**Anniversary**




「なあ、雪乃?明日って何の日だっけ?」

週末いつものようにあたしの部屋に来た誠はカレンダーの赤丸を見ながらぼんやりと聞いてきた。

「わかんない?」

あたしは冷たく答える。

「ん〜〜?おまえの誕生日?」

「……あんた、何年あたしと付き合ってる?」

「ん〜〜?5年かな?あ、そっか。先月誕生日だったな。」

あたしは大きな溜息を付いて、呆れたように目を伏せる。そこまで分かっていて何で気付かないのよ。 この男の鈍感さっていったら、きっと恐竜並みだろう。

「ねえ?恐竜ってサ、足を踏まれても感じるまでにすんんんんごく時間がかかったんだって。体のわりに神経系が発達してなかったみたいでさ、脳に痛みが到達するまで時間がかかったらしいよ。」

「ふうん。だから?」

「…べっつにぃ。思い出しただけ」

あんたの事言ってんのよ。そう心で毒づきながらシャワー浴びてくる。と部屋を出る。

あのまま部屋に居たら泣いてしまいそうだった。

あいつにとっては、10月7日は記念日でもなんでもないんだ。
お風呂に飛び込むと涙を隠す為、コックを全開にして熱いシャワーを頭から一気に流していく。
頬を伝う涙と共にこみ上げて来る嗚咽をあたしは必死に飲み込んでシャワーの音でかき消した。

なんで分からないの?あたしたちが付き合いだした日じゃない・・・。

誠と出会ったのは20才の時。成人式の日に会場まで友達の彼が迎えにきた時に一緒に連れて来たのが誠だった。
その日一緒に食事に行ったのが切っ掛けのどこにでもあるような出会いだった。
それからは友達として、半年以上一緒に遊んだりしていたけど、付き合うとか考えた事は無かった。

誠は結構もてたし、女友達はあたしだけじゃなかったのを知っていたから。

だから、あたしの21才の誕生日に付き合って欲しいと言われた時は正直、意外で驚いてしまった。
最初はからかわれているのかとも思ったし、本気じゃないと思っていたけれど誠は本気だった。
毎日毎晩電話やメールをしてきて告白してくる。
一緒にいても今まで見た事も無いくらい真剣な表情で何度も告白してきた。

それから半月後の10月7日、あたしはお付き合いにOKした。
彼のあたしを想う真っ直ぐな気持ちがわかって嬉しかったから。
彼の真っ直ぐな瞳に、あたしも惹かれ始めていたから。

それから5年間付き合って、あたしは先月26才になった。
実家の親からはいい人がいないのかと結婚の催促もうるさく言われている。


明日のカレンダーの丸印。誠が気付いてくれたらすっぽかそうと思っていた。





明日は…実家で用意したお見合いの日だ。





誠から付き合ってほしいといったくせに一度体を重ねてしまうと、あいつはとたんに態度が大きくなった。

友達の頃なら気遣ってくれた事や、優しかった事も、どんどん俺様になって・・・いつの間にかあたしの気持ちのほうが誠よりもずっとずっと、上回ってしまっているように思う。

誠は、あたしのことどう思っているんだろう?

26才の誕生日に結婚の話でも出るかも・・・とか、淡い期待を抱いていたあたしの気持ちも知らず、花束どころかケーキの一つも用意してくれなかった誠。

それどころか残業とやらで帰って来たのは日付も変わった翌日の深夜だった。

確かに最近忙しいのは知っているし、仕事だから仕方が無いと思う。

でも、せめてプレゼントの一つも用意してくれてもいいじゃない?

せめて、メールの一つ電話の一言でおめでとうって言って欲しいじゃない?

