*** 再会の朝 ***
昨夜降り積もった雪が朝日を受けて一面を銀世界に染め上げている。
こんな日はゆうちゃんと別れた日を思い出す。
あれからもう、10年もの月日が流れた。
私は受験を終え、第一希望の高校への合格を手に入れた。
春からは新しい生活が始まり、新しい出会いもあるだろう。
それでも私の心はあの日に止まったまま、前へ進めないでいる。
「そろそろ前へ進まなきゃね」
大きく息をつき鏡の中の自分に向かって言い聞かせる。
迷いを振り切るようにカバンをつかむと勢い良く部屋を飛び出した。
「いってきます。」
玄関ドアを閉めて、顔を上げると門までのアプローチの隅に何かをみつけた。
信じられない物をみつけて大きく瞳を見開く。
それはあの頃小さな手で作ったものよりもずっと大きくて―――
・・・・・・・・・一日だって忘れられなかった笑顔
いつだって心の支えだった物――――
・・・・・・・・・きっと帰ってくると約束してくれた人
ふたつの寄り添う雪うさぎの意味するものは――――――
「ゆうちゃん…?」
声が震える。ゆっくりと雪を踏みしめながらアプローチを歩く。
ほんのわずかの距離が今日はなかなか進まない
足音が聞こえた
一歩、また一歩近づいてくる気配
私は怖くて顔を上げられず、足元に寄り添う雪うさぎを見つめていた
顔を上げて、もしも違っていたら?
顔を上げて、夢から覚めてしまったら?
心臓が早鐘のように鳴り、息が苦しい。
太陽を反射して眩しく光る雪景色が最後の日の幻影をつれてくる。
瞳に映るのは、あの日の眩しい雪景色
この雪うさぎは、あの日の私の記憶
コレは・・・・夢だ・・・私夢を見ているんだ。
「おかえりって言ってくれないの?」
聞きなれない少年の声が私を現実に引き戻す。
気が付けば、足元を見つめていた自分の視界に男物の靴が映っている。
ゆっくりと視線を上へあげた――――――
長い足、大きな手、厚い胸元、少年らしい喉仏。私が真っ直ぐに見つめられるのはここまでだった。
視線を上にゆっくりと移動する。
そこにあったのは・・・漆黒の髪、意志の強い光を放つ切れ長の漆黒の瞳、
すっきりと通った鼻筋に、シャープになった顎のラインは随分と大人になった印象だけれど・・・・・。
「――――っ、ゆうちゃん・・・?」
呆然とする私にゆうちゃんはあの時と同じ天使のような顔で笑って言った。
「ただいま、帰ってきたよ。」
「本当にゆうちゃんなの?」
声が震えてうまくしゃべれない。
体ががくがくと震えてとめることもできない。
ゆうちゃんはあの日のように、私を抱きしめた。
「泣いていいよ。我慢しないで・・・。約束守ってたんだな。」
堰を切ったように涙が溢れ出す。
10年分の想いを込めてゆうちゃんにしがみつく。
泣きじゃくる私の耳元でゆうちゃんは何度も、遅くなってゴメンと謝ってくれた。
「随分小さくなったんだな」
ゆうちゃんは小さく笑いながら私の髪を弄る。
私はゆうちゃんの胸に顔を埋めたまま、いつの間にか頭一つ分大きくなったゆうちゃんに驚きと動揺を隠す事が出来ない。
「ゆうちゃんが大きくなりすぎたんだよ。向こうの食事がよかったんじゃない?」
動揺を隠そうとワザと強気に言い、腕の中から抜けようと身を引いた
―――が、ゆうちゃんはそれを許してくれず、ますます強い力で自分の胸の中に閉じ込めた。
「ふうん、随分な口を聞くレディに成長した訳だ。じゃあ、挨拶も向こう式がいいのかな?」
悪戯っぽく笑う瞳に一瞬魅せられているうちに、やわらかいものが私の唇を塞いだ。
大きく目を見開いたままの私にゆうちゃんは笑って目を閉じるように言った。
「いや、目を瞑ったら夢が覚めるかもしれないもん。」
―――――コレが夢なら決して醒めて欲しくない―――
「バカ、醒めないよ。これからはずっと傍にいる。」
ゆうちゃんはクスクスと笑いもう一度優しく唇を重ねた
「もうさ、ゆうちゃんはやめない?」
唇が離れるか離れないかの距離でゆうちゃんが囁く
「ダメかな。じゃあ勇気?」
「うん、もう一回呼んで」
「勇気」
「もう一度・・・」
「勇気・・・・」
「もっと・・・」
「ゆう・・・」
最後までは言えなかった。勇気が唇を重ねてきたから。
薄く開いた唇からするりと彼の暖かいものが入り込んできて思わずビクリと体が跳ねる。
勇気は私の口内を貪るように舌をからめ、何度も角度を変えては吸い上げた。
ちゅっと小さな音がして彼の唇が離れる頃には、私は自分で立てないくらい力が抜けていて、
支えがないとその場に崩れ落ちそうな私を勇気はずっと腕の中に閉じ込めて髪を弄り続けている。
「学校・・・行かなくちゃ」私は小さな声で最後の抵抗をみせる
「行くの?・・・だめ、行かせない」
「・・・だって」
「もう3年生は授業もほとんど無いんだろう?今日だけは俺といてよ」
