君の微笑みはいつだって僕の傍にある

例えば吹き抜ける優しい風の中に

例えば降り注ぐ柔らかな日差しの中に

煌く雨粒が太陽を乱反射させあの日の君の笑顔のように輝いている

茜…君の愛した世界はこんなにも優しく僕らを包んでくれているよ

『大人の為のお題』より【乱反射】
〜ホタルシリーズ〜
天使の贈り物 



銀の雨粒が窓を濡らし、大地に恵と潤いを捧げている。

サラサラと優しい雨音が子守唄のように耳をくすぐり、優しい気持ちになるのはこんな情景の中にも茜との思い出を見つけてしまうからだろうか。

晃は窓辺に立ち雨に潤いその色を濃くしている紫陽花の花を見て、懐かしい思い出を引き出してみる。

どんな風景にも、どんな瞬間(とき)にも晃の傍にはいつも茜の笑顔がある。

晃の視線の先には最愛の息子が天使の微笑みを浮べ眠っている。晃は暁の額に貼りついた髪をかきあげながら愛しげに見つめて呟いた。

「眠っていれば天使なのにね。…茜、暁には僕だけじゃダメなのかな?」

小さく吐き出される溜息は雨音に掻き消されていった。

「君がいたら…暁はどんな子になっていたんだろう」

考えても決して何も変わらない

望んでみても決して叶わない。

分かっているからあえて声に出した事など無かったけれど…。

こんな銀の雨が涙を流す日は、幼い君と出逢ったあの日を思い出す。

小さな紫陽花のように雨の中うずくまった少女。

瞳に涙を溜めて、死と戦う恐怖と生きる煌きを教えてくれた少女。

暁はあの頃の君と同じ年頃になったよ。


「君の忘れ形見はやんちゃで、悪戯ばかりして…最近は僕の手に負えないんだ。反抗期なんだろうな。ねぇ?こんな時君だったらどうしただろう?」

答えは無いとわかっていても微笑む茜の写真に向かって呟いてみる。

返ってくるのは静かな雨音と規則正しい暁の寝息だけだ。

「君が傍にいてくれたら…そう思うのは泣き言だよね」

窓の傍に立ちカーテンを僅かに開けると暗闇の中に部屋の灯りを受けて銀の雨粒がキラリと光った。
今夜は君の好きだった星空も見えなければ優しく微笑む月も姿を隠している。

「僕は…一人で暁を育てていけるのかな?だんだん自信が無くなってきたよ」

こんなにも君を恋しく思うのも、自分に自信がもてないのも思い出が迫ってくるような切ない雨音が響くからだろうか。

静かな雨は君の思い出を連れてくる。

孤独な夜は君の笑顔が切なくて…

鮮やか過ぎる思い出を引き出しては愛しさを抱きしめて眠る。

茜、僕は怖いんだ。

暁の成長の早さに僕はついていけない。

僕の心はあの日成長を止めたまま。

君と過ごした幸せな時間(とき)の中に心を置き去りにしたままだから…。




++++    ++++




「晃君、育児ノイローゼ?」


暁に会いたがる杏を連れて遊びに来た蒼は晃の疲れた顔を見るなり、仕事が大変なのかと心配してきた。
晃が悩みを打ち明けると呆れたように大声を出したのがこのセリフだ。

「ノイローゼじゃないよ。ただ、暁が小学校に入ってからどんどん雰囲気や言葉使いも変わっていって…僕は子供の成長の早さに戸惑っているんだ」

「それは暁がちゃんと成長している証拠じゃない。男の子なんだもの小学生になって友達が増えたら、多少乱暴な言葉を使ったり、行動が荒っぽくなったりするのは当たり前でしょう?
急に活動範囲が広くなるのもこの頃からだし…。自分にも覚えがあるでしょう?晃君が悩むような事じゃないと思うけど?」

「最近暁の考えている事もだんだんわからなくなってきたんだ。僕よりも友達といるほうが楽しいみたいだし…。どう接していいか分からない事もあるんだ」

「子育ての苦労が多いのはそれだけ絆が深いって言う事なのよ?
今は晃君も暁の環境が変わって急激に本人も成長している事を受け入れ切れていないのだと思うけど、子育てって後になって思えばその苦しみは、全部一瞬の出来事で、苦しみ以上に癒されている事のほうが多いんだって思わない?」

「ああ…うん、そうだね。確かに辛い事も多いけど、救われる事はもっと多いな。
暁の寝顔を見るとなんだか元気になれるんだ。茜が暁を残してくれた事を本当に感謝しているよ。
だけど、時々思うんだよ。暁は母親がいなくても幸せなのかな?茜がいたらどんな風に育っていたのかなって」

