「師匠!」
「だーかーらー師匠じゃないっ!」
「でも、俺にとっては変わりない……」
「隠居したんだから、ほっておいてくれ!」
田舎の村に今日も響く、二つの声。日常茶飯事、村人ものどかにそれを見守る。天気も晴天、別に問題もない。
大股で歩く男を追いかけるのは、英雄と名付けられた男。まだ二十歳という若き英雄。
「お前は火の英雄なんだろ! 英雄が田舎で住んでる男を追っかけまわすな!」
怒りの形相で振り返る、紅い瞳。それに誂えたような紅蓮の髪。
「英雄でも、師はいます!」
相手も怯まない。薄紅色の瞳を細めて睨む。
「公にすんな! 俺はのんびりしたいんだ」
再度歩を進める。握られた買い物袋、そこには一日の食糧があった。
「師匠!」
「やめろ!」
師匠と連呼する男は立ち塞がった。
「ったく……」
ぽいと袋を投げる。それを目の前に男は受け取った。
「表でそう呼ぶな、ノーザン」
「でも」
「そうでなきゃ、家追い出すぞ!」
いえ、と薄紅色の髪を振り乱しながら否定する。
「師匠です!」
「…………」
毎日この繰り返し。きりがないのだった。
それは災難ですねぇ、と冷静に対応するのはもう一人の同居人。
一階建ての三部屋ある木の家。台所とダイニングを含めると五部屋もある、大きな家だ。
「先生も苦労されて」
「先生もどうだ?」
「だけど僕は教えてもらっていますから。別におかしくないでしょう?」
台所で食事の仕度をする青年は言う。少し大きめな青い瞳、さらりとした金髪の髪、それに端正の整った顔立ち。
頭を抱えて師匠とも呼ばれ、先生とも言われる男は唸った。
椅子に座り、テーブルに突っ伏す。
「俺は隠居したんだっての……」
「若すぎやしませんか」
それは散々回りから言われた。もう聞きたくないぐらいに。
「まだ二十三でしょう、僕だってまだ十八です。名声を堪能してもいいのでは?」
「別に名声はいらん、飯は? 昼」
「もうできますよ。ノーザン呼んでください」
「やだ」
「子供じゃあるまいし」
「違う、あいつは出かけた。教えにいっただけだ。夜帰るらしい」
「ですか。てっきり……」
「そこまで子供じゃないっ!」
「はいはい」
出来上がったシチューと暖めたパンを運ぶ。美味しそうな香りに、腹がぐうと一声。
スプーンを片手に食事に取り掛かる。
「うまいなぁ」
「ありがとうございます」
「コックにでもなればいいのに」
「僕は魔法を覚えて、中央部で働きたいんです」
「まあ、いいけどな。復習は?」
「しました。後でみてもらえますか?」
「おう」
早々に食べ終えて、食器を片付ける。外に出て裏庭に向かうと、そこには大きな魔方陣があった。
「契約すませて」
「はい」
青年は中央に立って言葉を呟く。かっ、と一瞬閃光をはなって消える。
「終わりました」
「存分に魔法を使え」
「普通は無理するなとか、じゃないですか?」
「倒れそうになったら止める」
では、と目を閉じて神経を手中させる。力が確実に集まるのを感じる。
「ロージャ!」
掲げた手は、天に向かって炎の柱を生み出す。巨大な柱は天を貫くようにも映った。辺り一面赤い光が降り注ぎ、息苦しいぐらい熱い。
「おし、威力を弱めろ」
「はいっ……」
額から汗が零れ落ちる。徐々に炎は弱まるが大差ない。
「……シャシナス!」
見守っていたが、咄嗟に手の甲から青白い球体を生み出し、炎に向かって投げつけた。凄まじい水蒸気、炎は消えて倒れた青年の姿。
「キリーは制限ができないみたいだな」
「……みたいです」
無理して笑顔を作る青年、キリーの頭を軽く叩く。
「いきなりロージャは無理だ。いい付けを守らなかったな?」
「すいません……」
「背伸びは禁物だ。死ぬぞ」
キリーを抱えて自宅に入る。部屋の一室、キリーの自室としてあてがっているものだった。蔵書が積まれている。そこにあるベッドに寝かせた。
「いいか、休むんだ。起き上がったら明日は教えん」
「……はい」
部屋を去って嘆息する。
「魔力は強いのに、制限できないのは……」
危険すぎる。ノーザンもそうだった。武道の腕も申し分なく、魔力も歴史に残るほどのものだ。現に火の英雄となった。水の魔法に関しては、水の英雄に匹敵するだろう。
「ていうか、なんでうちに集うんだ?」
「たのもー! 火の英雄ソルテア殿の……」
「今の英雄はノーザンだ!」
玄関のドア向こうから声。
「ノーザンは村の学校にいる、そっちにいってくれ!」
一体いつになったら、ノーザンの名は有名になるのだろう。
嘆息してその場に座り込む。
「俺はのんびり過ごしたいんだよ……」
そう言って呟く――元火の英雄ソルテアの声はひどく弱かった。
鼻歌を歌いながら野菜を切り分ける。もうじきノーザンは帰るだろう。キリーも目覚めることだろう。
