春まだ浅い、茜色の空に旅立った君。

その日、僕らの住んだ家の庭の大きな桜の木が、何の前触れも無く一斉に満開になった。
それは君が旅立った事を悲しんで咲いたものなのか
それとも君が命をかけて産み落とした新しい命を祝福したものなのか
あるいは…君が別れの挨拶にと咲かせたものだったのか
僕には今でもわからない。

ただ、ひとつだけわかっていることがある。

あの桜も君が旅立った事を悲しんでいるのだと。

あの日から桜は二度と花をつけなくなった。

『大人の為のお題』より【守護天使】
〜ホタルシリーズ〜
天使の椅子 



僅かに桜が綻び始め、青空に映える薄桃色の花びらが街を染め始める季節、いつも晃は胸が切なくなる。
淡い薄桃色の花を揺らし美しく咲き誇るその風景の中に、桜の花の如く美しく儚く散った最愛の妻の面影をみるからだ。

晃の時間(とき) は茜が逝った朝に止まったまま、今も魂の半分を失い大きな傷を抱えて生きている。
誰もが茜の後を追うのではないかと心配していた晃がそれをしなかった理由。それは彼を支える最愛の息子、(さとる)の存在だった。

その一人息子は今日7歳の誕生日を迎える。

入学式を終えたばかりの暁は新しいランドセルを背負ってみたり、新品の机によじ登ったりと、やんちゃな事この上ない。
しかし、何より健康でたくましく育ってくれていると嬉しく思うのは親の欲目だろうか。
親馬鹿といわれても良い。この子の人生が幸せであればそれでいいと思う。

生まれた瞬間に母を亡くし、母親を知らずに育った暁だが、特にそれを卑下する様子も友達の母親をうらやむ様子も無かった。
晃はそれを母親の双子の姉(あおい)が母親代わりとして傍にいたおかげだと思っていた。

暁はとても真っ直ぐな心で育っている。

それが晃を始め暁を見守り続けた右京(うきょう) と蒼の自慢でもあった。




茜が逝ってから晃は、茜との約束を果たす為、医師になる為必死に努力した。
慣れない育児と勉強を両立するのは容易ではなかったが、晃はできる限りの愛情を暁に注いだ。

それでも、ひとりで子育てをしながら医師になるのは簡単ではなかった。
もともと優秀な上に努力家の晃は、アメリカの大学を20歳で既に卒業していた為、異例とも言われるスピードで医師国家試験認定を受けたのだが、それでも晃が医師として父の病院で働けるようになるまでの間、協力者が必要だった。

そんな晃を支えたいと蒼は自ら暁を預かる事を申し出てくれた。
晃としては身を切られる思いだったが、それでも耐えられたのは茜の遺言でもある『医師になる』事を諦めるわけにはいかなかったからだった。

茜は出産の間際に蒼に一通の手紙に最後の願いを託していた。
彼女が出来なかった『母親の愛情を姉である蒼が教えてあげて欲しい』という茜の想いを蒼は遺言としてだけでなく、暁の伯母として叶えたいと思っていた。

最初は蒼と右京の協力を頑なに拒んだ晃だったが、茜の最後の願いを告げたとき時、葬儀でも泣かなかった晃が初めて涙を見せた。

あの日の事を右京は今でも切ない気持ちで思い出す。

晃のあれほど取り乱した姿も見たことが無ければ、あれほど哀しげに泣く人の姿を見たのも初めてだった。
自分の半身を失い心ごと奪い去られた痛みを独りで抱え耐えていた晃。今でもふと蘇るあの日の光景には胸が潰れる思いになる。

右京にとっても妻の最愛の妹の忘れ形見、そして親友の唯一の心の支えである暁は息子も同然の大切な存在だ。
だからこそ一人娘の杏とはそれこそ兄妹のように育ててきたのだ。


茜が逝き、暁が生まれたあの朝から7年…。

今年の4月6日も暁の生まれた日を祝福するような燃えるような茜色の朝焼けの夜明けだった。

まるで茜が暁の誕生を祝って、生まれた時間に会いに来ているようで、晃と暁は毎年その時間に二人で朝焼けを見る。それが暁にとって亡き母と三人で祝う誕生日の行事でもある。


今年の暁の誕生会は入学祝いと重なった為いつもの年よりも大きなケーキが用意されていて、暁がこの日を楽しみにしていたのをみんなが知っている。

よく晴れた春の午後の陽射しが心地良い事もあって、急きょ場所を高端家の室内から庭へと変更することになり、早く始めたいと待ちきれない暁と杏が大人を急かしてテーブルの飾りつけなどの準備を率先して始めていた。

暁が指示を出し、それに従ってまだ3歳の杏が皿を運ぶ姿にハラハラしつつも小さな二人がせっせと準備を進める姿に思わず全員が微笑まずにいられない。
そのとき、暁が人数分よりひとつだけ多い椅子を持ってきた。