「晃君…」

「茜と一緒に暁を育てたかったよ。毎日少しずつ成長していく暁を見つめて他愛の無い話をするんだ。そんなささやかな願いも、自分の息子を抱きしめるという夢も、僕は叶えてやる事が出来なかったんだ」

「晃君…茜はちゃんと子育てしてたじゃない」

「え…?」

「どうして暁が生まれたその日を誕生日だと思うのかな?それは男の人の考え方だと思うわ」

「生まれた日が誕生日じゃない?」

「そうよ。魂の欠片(かけら)が芽生えたその日が暁の誕生した日なのよ。茜はね、ちゃんとその日を知っていたのよ」

「暁の宿った日を知っていたって言うのか?」

「そうよ。晃君に妊娠の事を告げたのは悪阻が始まってからだったかしら?あたしには命が芽生えたのを感じたその夜にすぐにメールしてきたのよ。
茜は晃君が反対するのを分かっていたからなかなか言い出せなくてね。随分悩んでいたのよ。赤ちゃんが出来たのを隠しているのは嘘をついているようで心苦しいって言っていたわ」

「それって…いつ?」

「晃君が茜に指輪をプレゼントした日よ。茜のメール見たい?」

「あるの?見せてくれる?」

「保存してあるから、後で転送してあげるわね。
ねぇ、晃君わかったでしょう?暁は茜の体内で産まれるその瞬間までしっかりと愛情を受けてきたわ。赤ちゃんがおなかにいるときから女性の子育ては始まっているのよ。命が身の内に宿ったその瞬間からね」

「僕が指輪をあげたあの日から茜はずっと暁を身体の中で意識していたのか?」

「そうよ、茜がどれだけの愛情をおなかの中の暁に注いできたか…。それは晃君が誰よりも良く知っているでしょう?」

「ああ、そうだね。知っているよ」

晃は静かに目を閉じると在りし日の茜の姿を目のまえの光景に重ねていった。

ソファーに座り大きく膨らんだおなかに愛おしげに微笑み語りかける茜。
おなかを蹴る赤ちゃんの様子が知りたくて、茜が『動いた』と言う度に飛んでいって茜の示す部分を触った思い出が胸に鮮やかに蘇ってくる。

あの時晃は漠然とした未来を夢見ていた。
赤ん坊が生まれたら茜と三人で暮らしたいと淡い夢を見て、母子共に無事出産を乗り越えてくれる事だけを願っていた。

茜が母親として暁を抱き、幸せに暮らす姿だけが、母としての姿だと思っていた晃は、茜が既にあの時母親としての自覚があり、おなかの暁に母として接していたと言う事実に衝撃を受けていた。

そのことに晃は言い知れない感動を受け、愛しさと切なさで心が震えて止まらなかった。

「僕は…覚えているよ。茜がおなかに語りかけながら、子守唄を歌っていた事。僕と茜と赤ちゃんとで三人で生きたいと夢見ていた事。あの時、茜はちゃんと母親として子育てをしていたんだね」

「そうよ。茜は幸せだったと思うわ」

「…そうだといいね。蒼。それでも僕はやっぱり茜と一緒に悩んだり、喜んだり、成長の過程を共に楽しんで、子育てをしたかったと思うよ」

そう言うと晃は誰かの姿を求めるように窓の外を見つめた。
いつの間にか雨は上がり太陽が雲の隙間から覗き始め、雨の名残の水滴が輝いている。

雨上がりの太陽をいっぱいに乱反射して、部屋へ光の粒をキラキラと注いでいる雨粒が、あの日の茜の笑顔を思わせ思わず眩しさに目を細めた。

君の微笑みはいつだって僕の傍にある。

例えば吹き抜ける優しい風の中に

例えば降り注ぐ柔らかな日差しの中に

命の宿る全ての中に僕は君を感じることが出来る。

なのに君に触れる事は叶わなくて、だから僕はいつだって君を求めてしまうんだ。


君の代わりに抱きしめる暁はどんどん僕を置いて大きくなっていく。

だから僕は、不安で君を再び失ってしまうような気持ちになってしまうのかもしれない。

大気に君を感じる時にいつも思う。どうして君はこんなに優しくて強いんだろうね。

それが母親って言うものなのかな?僕は父親なのに、泣き言ばかり言っている気がするよ。


―― 晃…大丈夫。あなたなら立派に暁を育てられるよ ――


茜の声が聞こえた気がしたのは気のせいだったのかな


いや、きっと気のせいなんかじゃないよね?

僕が迷ったり、苦しい時には、君はきっと僕の傍で見つめていてくれるんだろう?

