にその部分を認めたくないらしい。












寝室に飛び込んだ晃が見つけたのは、ベッドサイドのテーブルに置かれた一通の手紙だった。

いつも冷静な晃が動揺し、震える手でそれを取る。
暫く考えた後、ようやく気持ちを切り替えたように封を切った。

〜晃さんへ〜

亜里沙が行方不明になりました。捜しに出かけてきます。
2〜3日留守にするかもしれませんが、心配しないで下さいね。
時間がないので直接説明できなくてごめんなさい。
晃さんが余りに忙しそうで、今朝も話す時間が無かったので、申し訳ないけれど帰ってきてからきちんと説明します。
あ、一応暁クンには簡単に説明をしてあります。
では、行ってきます。 

 陽歌



手紙を読んだ晃は脱力してそのままベッドに倒れこんだ。


…そう言えば今朝、確かに陽歌は何か僕に言いかけていたっけ。それなのに、僕は帰ってから聞くよと軽く受け流してしまったんだ。
そっか…亜里沙さんが行方不明だったら、陽歌が飛んでいく訳も納得できるよな。


ホッとした途端先ほどの暁の言葉を思い出してフツフツと怒りが込み上げてきた。

誰が誰に嫌気がさして出ていったって?言って良い事と悪い事があるだろうが。

冷静になれば最初から暁の言葉にも違和感があったと分かりそうなものだったのだが、それに気付かないほど自分が冷静さを欠いていた事を目の当たりにした照れと、暁の策に嵌った事への苛立ちが八つ当たりと言う形で暁に向けられていた。