「天使の分だよ」

無邪気に笑う暁に誰もそれを咎めるものはいなかった。

「ねえ、お父さん。今日は天使も誕生日なんでしょ?」

突然の暁の言葉に晃は怪訝な顔をした。
その様子を隣りで見ていた右京は杏を抱き上げながら膝に乗せると暁にも来るようにと手を伸ばしてやる。
暁が右京の傍まで来て両手を伸ばすとそのままフワリと杏を抱いた膝の上に一緒に座らせた。
杏が『さとる〜♪』と擦り寄るように暁の手を握る様は本当に小さな天使が二人舞い降りたようでとても愛らしい光景だった。

「天使の誕生日?確かに暁と杏は俺達にとって天使みたいなかわいい宝物だけど…」

「ちがうよ、右京とーさん。天使が言ったんだ。その天使はね僕が生まれるときに一緒に生まれたんだって」

「暁が生まれるときに一緒に?」

「うん、僕にお誕生日のプレゼントをくれるって」

「へえ、すごいじゃないか。天使からの贈り物なんて」

晃の驚いた声に暁が満足気に満面の笑みで笑った。





刹那…



一陣の風が舞った。



春の香りがするその風はどこか懐かしくて、胸が切なくなる。



記憶を揺さぶるような感覚を追い求めた時、不意に視界の端に何かが飛び込んできた。



ふわり……



淡い薄桃色のそれを思わず手を出して受け止める。





―――!





驚きに目を見開き信じられない気持ちでその場所を振り返り呆然と見つめた。












茜が逝ってから咲くことの無くなった桜が見事に満開の花をつけていた。










「これは……夢なのか?」


呆然とする晃の視線の先を見て右京も蒼も息を飲んだ。



先ほどまで蕾さえつけていなかった桜が一瞬の内に満開になったことに誰もが呆然とした。

全員が目を疑い、夢では無いかとお互いの顔を見合わせたとき、暁が右京の膝から飛び降り桜の木の下へと駆け寄った。


「天使さん。ありがとう。僕ね…一年生になったよ」


暁の行動に驚き晃が駆け寄り、暁を抱きると満開の花をつけた桜の木を仰ぎ見た。
幻覚でもなければ夢でもない。信じられない事だが、ほんの一瞬で何年も咲かなかった桜が花をつけた奇跡にただ、驚愕するしかなかった。

そんな晃の様子を気にする事もなく暁は父を見て満面の笑顔で桜の木を指差す。


「ほら、お父さん。あそこに天使がいるんだよ。見える?僕ね誕生日のお祝いにお母さんに会いたいって天使にお願いしたんだ。そしたら、死んでしまった人に会うのは無理だけど、代わりにお母さんの大好きだった庭に桜の花をもう一度咲かせてくれるって言ったんだ」

「天使は…暁と一緒に生まれたって言ったんだね?」

「うん」

ハラハラと振ってくる桜の花びらに、晃の胸には懐かしい桜の散華する風景が蘇っていた。

胸の中に確信が広がる。

暁をギュッと抱きしめ優しく微笑むと、暁に問い掛けた。

「天使は…茜にそっくりかい?」

蒼と右京がハッと息を飲んだ。晃の言わんとすることを感じたからだ。

「うん、よく似ているよ」

「そう…」

「お父さん…天使は僕のお母さんなの?僕ね、何度も天使に聞いたんだけどそれだけは答えてくれないんだ。『私は天使になったから暁のお母さんにはなれないの』ってとっても哀しそうな顔をするんだ」

「…そう。暁はどう思う?何か感じるんじゃないのか?」

「天使はお母さんだと思うよ。ずっと僕の傍で見てくれていたのを知っていたもの。友達のお母さんみたいにギュってしてくれなくても、絵本を読んでくれなくても、一緒に遊べなくても…天使は生まれたときから僕とずっと一緒にいてくれたもの」