きっとハラハラしながら僕に何かを訴えているんだろうな。

茜。僕は君がその身で育んだ命を大切に育てていくよ。

だから僕をずっと見守り支えていて欲しいんだ。

君はいつだって僕の傍で一緒に暁を育ててくれているんだろう?

分かるよ。だって瞳を閉じればいつだって君を感じることが出来るのだから。






その夜、晃は蒼から一通のメールを受け取った。

その文面に茜の想いを見た晃は涙を堪える事が出来なかった。


=蒼へ=

私は今とても幸せです。

今日、私の身の内に命が吹き込まれました。

金色の光が体内に吸い込まれていくイメージがあって、すぐに分かったの。

私の中に晃の子供が宿ったって。

晃は反対するだろうから、まだこの事は告げていません。

でも彼がどれだけ反対しても産むつもりです。

私が逝った後も、晃が一人寂しくないように…。

私が消えた後も、晃が私を忘れないように…。

晃と私の愛を受け継ぐ子を大切に育ててきっと無事に産んでみせる。

たとえこの子を産むことで私の命の灯が消えてしまう事があっても、私と晃の愛が永遠に受け継がれていく事が私には何よりの幸せです。

自分の手で育てられないかも知れない子供を産む事はずるいと思いますか?

たとえ誰かがそう言って批判しても、それでも私は晃を愛した証しを残したいの。

私の身の内で大切に大切に育てるから。

私の命と愛の全てをこの子に託して逝くから…。

だから蒼も反対しないで祝福してくれるよね?

ねぇ?蒼。私の人生は短くても、誰よりも幸せだったとあなたは分かってくれるよね。

晃は私の夢を全て叶えてくれた。

ひとつは、愛する人の妻になる事

ひとつは、愛する人の子どもを授かる事

決して叶えられないと諦めていた夢が今この手の中にある

私に残された時間は短いけれど、それでも一瞬一瞬が私にとってはとても輝いていて、幸せに溢れています。

この子が天使となってみんなを幸せに導いてくれる事を願っています。

せめて、この子を腕に抱いて子守唄を歌うまでは…命を繋げられるよう頑張ってみます。

最後まで私たちを見守っていてください。

=茜より=




『晃と私の愛を受け継ぐ子を大切に育てて(。。。。。。)きっと無事に産んでみせる(。。。。。。)。』

その微妙な言葉の言い回しに茜の痛いほどの気持ちが込められていてその切なさに込み上げてくるものを止める事が出来ない。

産んでから育てる事が叶わないと、このとき茜は既に分かっていたのだろう。

それでも君はその身を削って大切に育んだ暁を自らの命と引き換えに産み落とし、僕に最愛の宝物を残してくれた。

ありがとう。君の贈り物には本当に救われているんだ。感謝しているよ。


君が逝った後も尚、僕の心に鮮やかに残るものがある。

それは小さな煌きだけど、何ものにも変えがたく、僕の心に温かな火をともし続ける。

時に太陽のように眩しく、時に月のように静かに、時に風のように涼やかに僕に愛情を降り注いでくれる君が残した想い。

それらはこの世界の命の全てに溶け込んでいて僕らをいつだって護ってくれるのが分かるよ。

ほら…君の愛した世界はこんなにも優しく僕らを包んでくれている。


僕はそれを感じる事が出来るから生きていられるんだ。


そうだね、茜。


ずっと一緒に暁の成長を見守っていこう。


暁が大きくなって君の面影を抱きしめる事が出来なくなるのは寂しいけれど


君が僕を抱きしめてくれるならそれでもいいかな。



ほら、今だって君が微笑みかけてくれるのをカーテンを揺らす風の中に感じるよ。



―― いつだって、あなたの傍にいるよ ――



フワリとカーテンを揺らした風が晃を優しく包み込み



何処かから茜の香りを運んできた。







+++ Fin +++




本日6月28日は晃の誕生日です。晃、誕生日おめでとう。
茜が逝って7年。暁も小学生になり彼は子供の成長の早さに戸惑います。
晃が独りで暁を育てていく過程で、何度もぶつかったであろう障害が、暁の反抗期です。
響、龍也と友人になると暁の心はどんどん親より友人へと流れ、晃から離れて行きます。
その不安が今回の話となりました。育児ノイローゼは言いすぎだね蒼ちゃん(笑)
ちなみにこの時暁は入学からもうすぐ3ヶ月になる頃です。ちょうど『ETERNAL FRIENDS』で龍也と友達になろうと悪戦苦闘している時期で、暁も父親をかまってやるどころじゃなかったようですよ(笑)
朝美音柊花

2006/06/28

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