戸惑う私に勇気は追い討ちをかける
「それともうさぎは、寒い中ずっと待っていた数年ぶりに再会した恋人に冷たく帰れって言うのか」
「こっ・・・恋人って」
あわてる私に悪魔のような綺麗な笑みで、違うの?と聞くなんて、勇気ずるいよ。それって犯罪かもしれない
「恋人って認めるまで何度でもキスするから」
勇気ってこんな性格だったっけ?―――唇の距離が少し縮まる
「いやだっていっても離さない」
すごく強引じゃないですか?―――唇の距離が更に縮まる
「俺は10年間ずっと雅の事想って生きてきた。忘れたことなんて無かった。
俺の心はあの日、この場所に置き去りにしたままだったんだ。」
――――――――あぁ、この人は・・・私と同じだったんだ
視線が絡む。痛いくらいに真剣な勇気の真剣さが伝わってくる
勇気の瞳から視線を反らさずに、私も精一杯の気持ちを視線に込める。
涙が一筋頬と伝ったのを感じた。ゆっくりと言葉を紡ぎだす。
「勇気、私の心もあの日で時間を止めたままだった。やっと歩き出せるのね・・・」
あなたと一緒に――――その言葉が発せられる事は無かった
愛している雅――――そういって勇気が再び唇を塞いでしまったから
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その日、結局学校を強制的に休まされた私は、
勇気を自宅に招きいれ(ずっと玄関先のアプローチで抱き合っていたのよ。恥ずかしい)
懐かしいと涙する母の話にリビングでお茶とランチをしながら昼過ぎまで付き合った後、私の部屋へ移動した。
話すことはたくさんあった。
私たちは10年間を取り戻すかのように話をした。
やがて太陽が西に傾きかけ、少し窓からの日差しが長くなった頃、
勇気は私がずっと疑問に思っていたことを口にした。
「雅、なんで俺がおまえを『うさぎ』って呼んでたかわかるか?」
沈みゆく太陽が空を茜色染めるのを私の部屋の西側の窓から見つめていた勇気は、突然何の前置きもなくそう聞いてきた。
「わかんない。ずっと不思議だった。どうして勇気が私をうさぎって呼んでいたのか。」
勇気は苦笑しながらやっぱりわかってなかったんだと、私の肩を抱き寄せ、耳元で囁いた。
――――うさぎってさ、かまってもらえなくて、寂しいと死んじまうんだって。
「お前さ、昔から俺の後ばっかりくっついていただろ?
何でそんなに俺にくっついてばっかりいるんだって聞いたことがあるの覚えてないんだろ?
おまえ、あの時『だって、ゆうちゃんといないと寂しいんだもん』って言ったんだぜ?
俺さ、幼稚園でうさぎの世話を先生に頼まれた時、うさぎは寂しいと死んでしまうから沢山可愛がってあげてねって言われてたから、おまえも寂しがりだから、ほっとくと死ぬんじゃないかって不安になったんだぜ。それからかな?おまえのこと『うさぎ』って呼ぶようになったの。」
初めて聞く事実に思わず目を丸くする。
だから―――と言葉を続けた。耳に勇気のあたたかい息がかかって胸がどきんと跳ね上がった。
頬に体中の血液が上昇したかと思うほど顔が熱くなる。
真っ赤になった私を面白そうに更に強く抱きしめて、だから俺がずっと傍にいてかまってやる。
寂しくなんか無いよな?もう『うさぎ』は卒業だ・・・・・・・そう囁いた。
―――勇気の言葉は甘い媚薬となって私の心を解き放っていく
私はずっと寂しかった。
両親にも妹にも、ご近所さんにも、友達にも、先生にも・・・みんなにイイコでいることも望まれて、
いつしか『我侭をいわない優等生の雅』が出来上がっていた
でもそれは本当の私じゃない。
本当はいつだって寂しかった。
本当はいつだって泣きたかった。
本当は誰かに気付いて欲しかった。
いつだってゆうちゃんだけが本当の私に気付いてくれた。
いつだってゆうちゃんが、本当の私を引き出してくれた。
ゆうちゃんだけが私の心の叫びを聞き取ってくれていた。
「ずっとずっと、傍にいてね。」
勇気はずっとずっと前から私の一部だったのかもしれない
「ああ、約束だ。もう二度と離れない。」
雅を護るよ―――
声にならない勇気の心がじんわりと私の中に染み込んで来る。
彼のシャツを握り締め、ゆっくりと瞳を閉じた。
窓の外は一面の銀世界
手を離したあの日と同じように、全てを覆い尽くす眩しい世界
だけど、もう私たちは一人じゃない
解けてしまった雪うさぎはちゃんとあなたが作り直してくれた
ここで離した手は、もう一度ここから繋ぎなおそう
繋いだ心はもう二度と離したくはないから・・・
+++ Fin +++
2005/06/22
2005/08/27改稿
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