桜の木を仰ぎ見ると暁にだけ見える天使に向かって笑いかける。

「ねぇ?天使さんはやっぱり僕のお母さんだったんだね?」

晃がとても幸せそうに微笑むのを暁はとても嬉しく思った。暁は晃が茜を想うときにこんな表情をするのを知っている。

だから、自分にだけ聞こえる天使の言葉をそのまま父に伝えたいと思った。

「お父さん。天使はねずっと傍でお父さんやみんなの幸せを見ているんだって。ずっと一緒にいるって言っているよ」

「…そう…。天使が暁にそう言ったの?」

「うん、あのねとっても愛しているって言ってるよ」


暁の言葉を合図のように吹いた春風に煽られた花びらが一斉に降り注ぎ、花びらを纏った風が二人を抱きしめるように包み込んだ。


「…あ…かね…?」


一瞬茜に抱きしめられた様に感じた晃がそう呟くと、暁は「天使がキスをしてくれたよ」と嬉しそうに微笑んだ。


「茜はおまえ達の…いや、俺達全員を守護する者になったんだな」

右京の言葉に振り返った晃はどこか晴れやかで幸せそうだった。

「守護天使…か。茜は幸せなんだな。いつだって僕たちの傍で一緒に生きている」

自分を取り囲むように巻き起こるつむじ風が桜の花を舞い上げて茜の心を伝えてくる。
晃を、暁を…ここにいる茜の愛した全ての人を見護っていると…。


「お父さん。天使はね、いつか僕たちのところへ還って来るんだって。それまで待っていて…って言っているよ」

「還って来るって?」

桜の木を見上げ、そこにいるであろう愛しい女性に想いを馳せる。

「うん、いつかきっと僕たちともう一度逢えるって言っているから…だからお父さんも天使を忘れないでいてあげてね」

今生(こんじょう) でもう一度巡り逢える事など無いのかもしれない。
だけど、その魂が生れ変わった時どんなに小さな命の中にでも茜の存在を感じ取れる自信はある。

「忘れる筈無いだろう?逢える日をずっとずっと待っているさ」

フワリと笑った晃の笑顔は右京が数年ぶりに見た心からの笑顔だった。茜の想いが晃の止まっていた時間を僅かに動かしたのかもしれない。

「大丈夫だよ、茜。いつまでも待っているから…必ず僕の元へ還っておいで。たとえ…どんなに小さな命であっても、どんな姿でも構わないから…。君の魂が僕を求めてくれるのであれば…それだけで良いから…」

満開の花の下、君に誓ったとおりに…何度でも君と共に永遠を生きるよ。例えこの命が尽きても、僕が君を愛した心は永遠に生き続ける。
君が逝っても消える事の無い確かな愛が欲しいと言った僕の言葉を君は覚えていてくれたんだね。

晃の心が届いたように桜の枝が風に揺れ、枝から零れんばかりに開いた花が晃に応えるように舞い降り注いだ。

真っ青な澄み渡る空に映える、桜は薄桃色の霞みがかかった様に幻想的で夢の中の風景のようだ。

降り注ぐ花びらと語るように、幸せそうに微笑む晃と暁の姿は右京にも蒼にも家族の絆のようなものを感じさせた。

茜の望んだ家族そろっての幸せな時間…。その一瞬が確かに今ここに存在した。



目を奪われるほどに美しく幸せに溢れた光景だった。



「さとるぅ。おたんじょう日しよう?」

呆然と幻想的な光景に心を奪われていた全員を現実に引き戻したのは杏の声だった。

「あぁ…そうだね。おとうさん。お誕生会始めよう」

そう言うと暁はパタパタと室内へと姿を消し、暫くして茜の写真を持ってくると天使の為と言って用意した椅子の前においた。

「お母さんが天使になった日を一緒にお祝いしてあげるんだ。今日はお母さんの誕生日でもあるからね」


暁の視線の先には茜の微笑む天使の為の椅子




それは暁が生まれたときから繋がっていた絆だったのかもしれない。




「お誕生日おめでとう暁」

先にグラスを上げて微笑んだのは右京だった。

「暁、入学おめでとう」

蒼は母の面影を残す笑顔で暁に微笑んだ。

「茜…天使になった記念日に…おめでとう」

最後に静かにそう言った晃の顔はとても穏やかで幸せそうだった。



「さとる〜おたんじょうびおめでとう♪あんずね、さとるだぁいすきっ」

小さな天使が暁に祝福のキスを贈る。


同時に二人の小さな天使を包み込むようにフワリと舞った桜の花びらに、誰もが茜の心を感じた。


あなたを産んだ事誇りに思うよ

…暁…幸せになって…

ずっとずっとみんなを愛しているよ


―― ずっとずっとみんなの幸せを見つめているからね ――






静かな幸福に包まれた時間がその場を包み込む。







桜はクスクスと笑うように枝を揺らし、そのたびに降り注ぐ花びらは皆を抱きしめるようにヒラヒラと風に舞った。








春まだ浅い、茜色の空に旅立った君。

だけど7年目の今日、君は天使となって僕らの元へと還って来た。

その日、僕らの住んだ家の庭の大きな桜の木が、何の前触れも無く一斉に満開になった。

それは君が還ってきた事を喜んで咲いたものなのか
それとも君が命をかけて産み落とした暁の成長を祝福したものなのか
あるいは…君が再び巡り逢うまで忘れぬようにと咲かせたものだったのか
僕には今でもわからない。

ただ、ひとつだけわかっていることがある。

あの桜も君が還って来ることを望んでいるのだと。

あの日から桜は君を待ちわびるように花をつけるようになった。

 

君が再びこの丘を踏みしめて君の瞳でその桜を見つめる日を…



僕はずっとここで待っているよ。







+++ Fin +++



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本日4月6日は暁の誕生日、そして茜の天使となった日です。
お祝いには少し切な目でしたが、それでも晃ファミリーの幸せを感じてくださると嬉しいです。

2006/04/06

朝美音柊花


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