だが、確かに暁の言った事も一理ある。

晃はベッドに深く沈みこみ、陽歌と出会ってから今日までの事を思い返してみた。


僕たちは知り合ったばかりで互いの事を良く知らない。


いや、正確には僕は…だ。


陽歌には茜として僕と過ごした記憶がある。その為か陽歌は僕の事を何もかも受け入れているように思う。

茜の魂を持ち、彼女の心と愛を共有し僕に真っ直ぐに向かってくる陽歌は僕にはとても眩しい存在だ。

互いを結び付けている『茜』という確かな絆が僕たちの余りに早い結婚を可能にしたのであって、僕自身にとって陽歌はまだ未知数なんだ。



茜であって茜では無い彼女。



僕は彼女に茜の記憶がある事で、どこか安心して甘えていたのかもしれない。



暁はそれを感じていたんだろうな。




手紙を読み返し『今朝も(、、、)話す時間が無かった』との行(くだ)りに胸が痛んだ。


ごめん、陽歌…。結婚したばかりだっていうのに、放っておかれてきっと寂しかっただろうね。



「新婚旅行か…1週間は無理でも連休を利用すれば4日くらいなら何とかなるかな」


陽歌の喜ぶ顔を思い浮かべつつ、晃はカレンダーに目をやった。






もちろんその間も、暁への反撃をどうしようかと策をめぐらせていた事は言うまでも無い。









***






家を出てから陽歌は、かつての同僚たちに一通り連絡をとり、彼女たちから陽歌が行きそうな場所を聞きだすと、片っ端から出かけてみるということを繰り返していた。

誰よりも亜里沙を知っていると思っていたし、自分でも思いつく限りの所へは探してみた。

だが亜里沙が行きそうな所は全て行き尽くしても、亜里沙の痕跡は見つからなかった。

そこで、とりあえず他の同僚に助けを求め、かつて、亜里沙が友人たちと出かけた場所など、これまで亜里沙が歩いたであろう場所を、軌跡を辿るように尋ねて回ったのだ。

それでも成果はなく、今は陽歌のためにあの丘の写真を求めて旅行していた事を思い出し、記憶を引き出しては写真の場所を順に巡ってみているのだった。



家を出てかれこれ三日になる。

亜里沙への手がかりは全く見つからず、亜里沙を心配する気持ちはどんどん膨らんでゆく。

彼女が何も言わずに失踪するなんて信じられなかった。
何故、姿を消す前に何も話してくれなかったのかと陽歌は心を痛めていた。

もしかしたら、自分のことで精一杯だったが故に亜里沙は相談する事もできなかったのでは無いかと自分を責めていたのだ。

更に晃と連絡がつかないことが陽歌を不安にさせていた。

家を出た夜から、何度か携帯を入れたが電源が入っておらず、自宅の電話は話中でタイミングが悪く繋がらなかったのだ。
何も言わずに出てきた事を、晃は怒っているのではないか?だから携帯を切っているのでは無いかと、晃への罪悪感は不安は時間を追うごとに大きくなった。

今日は流石に一度家に帰ろうと決めていた陽歌だったが、最後に訪れたこの場所に何となく見覚えがある気がして、帰る前に少し散策してみようと、記憶の奥底を探るように歩いていた。

今でも時々ふっと、茜の記憶が蘇る陽歌は、この場所も茜と晃の記憶に纏わる場所なのかもしれないと直感で感じていた。


その時不意に、晃と結婚する事を告げたときの亜里沙の言葉が蘇った。

「陽歌、本当にいいの?後悔しないの?」

あの夢を見続けた理由を知って、かなりのショックを受けた亜里沙は、結婚を決意した陽歌に更に大きなショックを受け、何度も後悔しないのかと繰り返した。

「陽歌は夢の中の彼に恋していたんでしょう?それが茜さんの記憶だったというのなら尚の事、陽歌は茜さんの代役でしかないとどうして言い切れるの?」

拓巳の恋を親友として応援していた亜里沙には、それが陽歌にとって一番の幸せなのだと解っていても、結婚の事実を素直に喜べない部分があった。

しかも陽歌と晃は出逢って数日で結婚を決意したのだ。

男性に対する警戒心の強い陽歌には考えられない事でもあり、まるで陽歌の意思ではなく茜の魂に導かれているようで、陽歌を心配する亜里沙にとっては、何もかもが不安要素だった。

「亜里沙…心配してくれるのは嬉しいけど、晃さんは私を代役として見ているわけじゃないよ。私と茜さんは二人で一人なの。彼は私の中で、ひとつになった茜さんと私の魂を愛してくれているのよ」

「そんなのわかんないよ。後悔しないの?晃さんが陽歌より茜さんを愛しているかもしれないのよ?」

亜里沙の言葉に陽歌は綺麗に微笑んで迷いのない瞳で見詰め返すと静かに言った。

「彼が茜さんを愛しているなら、私は幸せよ。だって、私は茜さんなんだもの。私の中には茜さんとして生きた記憶がある。茜さんとして晃さんに愛された記憶もある。私は陽歌であり茜さんでもあるの。一人で二人分の人生を生きているのよ。それがどんなに幸せなことか…この感覚は亜里沙には分からないかもしれない。…でもね……」


ふわりと陽歌に幸せそうに微笑まれ、亜里沙は言葉を失った。




「私はとても幸せなの」



陽歌の迷いのない言葉に、亜里沙はもう何も言えなかった。

「わかったわ。もうこれ以上反対はしないけど、でも忘れないで。私は陽歌に幸せになって欲しいの。だから…苦しい時、悲しい時、迷ったときは必ず私に相談してね?独りで悩まないで。私はいつだって陽歌の味方だからね」






亜里沙の言葉を思い出し陽歌は胸が潰れるようだった。

「亜里沙のバカ…自分こそ苦しい事も悲しい事も相談せずに、悩んだり迷ったりしている様子も見せずに独りで何処かへ行ってしまうなんて…ダメじゃない。そんなの、許せないよ。見つけたらただじゃおかないんだからっ!」