でも、誠は次の日の朝、「昨日おまえの誕生日だったんだな?すっかり忘れていたよ。」といってアハハと笑ったの。
そのときのショックと言ったら・・・。



もう、あたしたちダメなのかな?このまま付き合っていても、きっと未来は何も見えてこない。



最後の賭けだった。



誠があたし達の付き合いだした日を覚えていてくれたら…。



それまでに『結婚』に関する事を一言でも出してくれたらあたしはこのお見合いを断るつもりでいた。



もう、覚悟を決めたほうがいいのかもしれない…。



明日、彼が目覚める前にこの部屋を出よう。



付き合いだした記念日が別れの記念日になるなんて、やりきれない思いだけれど、このままズルズルと誠のペースで付き合っているわけにもいかない。

誠と長く付き合っているにもかかわらず一度も家に連れてこない、結婚の話も口にしない娘を両親も随分心配している。

誠に結婚の意志が無いのなら、見合いをしろと父が言ってきたのは、あたしの誕生日の前日だった。




まさに絶妙のタイミングだね。




きっと、誠とあたしはこうなる運命だったんだ。



あたしたちは今日で、区切りを付けるべきなんだ。



止める事の出来ない涙を隠す為、あたしはいつまでも熱いシャワーを浴び続ける。

別れようと決心しても心のどこかでまだ、期待している自分がいる。



お願い・・・気付いて。



日付の変わるその前に・・・。
















早朝、まだ暗いうちにあたしは簡単に荷物をまとめて部屋を出た。



大きなものや細かい荷物は日を改めて誠の仕事に出ている時に取りに来よう。

部屋を出て静かにカギをかける。


結局、誠から『結婚』の二文字は出てこなかったし、カレンダーの赤丸の意味も気付かなかったようだった。


シャワーから出てきたあたしの目が、少し赤かった事も気付かなかったみたい。


付き合う前や付き合いだした頃ならすぐに気付いてくれたと思う僅かなあたしの変化。

誠はそんなあたしの発信する警告に何の関心も示さずに気付かぬまま「俺、もう寝るわ。」と言って、さっさと布団に入ってしまった。


ココはあなたの部屋じゃないんですけれど・・・?


いつの間にか週末は必ず誠がいることが当たり前になってしまった部屋がとても哀しかった。

誠を失っても、この部屋で一人で住んでいける自信も無かった。

もう誠のもとへ帰らないつもりで書いた手紙をテーブルの上において出てきた。

誠が気付くのは後2時間くらいして彼が起きた頃だろう。





「さよなら。誠」





ごめんね。あたしもう、これ以上待てないの。


このまま、不安な気持ちを抱えたまま誠と付き合っていく事はできない。


ごめんね。



黙って出て行くこと…許してくれるかな。


きっと誠は怒るんだろうな。相談もしないで勝手に見合いを決めた事。


ううん、それ以前に何も言わずに勝手に別れを告げた私に対して怒るだろうな。


きっと怒るよね?


あたし、弱くてゴメンネ?誠。…大好きだったよ。




昨夜もう泣かないとあれだけ心に誓ったのに、気付けば涙が溢れて登り始めた太陽の光が滲んで見える。



新しいあたしになる日なのに、どうしてこんなに涙が溢れるんだろう。






自分で決めた事なのにどうしてこんなにも心が引き裂かれた様な気持ちになってしまうの?






*****     *****     *****     *****     *****





その日の午後あたしは約束の時間にホテルのロビーにいた。



あたしは相手の顔を知らない。
見合いをするつもりもなかったから、写真なんて見ていなかった。






「はじめまして。岩本雪乃さんですね?」



突然声をかけられた男性を見上げると、金髪の短い髪を逆立てたロック歌手にでもいそうな美形の男性が立っていた。

「はい、あの…あなたは?」

「あなたの見合い相手なんですけどね?安原響(やすはらひびき)といいます。」



その男性は鮮やかな笑顔で微笑んだ。

響さんは歯科医で、29才だと告げた。誠の一つ下だ…。そう考えてハッとする。

あたしったら、お見合いの途中で何を考えているの?



安原さんはとても落ち着いていて話し方もソフトな人だった。

食事の間も気がつけば誠のことを考えてぼうっとしている私を、緊張していると思っているらしくて何とか楽しませようと、いろいろな会話を持ちかけてくれる。

「雪乃さん?またぼうっとしてますよ?今日は体調でも悪いんですか?」

誠のことを考えて意識を飛ばしていた私に安原さんが心配そうに声をかける。今日何度目だろうか。

あわてて意識をお見合いに戻すと安原さんは探るような目であたしを見ていた。



「雪乃さん?あなた、誰のこと考えているんですか?少なくとも今ここにいる俺のことじゃないですよね?」



どきん…




「好きな人がいるんじゃないかな?どう見てもあなたの胸には、誰かが住んでいるみたいだけれど…?」

あたしは何も言えずに安原さんから視線を外した。

「クスッ、素直な人だね?何で置手紙なんてしてきたの?」

驚いて弾かれたように顔を上げる。手紙?何でこの人がそんなことを?


「俺、魔法使いなんだよね?幸せになりたいと願う人には魔法で願いを叶えてあげることが出来る。」




……は?




