『大人の為のお題』より【狙い撃ち】

Sweet Dentist番外編〜背筋も凍る夏の夜〜





人の努力というのは、時に思わぬ副産物を生み出す場合がある。

俺がこの目で見たのは、まさにそれだと思う。

鍛錬ってのはすげぇよな。人間を超人にもするんだからさ。

だけど、アレには本当に参った。

まさか、自分の奥さんにあんな超人的な能力があったなんて…


千茉莉はとにかく考えるより行動。
何でも実行して習得していくタイプだ。
幼い頃から父親の後を継ぐため、彼女なりに色んな努力をしてきたのだと思う。
そして、いつしかアレを習得したらしい。
しっかし…

腕っ節が強く、どんな相手にも引かないこの俺が、アレにはマジでビビったよなぁ。

何度思い出してもあの夜の出来事は、ちょっとした怪談話よりも背筋が寒くなるものがある。




それは、夏の日の夕刻。
千茉莉が夕食の準備をしているときのことだった。
新米主婦の千茉莉は、お菓子を作るのは上手いが、料理の腕はまだまだで、一人暮らしの長い俺のほうがレパートリーも多い。
基本的には彼女が作るのだが、時間のあるときは俺も出来るだけ一緒に手伝うようにしている。

そして、味見と称して、ついでに千茉莉を構ってしまうのも楽しみの一つだ。

え? 何を味見しているって?

まあ…新婚さんって事で、その辺はノーコメントな?

だって、愛妻が可愛いエプロンで一生懸命俺の為に慣れない料理を作っている姿というのは、オトコゴコロを擽るものがある。
ついついギュッと抱きしめたり、キスをしたりして、邪魔しちまうんだよなぁ。
で、怒られたりするんだけど、千茉莉だって満更でもないんだぜ?
だって、怒っている割にはキスしても逃げないし、あれこれされるがままだったりするしさ…

だから、いつものように彼女を後ろからギュッと抱きしめたんだ。


「ち〜ま〜り。何作ってるんだ? 手伝おうか?」

「シッ! 黙って」

「…へ?」

振り返る彼女の視線はいつになく鋭く、見たことがないほど冷たかった。
ピンと張り詰めた雰囲気に、思わず抱きしめた腕を緩め、数歩下がって壁に張り付く。

――刹那…

「成敗っ!」


シュン!

――ドスッ★

ビィィィィィィン……



一瞬何が起こったのか分からなかった。

千茉莉が凄い速さで動いた瞬間、風を切る音が耳元を掠めた。
銀色の物体がすごい勢いで飛んできて、俺の数センチ横にドスッと鈍い音を響かせて突き刺さった。

背筋を冷たい汗が伝っていく。

びぃぃぃんって…なんだぁ?
これって包丁?

何でだ? そんなに抱きしめられるのが嫌だったのか?
成敗って…俺、成敗されるほど嫌われたのか?

何がいけなかったんだろう?
もしかして、昨夜の愛し方が足りなかったのか?
それとも、せっかくの休日に出かけたいという千茉莉のリクエストを却下して、イチャイチャ過ごしてたのが気に入らなかったのか?
それともそれとも…

考えれば考えるほど落ち込んでくる。

成敗って…離婚ってことなのかなあ?

包丁が飛んでくるくらいだから、殺したいほど怒ってんのか?


……千茉莉がそんなに怒るようなこと、いつしたんだろう?


いつものクリッとした大きな目は、冷たく細められ、眉間には深く皺が刻まれている。
ユラリと怒りのオーラを滲ませて、一歩一歩ゆっくりと歩いてくる千茉莉からは、殺気が滲み出している。


こっ…こえぇ…。


壁につきたてられた包丁をグイッと引き抜き、その切っ先を見つめる目には、優しさの欠片もなかった。

初めて見る俺の知らない千茉莉の表情(かお)。
その冷たさに、全身の血が凍りつくのを感じた。


「チッ…外したか」

おっ…俺、殺されるのか?

理由はわからんが俺が悪かった。
もう眠いと言ったらちゃんと寝かせる。
朝っぱらから強引に押し倒すことも絶対にしない。
どこへでも連れて行くし、晩飯も俺が作る。
マッサージだってしてやるし、掃除も洗濯も全部俺がする。

だからいつもの千茉莉にもどってくれよぉ〜っ!


「ちっ…千茉莉? あのさ…」

「シッ! 黙って」

はい。ゴメンナサイ

千茉莉は全神経を逆立てて俺を睨んでいる。

彼女をここまで怒らせてしまったのなら、殺されても文句は言えないと観念した。
せめて死ぬ前に、理由くらい聞いておきたかったなぁ。

俺はこんなにお前を愛しているのに…

お前の気持ちって、その程度だったのかよ…


「千茉莉…愛してる…」
「覚悟っ!」


俺の最後の告白を掻き消す千茉莉の冷たい声。
ドスッと鈍い音がして、手にした銀の刃が突き立てられた。


痛みはないが、全身の血が引いていくのを感じる。



「千茉莉…愛してたよ。お前に殺されるなら本望だ…」



「何言ってんの? 響さん」




――え?