「いやー食事を作ってると、平和だと思うよ」
「英雄!」
「違うわっ!」
ドアを押し開かれて、駆け込んできたのは隣人の男。
「ノーザンさんが」
「ノーザンがどうした? ついでにあいつが英雄だから」
「賊から守っていて、人手が……」
「なに?」
村から少し離れた場所にあるソルテアの家。外に出れば、暗がりの空に明るい光が見える。
「賊はどのぐらい?」
「二十人ほどです!」
「警官はどうしたんだよ」
「それが敵わないようで……」
ちっ、と小さく舌打する。ノーザン一人で事足りる人数だ。それでも助けを求めてきた。
「避難は……キリー!」
「はい?」
急いでやってきたのは、伏せっていたキリー。足取りも普通。
「賊が襲ってきたらしい。避難誘導をするんだ、魔法は禁止だ。いいな?」
「はいっ!」
キリーは家を飛び出す。ソルテアは自分の部屋に駆け込んだ。散らかった部屋、ベッドに下に手を突っ込む。
「あった」
手入れは日頃しているから、大丈夫だろう。柄を握り締めて、引きずり出したのは一本の剣。一般的なものだ。
家を出て賊がいる村の中心部に向かう。死人は出ていない、脅して金を奪う、強奪が目的らしい。
「……違う」
女を襲っている。男はあしらっている。決して殺さない、だが女にとっては屈辱を与えられる。死よりも深いものを。
見回せば数は減っている。英雄の名は伊達ではない、が多勢に不利なのは確かだった。
「襲ってくるなっての!」
剣を引き抜いて斬りかかる。アステアの狙いは、気絶させるもの。殺すのは二の次だ。
「ロージャリス!」
片手から生み出された炎、そこから矢が次々と生み出されて命中する。武器を落としていく。
「今のうちに縛り上げろ! 一人じゃなくて、複数でだ!」
アステアの言葉は、村人を誘導させる。大した腕ではない、大丈夫だと判断したからだ。
「師匠……」
「ノーザン……傷か?」
「なさけないことに」
視界にノーザンの姿を確認した。駆け寄ると、息を荒げて何とか踏みとどまっていた。
「背中が焼けてる……庇ったか、誰かを」
「それは……」
「いいか、正直に言え。無茶しただろう」
「……はい」
痛むのだろう、苦悶の表情で答えた。
「もう賊は捕らえきったはずだしな。気を抜いていい」
「すいません……」
がくんとノーザンの体から力が抜けた。受け止めてアステアは嘆息する。
「こういう所も英雄の所以なんだろうな」
危険を顧みず戦う、人を庇う。それが人をひきつける。
「先生、消火も終えました」
「おう、ご苦労さん。早く戻ってノーザンの手当てするぞ」
「……怪我したんですか?」
まじまじと覗き込むキリー。焼け爛れた背中が痛々しい。
「そうだ。薬草を調合したのを使おう。ついでに回復魔法の練習するぞ」
「……治療が先なんじゃないですか」
「致命傷じゃないから、構わん。これぐらいで死なんから」
淡々と会話をしつつも、二人は自宅に戻っていったのだった。
「おし、もう平気だな」
「すいません、師匠」
「やめんか」
ほどいた包帯を丸めて捨てる。ノーザンの背中にあった火傷は、綺麗に消えていた。
「まだ精進しないとだめですね、俺」
「まだ若いだろうが」
「師匠も十分若くないですか?」
「俺は体は二十三でも、精神的には四十なんだ」
服を手渡して、腰かけていた椅子から立ち上がる。
「師匠」
「だから……」
「俺にとっては師匠は英雄なんです」
「でも俺は英雄じゃないんだ。もう隠居の身」
「では助けたのはなんですか、賊から村を」
「俺に火の粉がかかると困るから」
言われてノーザンは黙る。
「いいか、お前は実力もある。足りないのは経験だ。キリーも同様だ。あいつも英雄の一人になれる。俺はもう疲れたんだ」
「でも……」
「でも、じゃない。お前に全てを委ねた。要請があれば、お前が出向かないといけない。俺は田舎村で誰かに魔法を教えて生活する。それでいいんだ」
ノーザンの肩を叩いて、アステアは微笑んだ。
「どうしても、そうだな。村が危ない時は出向くし、でも要請には応じない。俺はただの村人にすぎないからな」
「ただの、ではないです」
「屁理屈言うな、俺の名声はもうない。中央部が英雄と定めたのはノーザンだ。どこ行こうともな、俺はここにいてやるから。心細い時、帰って来い」
「……はい」
師と呼ぶ男の声が染み渡る。目の前の人は、火の英雄だった。今は自分自身だ。なぜ彼が英雄を退いたかは知らない。
「キリーが腕ふるってるぞーご馳走だ。早く着替えて来いよ」
「なんでご馳走?」
「傷全快祝いだそうだぞ。食べとけよ」
「わかりました」
笑って答える。英雄だ、でもこの家ではノーザンでいられるから……。
「師匠―!」
「だああっ! 呼ぶな!」
今日もまた田舎の村で、声が鳴り響く。