『大人の為のお題』より【指定席】
**LOVERS** 〜BGM〜
夏の夜が更けていく。
あなたの車の助手席は、いつだって私の
指定席だった。
それなのに、今夜はまるで他人のもののように感じるのは、あなたの心が離れてしまっているからだろうか。
切なく悲しい別れの歌がカーラジオから流れ出す。
二人の恋の行方をそのまま映したような歌詞に、車内に妙に重苦しい空気が漂う。
それはまるで、運転席と助手席の僅かな距離に引かれた、見えない境界線のように感じた。
いつも太陽みたいに笑っていたあなた。
あなたの笑顔が少なくなったのは、いつの頃からだろう…。
それに気付きながらも、気付かないフリをしていたのは私。
あなたの視線が目の前の私ではなく、何処か遠くを見つめだした時から、いつかこんな日が来るのは分かっていた。
それでも、少しでもあなたの傍にいたくて…
現実を見るのが怖くて…
別れを切り出そうとするあなたの気配を感じるたびに、必死に明るく振舞って話題を逸らし続けていた。
私のその行動があなたを追い詰めていることにも気付かずに。
だけど昨日、あなたがあの娘と笑顔で話しているのを偶然見かけた時、私の中で何かが砕けた。
数ヶ月前まではいつだって私の隣にあったはずの笑顔。
いつしか私を見つめるあなたから、笑顔が消えていたことにも気付かないほどに、私は自分の事だけに必死だった。
あなたを引き止めることばかり考えて、あなたを想う気持ちは二の次になっていた自分にようやく気がついた。
私達はもう戻れない…。
もう、現実を受け入れるしかなかった。
私が呼び出した時から、あなたは心を決めていたようだった。
何も言わなくても、今日がその日だと、私の雰囲気からも感じたのだろう。
「俺が悪いんだ」と一言だけ言って黙り込んだあなた。
私は黙って首を横に振り、ラジオから流れる哀しい曲に耳を傾けた。
流れるBGMは二人が幸せだった頃に流行っていた別れの歌
あの頃はカラオケで歌っても何も感じなかったのに、今は細い悲鳴のような女の声が、胸を焼くように苦しい。
鮮やかに蘇る思い出が重なり、切ないほどに哀しかった。
空を見上げれば満天の星。
あなたが夏の星座の話を私に教えてくれたのは、去年の夏の旅行の時だった。
あの時はこんな風に別れる日が来るなんて思いもしなかった。
ずっと笑顔で続いていくと信じていた時間は、今も携帯の中で時を止めている。
何が二人を変えてしまったのだろう。
あなたは私は悪くないという。
私もあなたを悪いとは思わない。
多分一時(いっとき)交わった道が分かれていくように、私たちもそれぞれに進む道が変わってしまっただけなのかもしれない。
もう二度と乗ることの無いあなたの車。
こうしてアパートの前まで送ってもらうことも、これが最後。
助手席のドアを開け、「さようなら」と振り返った私の肩を抱き寄せ、あなたは最後のキスをした。
「…元気でな」
あなたは最後に私の大好きだった笑顔で優しく微笑んでくれた。
この笑顔がどれほど大切なものだったか、今だから分かる。
だから私も最高の笑顔で彼を見送った。
あなたの胸に、私との恋が永遠に刻み込まれる事を願って。
部屋で独りになった時、初めて頬を温かいものが伝った。
どうして…泣いて縋ってでもあなたを引き止めなかったんだろう。
どうして…あなたの前では最後まで泣けなかったんだろう。
心も体も、まだこんなにもあなたにを求めているのに。
本当はまだ愛していると、心がこんなにも叫んでいるのに。
夢であって欲しいと願う私を現実に引き戻すのはラジオから流れるBGM…
失っても尚、こんなにもあなたが愛しいと…
もう一度あの頃に戻ってやり直したいと…
細い悲鳴のような女の悲しい歌が耳について離れない。
独りの夜は蘇る思い出が鮮やか過ぎて、寂しさに押し潰されそうになる。
携帯の中の幸せな二人を、思い出を辿りながら一つずつ消していく。
二人で笑った日々の記録が全て消え、最後にあなたの番号を消してから、部屋の窓を開け放ち、少し淀んだ星空を見上げた。
さようなら…
生温かい風が頬を弄り、涙が風にさらわれていく。
悲鳴のような歌は私の涙を運び、夜の闇へと消えていった。
+++ Fin +++
2005/08/30
2009/03/01 改稿
Copyright(C) 2005 Shooka Asamine All Right Reserved.
『大人の為のお題』より【指定席】 お提配布元 : 「女流管理人鏈接集」