あれ? 生きてる?

ってか、どこ刺されたんだ俺?

ゆっくりと凶器の行方を追った俺は…

マジで死ぬほど驚いた。


鈍い銀色に輝くそれは…


俺の股下5cmの壁に突きたてられていた。

あっぶねぇーっ!

つか、こんなところに普通突き刺すかっ?

「ちっ…千茉莉? これはどういう…」

動揺する俺を他所に、突き立てられた包丁を抜くと、その切っ先を俺の鼻先へと向ける。
今度こそ胸を刺されるのかと、一瞬ビビったが…

その刃先には既に先客が無残にも体を貫かれていた。

目にも止まらぬ速さで移動し飛ぶことも可能。
黒々と光る油ギッシュな艶は十分すぎる不快感で人間を威圧する。
殺虫剤でもなかなか死なない兵(つわもの)。
太古から不屈の生命力をもって変わらぬ姿で生き続けているといわれている生命体、ゴ●○リ。

千茉莉がさっきから睨んでいたのはこいつか?

俺じゃなくて?

って事は、別に昨夜が激しすぎたから怒ってるとかじゃなくて?
朝から押し倒されたことを根に持っているんでもなくて?
どこにも出かけずイチャイチャ過ごしていたことを不満に思っているわけでもないのか?

はあぁぁぁ〜良かった。

嫌われたんじゃなかったんだ。

つか。おいゴ●○リ! なんつートコロを歩くんだ?
あんなトコロを狙い撃ちされたら、千茉莉を愛してやることも、子孫を残す事も出来なくなるところだったじゃねぇかっ?


「ごめんね、ビックリした? ほら、あたしんち食べ物を扱っているじゃない。だから、凄く敏感なのよ、アレに。
あんなのがお店に出てきたら大変なことになるでしょ?だから、見つけたら瞬時に抹殺するのが身についちゃってね。
とりあえず手にしたものを投げるクセが…。驚かせてごめんね」

だからって、手にした包丁を投げつけるのはやめろよな?

「まぁ…とりあえず俺も怪我はなかったし、子孫繁栄にも支障がなかったみたいだし良いけどさ、今度またこんな事があったら、本当に子どもが出来なくなるかもしれないだろ?」

「は?」

「だからさ、今のうちに子作りとかしておくべきじゃねぇ? 俺たち」

「はぁ?」

「とりあえず夫に迷わず包丁を投げつけることの出来る千茉莉の愛情を確かめてから…だけどな。覚悟は出来てるんだろ?」

これまで、ケンカでナイフを突きつけられても眉一つ動かさなかったし、暴力団のボスにもビビらなかったこの俺を、あれだけビビらせて、心の中だけど思いっきり謝らせやがって…

ったく、メチャクチャ恥ずかしいじゃねぇかよ。


すげー紛らわしい事で振り回してくれた詫びは、たっぷりしてもらうからな?


もう眠いと言ったらちゃんと寝かせる…なんて言葉は撤回だ。満足するまで絶対に寝かせねぇしっ!
朝っぱらから強引に押し倒すことも絶対にしない…って、あれもナシだ。朝から貪り喰ってやるっ!

でも考えてみたら、千茉莉のアレを抹殺するときのスピードっつったら、凄かったよなぁ。

日々の鍛錬が千茉莉をここまでのゴ●○リキラーにしたって事は、これ以上鍛錬されたらどうなるんだ?
そのうち箸で蝿をつまんだりとか出来るようになるんじゃねぇか?
その場合、夫婦喧嘩をするのは命に関わるかもしれないと、かなり真剣に対策を考えた俺は…

その夜、夫婦の主導権が俺にあると刻み付けるように激しく千茉莉を抱いた。

内心は、頼むからこれ以上超人にならないでくれと、かなりヘタレな思いを胸の奥底に隠しながら。

ギブアップを告げる千茉莉を無視して、意識を失わせてしまってから、ふと思う。


あー…やっちまった。

目が覚めたら、怒るだろうなぁ。

今度こそ俺に向かって包丁が飛んで来たりして?


まさかな?


ははははは…


明日の朝、俺、生きていられるかなぁ?






+++Fin+++

2007/09/06

この作品はいつも私によきアドバイスをくれるお友達
素敵な紳士のBさんへのお祝いとして書き下ろしました。
一周年おめでとうございます。
これからも宜しくね。

朝美音柊花

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