忘却の兄弟


「……」
「んーどうしたのかなぁーハダレちゃんはご機嫌ナナメでちゅねー」
結局これだ。
いくら自分が暴れて嫌な顔をしてもどこ吹く風といった感じで、
厨二病じみた拘束衣を着ていた男はオレを人形のように可愛がる。
調教の時間のときのような鬼気迫るエロモードの手つきとは違う。
あれは粘っこくしつこく、触れるか触れないかのぎりぎりのキワキワを
保って体をなぞりあげる。あれは好きじゃない。
だけれど、

「なーんちゃって。この位でぶーたれた顔するなんて、
 やっぱ子供は子供なんだねぇ」

口調をもとに戻してからかい混じりに、擦るような程よい荒さで
全身を弄繰り回す。頭をわしゃわしゃと掻いたり、後ろから抱きしめたり、
頬をつんつんと突いたり。
その仕草は、嫌いになれない。
場所が場所で、服装が服装だからかもしれない。
あの、大人のおもちゃ改め凶器と拷問器具のあいのこが勢ぞろいした調教場なら――
あるいは、全裸と拘束衣なら、何が何でも振り払っただろう。
ただいつも拘束男がオレを撫でくるのは部屋着のときで、拘束男の自室だった。

体を洗い上げ、オレを部屋着のような服に着替えさせ、
さらにきっちり拘束して暴れないようにした上で、
拘束男は本格的に寝入るまでの時間を過ごす。
ふっかふかの無駄に金の掛かったでかいベッドの上。
空調がよく効き、環境音楽や外国映画の上映付。頼めば飲食もできる。
この有閑マダムのような暮らしが、
最下層街の人身売買組織の幹部を主に持つ奴隷の"当たり前"らしい。
ベンチに毛布、代理戦争の歓声とはどえらい違いだ。

――どちらがいいかは別として。

「はーだーれちゃん。もう眠いのかな?」
後ろ抱きの姿勢で問われ、あったりまえだと言おうとしたが、
言い返すのも辛い。
代わりに全身をぐったりと預け、あからさまに眠気をアピールする。
すると拘束男がくすくす笑った。笑いの呼気がかすかに耳をくすぐる。
「子供じゃないんだからぁ」
あきれたような口調で言いながら、
拘束男の無駄にきれいな指先が体の前面を撫でる。
といっても酷使された性器などではなく、
腹や胸板、あるいは頭を撫でるだけ。愛撫だがペッティングではない。
その手の平から伝わる、邪気のなさが余計に気分を複雑にさせる。
大切にしまっていたものを紐解いて見つめなおしたような懐かしさと、
大切にしまっていたものがいつのまにか腐ってしまったことを悲しむ気持ちと、
なぜこんなものをしまっておいたのかを情けなく感じる気持ちと。
それぞれ、どの気持ちが大きいかは関係なく、順繰りに胸の上のほうにこみ上げてくる。
何も知らなかった何年か前、自分は着の身着のまま同然で家を出た。
目的はただ一人の人間に会いたいというそれだけで、
砂漠の中からたった一つの砂粒を探すような無謀な旅路についた。
――結局、行き倒れて騙され売られ、最下層街というこの世の修羅場に叩き込まれ
なんのかんのと生き延びて――
……まさか、考えうる限りでなかなかに『最悪の幸運』に見舞われるとは。
思い過ごしや、見間違いではない。
雰囲気や匂いは変わってしまった。けれど、確実に同じ『異』の血が流れているのを感じる。
――なにより、風呂場で体を洗われているときに見た、鏡。
そこに映っていたのは、他人の空似で済まされないほど、似通った面差しの――……

物思いに沈む間にも、拘束男は自分の体を好きにいじっていた。
ただ、途中からは流しっぱなしだった映画に男の興味が移ったらしく、
手遊び程度に愛撫は収まっていた。
刺激がなくなったせいか、眠気が強まってきた。ふつ、ふつと意識が途切れだす。
時折拘束男が何かささやいたり、体を撫でたり、
あるいは映画が盛り上がりを見せるたびにわずかな覚醒が訪れるが、
その間隔もそろそろと長くなってきた。
一番この世が平穏であると感じられる、長い長い一瞬。
沈み込むような安心感が全身を包んだ。
それで、つい答えてもらえると思ってしまったのかもしれない。
「……んで……」

「ん?何か言った?」
渾身の力をこめての問いは、映画に比べて音量が小さすぎたらしく、
拘束男は答えてくれなかった。
それがもう答えのような気がした。
自分は首を振ってなんでもないと伝え、改めて眠りにつく体勢に入る。
ふわふわのベッドと人の腕はとても温かくて寝心地だけなら最上級だったから、
そうと決めてしまえば寝入るのは簡単だった。
しかし、その寝心地も人の夢まで穏やかな内容にしてくれるわけではないらしい。
心地よく落ち込んだ眠りの中で、自分は思い出していた。
幼い日、同じように眠りに落ちる寸前の自分と、それを見守る彼と。
ベッドも同じように柔らかく、彼の腕も温かいのも、も今と何一つ変わらない。
ただ、思い出の中の彼は、舟をこぎながらもはっきりと問いを口にすることができた。

そのひとつの問いはいろいろな意味合いを兼ね備えていた。
ある日、突然自分の前から消えた理由を。
何がどうめぐりめぐって最下層街にいたのかという経緯を。
そして、今なぜこのように残酷な再開を果たしたのか、その運命を。
その全てが知りたくて、ただ知りえることがないのも知りながら、
自分はそれを唇から漏らした。


『なんで、ここにいるの?』


そして、答えは返ってこない。



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