強い口調で言ってみても、心の不安はどんどん増す一方だった。














緑の木々が風に煽られて、サラサラと優しい歌を奏でる。



行き先に目的があるわけでも無いのに、何かに惹かれるように記憶を辿って林道を歩くうち、陽歌はいつしかはっきりと記憶に残っている見覚えのある景色の中にいた。


いつだったか晃と一緒にこの場所に来た事がある。


帰ったら晃に聞いてみようと、陽歌はこの場所を写真に納める為、携帯を取り出した。


―――と、同時に携帯が鳴った。


表示は晃だ。

何も言わずに出て来てから一度も連絡がつかなかった事もあり、叱られるかもしれないと覚悟を決めて携帯を開いた。

「…もしもし?晃さん」

『陽歌、どう?無理していない?』

怒っている様子もなく、むしろ陽歌の身体を心配してくれる事にホッとして緊張が解けた陽歌に、ようやく笑みが戻ってきた。

正直なところ、かなり精神的に参っていたのだ。
不安と苛立ちの中ギリギリの精神状態の陽歌だったが、晃の優しい声を聞くだけで心が癒され凪いでゆくのがわかった。

「うん、大丈夫。私は元気よ」

『そうか、今何してる?』

「え…と、今ねG県の山の中…林道を歩いているわ。電波が悪いかもしれないから切れたらゴメンナサイ」

『随分遠いところまで行ったんだな。何でまた、そんなところに…』

「以前亜里沙が短大の友達と卒業旅行で来た事があるって言うから…。思い出深い場所だし念のため来てみたのよ。無駄足だったけどね」

『そう…。落ち込んでいるんじゃない?無理するんじゃないよ』

「ううん、それよりごめんなさい。何も説明しないで出てきてしまって……怒ってる?」

『いや…。逆に陽歌には謝らないといけない』

「謝る?なにを?」

『…電話でも何だからそっちに行くよ』

「なっ…いいわよ。診療所はどうするの?ちゃんと開けてよね。私のせいで何度も臨時休診にされるのは困るわ」

『クス…何度もって、陽歌と出逢ったあの日一度きりだろう? しかも夕方からの3時間ほどだけだし、あの雨じゃ誰も来なかったさ』

「それでも臨時休診には変わりないわ。これ以上はダメ」

『どうしても話したいから。それに…実を言うと、もう近くまできているんだよね』

「え…?」

驚いていると、少し先に見覚えのある車が停車しているのが見えた。
まさかと言葉を失っていると、携帯で話しながら晃が車を降りて近づいてきた。

『ねぇ、陽歌。この場所は君の知っている茜の記憶の中にある?』

携帯から聞こえる声とは別に、同じ台詞が直(じか)に耳に届くのを、夢でも見ているような気持ちで聞いていた。
唖然とする陽歌に、晃は笑いながら「この距離じゃ必要ないね」と携帯を閉じた。
何故ここがわかったのかと必死に思考をめぐらせて見るが、すっかり混乱している陽歌には見当もつかなかった。