「君が悩んでいるのは、何年も付き合っているのになかなか結婚を切り出さない恋人の事だろう?」



あまりの驚きに声もでない。



「ねえ?目を閉じてみなよ。雪乃さんに魔法をかけてあげるよ。好きな人を忘れて俺とキスできる?俺を受け入れられるか試して見るといいよ。
自分の気持ちに素直になれたらきっと魔法が願いを叶えてくれるはずだ。」


安原さんは右手でそっとあたしの瞼にふれ、閉じさせた。一瞬だけ安原さんの気配が傍から消えた。


向かい合ったテーブルの向こうから隣に移動してくる気配がする。


顎を取られ上を向かされる。


安原さんの顔が近付いてくる気配がする…


ふわりと香る香水の香り


誠と同じ香りだ…


途端に閉じた瞳から涙が溢れ出してきた。




どうして…




なぜ、こんなに誠が好きなんだろう。

顔をそむけ安原さんのキスを拒む。

「すみません…。あたしやっぱり…。」



「バカ雪乃…。早とちりしやがって。」


聞き覚えのある声がすぐ傍で聞こえた。

それは決してここにいるはずのない人の声で…。

何よりも聞きたかった声で…。

誰よりも愛しい人の声・・・。



「今日は俺たちが付き合いだした日だろ?ちゃんと覚えてるよ。」

その声にゆっくりと瞳を開く。ここにいるはずの無い誠が眉を潜めて、すぐに目の前に立っていた。

涙で滲んでよく見えないけれど、それが誠だってわかる。




「ど…うし…て?」



「響は俺の高校の後輩なんだ。」

誠が後を振り返るようにして説明してくれる。

驚いて誠の視線の先を見ると壁に寄りかかって腕組みした安原さんが微笑んでいた。

「誠先輩から、雪乃さんの写真見せてもらった事があったからね、顔は知ってたんだよ。だから見合いの話がきたとき正直驚いた。誠先輩に一応報告したんだけどね、先輩も色々事情があったみたいでさ…。」

「…事情?」

誠の方に向き直ると、先ほどと同じ台詞をもう一度口にした。

「バカ雪乃、はやとちりしやがって。俺が忘れているって本気で思っていたのかよ。
んなわけないだろ?少し驚かしたかっただけだよ。」

そう言うと誠は安原さんを振り返って、「響、ありがとうな。」といって片手を挙げた。

「じゃ、誠先輩。あとはよろしく。俺も今からヤボ用があるから、もう行くわ。じゃあな。」

安原さんはそう言うと「後でメールしろよ」とウィンクして部屋を出て行った。



「ほら、響が言ってたろ?魔法かけてやるから目ぇ瞑れ。ほら、はやく!!」

「あ…うん…。」

言われるがままに目を瞑ると誠が左手を取る気配がする。

ひんやりと冷たい感触が指を伝った。



……え?



「雪乃。目ぇ開けても良いぞ。」

誠の言葉にゆっくりと目を開ける。真っ先に飛び込んできたのは優しく微笑む誠の顔。

それから、優しく繋いだ彼の手…誠が繋いだ左手をゆっくりと私の目の前に持ってきた。




「これって…。」


「雪乃。俺と結婚して樋口雪乃になってくれる?」


私の左薬指には永遠の約束の宝石がついた指輪がはめられていた。


「誠……どうして…?」


「本当は雪乃の誕生日にプロポーズするつもりだったんだ。
でもここ暫く、この指輪を買うのにちょっとバイトしたり残業を多く入れていたんだよ。
不安にさせてごめんな?」

誠の言葉が、さっきまでのささくれた心と空虚感を癒してくれる。


「それから…遅くなって、ごめん。」


心の中に温かい気持ちが広がっていく。


「ばか…誠のバカ。あたしがプロポーズにOKしなかったらどうするつもり?」

「それは絶対にない。だって俺が雪乃を離さないから。雪乃が嫌って言っても無理やり結婚する。」

「無理やりって…。そんなの…。」

「雪乃?樋口雪乃になれよ。絶対に幸せにしてやるから。俺を信じてついてこい。」

涙が溢れてきて誠の顔が見えなくなる。

そんな私を誠は優しく抱きしめ頬を滑る涙を唇で拭ってくれた。

雪乃…愛しているよ。そう呟く誠の声が凄く優しくて、切なくて、あたしはギュッと誠にしがみついてコクコクと首を縦に振って頷く事しか出来なかった。



「幸せにしてね?あたしも誠の事幸せにしてあげるから。」



「ああ、一緒に幸せになろうな。」







優しく重なった唇はとても温かくて、誠の気持ちがいっぱい伝わってきた



―――愛しているよ…雪乃―――








10月7日、あの日あたしたちは付き合い始めた。



それから、季節が巡って5年後の10月7日。今日あたしたちは婚約した。



何度季節が巡っても、他の何を忘れても、今日の事は覚えていようね?



例えおじいさん、おばあさんになっても、この日だけはずっとお祝いしようね?



あたし達のAnniversaryをずっとずっと忘れないでいようね?








「ねえ?結婚式も10月7日にする?」


あたしがそう言うと誠は笑ってこういった。


「それもいいな。じゃあ、今日すぐに結婚しちまおうか?」








+++ Fin +++ 


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樋口ゆきの様のサイト開設1周年記念に送らせて頂いた作品です。