1991年の「対戦格闘」ブーム到来───
あの出来事以来、自分はゲームセンターの現状を、事あるごとに嘆いていました。
お気に入りだったゲームが一掃され、ビデオのほぼ全てを対戦格闘が独占したこと。
シューティングが、弾幕化の一途を辿っていったこと。
音楽ゲームが格闘と同じマニアック路線へと進んだこと。
大型かつ大量の写真付きシール印刷機が占領しだしたこと。
ゲームセンター用に改造されたパチンコ、パチスロでお茶を濁しだしたこと。
不況で次々と店が消滅したこと…。
今でこそ、その嘆きはややおさまってはいますが、もしかすると、自分が住んでいる場所によっては、この嘆きは今なお変わっていないのかもしれません。
自分のアーケードゲームとのふれあいは、シューティングではなく、むしろ「固定画面アクション」が最初なのかもしれません。いや、そうであると確信しているのです。というのも、最初に自身が夢中になってプレイしたのが、「泡」をテーマにしたゲームだと、思っているのです。
「泡」を吐いて敵を包み、親鳥が「ヒヨコ」を連れ、「樽」をぶん投げて海賊を退治し、「氷」の道を作って巾着袋を取り、「雪」で敵を丸く閉じ込め、「掃除機」で吸い込んで吐き出し、体を「太らせて」体当たりし、大きな「鈴」を置いて軌道を作り、動き回る「子供たち」を拾い集めて送り込み、「炎」で燃やして火の玉を作り…
さまざまな遊び方があり、単純で面白く、見た目も楽しい固定画面アクションの魅力に、自分は虜になりました。
しかし、そんなゲームを、他のジャンルごと一掃したのが、あの忌まわしきゲームっぽい何か、そう、つまり「対戦格闘」でした。
その大きな特徴である、「大量に配置されたボタン」と「コマンド入力」は、新しいゲームの提案として人気を出すとともに、全国の殆ど全てのゲームセンターに大量に設置され、そしてそれまであったアーケードゲームは、無残にも駆逐されていくことになるのです。これが、対戦格闘を忌まわしき存在とする所以です。無論、システムの複雑化も進み、それに嫌気をさす人が出てくることになります。アーケードゲームのマニア化を、対戦格闘が推し進めたのです。
このあと、「落ち物」と呼ばれるアクションパズル、そして「その他」とあわせて、ビデオゲームにおける、ジャンルの三極化は長く続くことになります。
その間、ゲームセンターに足を入れることはあったものの、以前と比べて回数はかなり減少しました。
そして、2000年代に入ったある日のこと。それでもよく通っていたとあるゲームセンターで、「掃除機」を武器に使ったゲームが稼動されているのを発見。実に約8年ぶりの対面です。懐かしさの余り、当時の自分がこのゲームに夢中になっていた中学生時代を思い出し、やがて「こんなゲームを、いつか自分で作りあげたい」…と思うようになります。
そして、それを実現させるために、次なる作品は、その「固定画面アクション」となり、いよいよ製作は始まるのでした。
やがて数多くのバグに悩まされ続けるも、2005年4月に初期バージョン発表。以降、度重なるバグ修正のたびにバージョンアップを繰り返しつつ、この年のHSPコンテストで最終バージョンとなる「V1.56」を発表しました。
公開後、Vectorでレビューされるやいなや、瞬く間に大ヒットとなり、週間ダウンロードランキングで連続首位、そして同年の年間ランキングで9位に輝くなど、有数の強豪と肩を並べるほどの作品として認められ、自身を代表するゲームとなりました。
元々、このゲームはレトロという位置づけではありませんでした。というのも、拡大、縮小、回転、色合成など、自分の開発における、己の限界に挑戦したゲームであったからです。
しかし、雑誌で掲載された際に「80〜90年代風の懐かしげなアクション」「ゲームセンターにおいても遜色ないほどの完成度」と評価されていました。
また、このゲームが、音楽やドット絵、背景の技術などを全面に押し出していたものの、そのころは既に高解像度3Dグラフィックがゲームの主流であり、その時代において、低解像度2Dグラフィックであり、「固定画面アクション」であることのギャップぶりにより、見た目の楽しさ、面白さ、そして優しさをより全面に押し出せたため、このゲームは後に「レトロゲーム」という位置づけとなり、それが現代に通用、成功した作品となり、また、「固定画面アクション」を心から愛したからこそできた「魂の最高傑作」と自負できる作品となったと思っています。
「ゲームはグラフィックではない。楽しさ、そして面白さだ。」
コンテストで、受賞に際して自分が書き綴ったコメントです。あのあと、ゲーム業界ではいよいよ昭和ブームに乗って、レトロゲームブームが本格的に起こります。それは、レトロゲームが持っている「楽しさ」「面白さ」「優しさ」が、当時を知る世代から、当時を知らない今の世代にも広く受け入れられたからであり、その助け役として、これらの自作ゲームが、少なからず役立ったものと思っています。
受賞のコメントに使命を持っていた自分にとって、その果たした使命は、決して小さくありませんでした。
そしていつか、ゲームがまた、グラフィックありきの面白みの無いものへと逆戻りしていった時。そこには、自分がいる…。そんな自分でありたいと、心から思っています。
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