「アハハ…驚いた顔をしているね」

「ウソ…どうしてここが?」

「ん? ここの位置なら陽歌の携帯のGPSで確認したんだ。君が亜里沙さんを探して何処をどう移動していたのか、この三日間の行動を話してあげようか?」

「…っ、まさか、ずっと位置確認をしていたの?」

「うん、まあね。でなきゃとっくに帰って来いって無理矢理でも連れ帰っていたさ。…心配だからね」

「ごめんなさい。心配をかけて」

「いや、それより…さっきの質問の答えが欲しいな」

「質問って…あ、この場所が記憶にあるかって?」

「うん、覚えているのかな?」

「ん…何となく来た事があるなって…」

晃は陽歌の手を取ると森の中へと進んでいった。迷いなく歩く晃の後を必死についてゆくうちに、懐かしい記憶の断片が蘇ってくる。

少し歩いた先に開けた場所があり、そこからの光景に息を呑んだ。

瑞々しい緑に囲まれ美しい清流が水を湛えた、神々しいまでに幻想的な風景が広がっている。

「ここは…」

「桜の季節では無いけれど…綺麗だろう?」

「あ…っ、あの桜の…ここがそうなの?」

「うん…」

晃は陽歌を抱き寄せると、静かに目を瞑った。

風が緑の葉を擽り、クスクスと笑い声のように優しい音を立てて二人を包み込む。

陽歌は瞳を閉じ、自分の中に眠る記憶を引き出し、心に描いた光景を目の前に広がる景色に重ねていった。

降りしきる桜吹雪
目の前にそびえる崖の中腹には見たこともないほど大きな桜の木が大きく両手を広げ、風が吹くたびに枝葉を揺らし、サラサラと優しい音を奏でている。
あの時この枝には満開の桜が花を散らして足元の川面に降り注いでいた。
流れる清流には、たくさんの桜の花びらをまとい光に煌きながら流れていた。

水の流れに緑の葉が漂い揺れる目の前の光景が、あの日散った桜の花びらに重なった。

「桜は散るために咲くんじゃないんだよ。 精一杯咲いて、愛して愛されて、時が満ちた時に散るんだ。…僕は茜にそう言ったんだ」

「うん…覚えているわ」

「茜はまだ、愛することも愛される事も十分ではなかった。だからこそこうして陽歌と一緒に還ってきたんだ」

「うん、そうよ。今度こそ一緒に幸せになるの。私には…あの日伝えられなかった言葉があるの」

「陽歌…?」

「愛しているわ…あなたを誰よりも愛してる。あなたはあの日この場所で、私に「愛している」と言わせたがったけれど、私にはどうしても…本当の気持ちを伝える事が出来なかった」

陽歌の言葉に晃はハッとした。彼女の中の茜が陽歌を通して話しているのだ。

「茜…?」

「ううん、私は陽歌よ。でも茜でもあるの。私たちは二人で一人だから…晃さんは二人分の愛情を受け止めてね」

星を散らしたような黒の瞳。晃はその中に確かに茜が息づいているのを感じた。
長い時を経てこの手に再び還った愛しい女性の魂を、万感の想いを込めて抱きしめる。
陽歌は晃の深い想いを全身で受け止め、抱きしめ返した。

「ずっと一緒よ…晃…」

「ずっと一緒だよ…茜。君はここに残した想いを僕に伝えてくれたんだね。ありがとう」

陽歌の瞳を通して見つめてくる茜に晃は優しく微笑んだ。

それからフ…と表情を悪戯めいたものに変え、少し意地悪に言った。

「……でも陽歌、君には僕に黙って出かけた罰を与えるよ」

「ええっ? そんなっ、だって怒っていないって言ったじゃない」

「怒ってはいないよ。でも心配はしたからね」

「あ…。そ…そうね。ごめんなさい。でも…罰って?」

「僕の全てを受け入れて、茜の出来なかった分まで生きて僕を愛するんだ。そして、僕の愛を最後の一欠片(ひとかけら)まで、全部受け取って欲しい。君の一生をかけてね」


陽歌の中にかつて晃が茜に告げた言葉が蘇る。

あの時、茜は応える事が出来なかった…だけど今は…。

陽歌の中に胸に迫るような熱い気持ちが溢れ出した。
その先に晃の告げる言葉はもう分かっている。
あの時、受け入れたくてもどうしても出来なかったこの場所から、今度こそ手を取り一緒に歩いていけるのだ。

晃が真っ直ぐに陽歌を見詰めて言った。

「拒否する事は許さない」

「うん…」

「抗うことも許さない」

「うん…」

「君に選択権は無いんだよ」

「うん…わかっているわ」

「君に許されるのは、僕を受け入れる事と愛する事だけだ」

「うん全部受け入れるよ。だから…今度こそ三人で幸せになろうね」


「愛しているよ…陽歌」


「愛してる。…晃…」


二人の影が重なり、甘い囁きが時を止める。


瞳を閉じた瞼の裏側に…


あの日散華した桜が舞い上がった






***





夏の朝の清々しい風が丘を吹きぬけ、朝露に僅かに湿った芝生から青い草の香りが立ちのぼる。

まだ朝靄のかかる時間。太陽は徐々にその姿を雲の切れ間から現そうとしていた。

あと少しすればこの丘は金色に染め上げられるだろう。


薄明るい空が徐々に明るく茜色に染まってゆくのを、晃と陽歌は見詰めていた。






あの後も亜里沙を捜し続けた陽歌だったが行方は分からなかった。
一ヶ月以上たっても行方の知れない亜里沙に、もしや事故や事件に巻き込まれたのではないかと最悪の事も考え始めた矢先、無事見つかったとの連絡が拓巳から入ったのは昨日の深夜。
陽歌が朝一番の電車で亜里沙の入院先へと向かう決断をしたのは当然だった。

ようやく見つかったと大喜びの陽歌を見て、実は晃もホッとしていた。
結婚してからひと月半、亜里沙を探す為に留守にしがちだった陽歌に晃は殆ど構ってもらえなかったのだ。
自分も忙しさに陽歌を放っておいた事は棚に上げ、いざ一緒に時間を過ごそうとすると陽歌が構ってくれないという状況に、晃は自分の行いの悪さを戒められた気がして何気に凹んだりしていたのだ。

亜里沙が見つかり陽歌も落ち着けば、少しは夫婦らしく新婚生活がスタートできるのではないかと、密かに甘い期待をするのだった。



「陽歌、本当に送らなくてもいいの?」

「うん、荷物もそんなにないし、駅までだってそんなに掛からないわ」

「でも、せめて駅まで送っていこうか?」

「ううん、大丈夫。朝の空気は気持ちが良いし少し歩きたいから」

「そう…。亜里沙さんの事が片付いたら、今度こそ時間を作って新婚旅行へ行こうね」

「そうね。楽しみにしてるわ。でも…」

「クス…もう陽歌の為に診療所は閉めるなって言うんだろう? わかっているよ。連休の時にするから大丈夫」

「よかった…。じゃあ、行ってきます。拓巳の奴、一発殴ってやらなくちゃ!ああ腕が鳴るわっ♪」


本気で腕を振り回す陽歌に、晃は引きつりながら言った。

「……まあ、拓巳君が怪我をしたら僕が診るから連れて帰って来るんだな。一応覚悟しておくよ」

晃の声は陽歌がバキッと鳴らした指の音と重なった。
苦笑する晃の額を冷たい汗が流れていく。
陽歌に晃の声が聞こえていたかどうかは、定かでは無い。


小さくキスを交わして緑の木々に彩られた緩いスロープを駆け降りてゆく陽歌の後ろ姿を眩し気に見詰める晃に、愛するもう一人の女性の姿が重なる。

いつの間にかすっかり太陽はその姿を表し、木々の間から零れる朝の陽射しが、陽歌と晃にキラキラと降り注ぐ。

夏の朝独特の爽やかな風が木々を揺らし駆け抜けていった。



ふわり…



その時、晃を抱きしめるように優しい風が吹いた。



―― 晃……私は幸せよ ――



茜の残した想いが大気に満ち溢れ、二人の未来を抱きしめるように包み込んだ



優しく甘やかなその香りに愛しい想いが溢れ出す



ああ、そうだね茜。



三人で一緒に幸せを見つめていこう



必ず幸せにすると誓うよ…



君の瞳に…








+++Fin+++



月夜のホタル6万打のキリバンリクエストにやんやん様から頂きました『ホタルシリーズ続編 晃ファミリーのその後!!』です。
陽歌と茜の関係は微妙で、茜を何処まで出すかがとても難しかったのですが、この作品では陽歌と茜の融合を第一に考えました。
この結末に納得のいかない方もいらっしゃるかもしれませんが苦情は一切受け付けませんのでご了承ください。
随分お待たせしましたが、ようやくリクエストにお答えすることが出来ました。やんやん様お待たせして申し訳ありませんでした。
お楽しみいただけると嬉しいです。そして、これからもよろしくお願いいたします。

2006/10/01

朝美音柊花




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月夜のホタル 60000Hits Special Story 〜Special Thanks to Ms.yanyan〜
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