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皆城君と遠見先生〜特別編〜

竜宮島の地下深く存在するアルヴィスの中のとある一角――医療ブロックを一人の少年が歩いていた。年の頃は小学校に上がったばかりと思しきその少年は白磁の器のような肌を上気させ,細い足はふらふらと覚束ない。その様子を見れば誰もが少年の異常に気がついたに違いなかった。
「あら、皆城君、どうしたの?」
アルヴィスの医療班を率いる医師である遠見千鶴は彼女の執務室の前を歩いていた少年を呼び止めた。
「あ……遠見先生……」
すると皆城君と呼ばれた少年――皆城総士は千鶴の姿を目にした途端、それまでのぼんやりとした表情に利発そうな輝きを見せて彼女の元へと歩み寄って言ったのだった。
「あの、なんだか体の具合がおかしくて……それで診てもらいたいと思ったんです」
総士にとって千鶴は母親代わりといっても差し支えのない存在だ。人類とフェストゥムとの融合を研究していた千鶴は竜宮島に生まれ来る子供たちにフェストゥムの因子を移植し、その成長を逐一見守る立場にあったが、総士もその中の一人として千鶴の研究対象だったし、また幼くして実の母を亡くしている総士の健康状態を主治医としてだけではなく、同じ年頃の娘のいる一人の母親として暖かく見守っていたからだった。
そんな千鶴のことを総士も信頼しており、健康上の問題や不安があると真っ先に相談するようにしていた。
「体が熱くて,胸がドキドキして……なんだか落ち着かないんです」
総士は自らの身体に起きた異変を千鶴へと説明した。なるほど,総士自身が言うとおり、白い肌は赤く熱を帯びているし、呼吸は通常よりも浅く荒い。
「あら、それはいけないわね。すぐに診察しましょう。この部屋に入ってちょうだい」
千鶴はそう言って総士を連れて診察室へと入っていった。
白く清潔な部屋の一番奥にはベッドが置かれており、その手前には医師が使用する机が置かれていた。まず千鶴が机の横に置かれた患者用の丸椅子に総士を座らせ、次いで自分は総士と向かい合うようにして腰を下ろした。
「じゃあ、まず喉を見せてちょうだい。口を大きく開けて……」
千鶴の言うとおりに総士が口を開けた。千鶴は総士の桃色の頬に手を添えて喉の奥を覗きこむ。
だが、総士の喉は赤く腫れたりといったこともなく、普段通りの健康な状態を保っていた。
「喉は異常なし……」
次いで千鶴は総士の首の周辺を指先で探ってみた。だが、これも特にリンパ節が腫れているといったこともなく、問題がない。
「別に異常はないみたいね……」
千鶴は赤い顔をしたままの総士を目の前にして首をひねった。
(症状からして風邪を疑ってみたけれど,違うようね……でも風邪ではないとすると……)
竜宮島は外部からの人間や病原体の侵入がほぼないに等しく、また子供たちもフェストゥム因子の移植の恩恵で感染症といった病気の発症率が驚くほど低いのだが、だからといってそういった病気が発生しないとも限らない。それに総士のような他の子供よりもフェストゥム因子を濃厚に移植された特別な子供は未知の反応が体内で起こっている可能性もあったので、千鶴は慎重に総士の様子を伺うことにした。
「じゃあ、熱を測りましょう。それから血液検査も……ごめんなさいね、悪い病気だと困るから、きちんと調べておきたいの。少しだけ我慢してね」
千鶴が母親らしい優しく穏やかな表情で言うと、総士も納得したように無言で小さくい頷いた。
指先からわずかな量の血液を採取し、レーザー式の体温計を耳の穴に差し込んで体温を計測する。しかしそのいずれもまったく健康といっても差し支えない数値だった。
(困ったわね……異常らしい異常が見つからないわ……)
見た目は顔が赤く、普段とは違った様子の総士だったが、身体データは健康そのものだ。
異常を見つけられずに困った千鶴は仕方なく総士から話を聞くことにした。
「皆城君、体がおかしいと思ったのはいつからかしら?そのときの様子を話して聞かせて頂戴?」
千鶴の言葉に総士は恥ずかしそうに閉じられた口を開いて話を始めた。
「あの……さっきまでみんなと遊んでいたんです」
「誰と?」
伝染性の病気だったときは一緒に遊んでいた子供も隔離しなくてはならないからと,千鶴は総士から名前を聞き出そうとした。
「剣司と衛と咲良と……一騎です」
「みんなで何をして遊んだの?」
「かくれんぼです。学校の裏山限定で。姿が見つかって泥団子をぶつけられたら負けだったので、僕は以前掘ってそのままにしておいた穴に隠れていました。鬼は咲良でした」
子供たちの遊びとしては特にどうという事のないものだった.ただし、高低差200メートル、半径2キロほどのフィールドはかくれんぼをする場所としてはいささか広すぎる気もするが,竜宮島の子供たちにはごく普通のことだった。
「それで、僕が隠れていた場所に一騎も来たんです。狭い穴だったから外から姿が見えないようにって二人でぴったりとくっついて隠れていたら……なんだか体が熱くなって、胸が苦しくなったんです」
総士は意を決したように一騎の名前を千鶴に告げた。
「最後まで僕と一騎は見つからずにかくれんぼに勝ちました。でも、かくれんぼが終わってみんなと別れても体が熱くて苦しいままで……一騎が一緒にいたからかもって思ったらもっと熱くなって……一騎のことを考えるとそうなってしまうんです!」
さらさらとした亜麻色の髪を揺らしながらそう訴えた総士に、千鶴は苦笑しつつ返答した。
「そうね、もしかしたらとても重い病気かもしれないわね……とりあえず今はなるべく一騎君のことを考えないようにして普通に過ごしてごらんなさい。それで症状は落ち着くはずよ」
千鶴は机の脇に置かれたキャビネットからシートに包まれた錠剤を取り出すと、それを総士に症状を軽くする薬だと言って手渡した。実はそれはただのビタミン剤だったのだが,それは総士には伏せておいた。
「そのお薬を飲んでしばらくすれば症状は消えるわ。お大事にね」
総士は千鶴から薬を受け取り、それから
「本当に治りますか?あと……一騎に病気が伝染ることはないんですか?」
不安げに尋ねた。
さて,どう説明しようか?これは死んでも治らぬ病だと説明したほうがいいのか?
千鶴はひとしきり悩んだ後で、
「そうね、もしかしたら一騎君にも伝染ったかもしれないけれど……それが分かるのはあなた達がもう少し大人になった時かもしれないわね」
10年後、総士が今日のこのことを覚えていたら今日以上に顔を真赤に染めて、ひっくり返り転げまわって後悔するであろうことを想像しつつ、笑顔でそう言ったのだった。
                                 
おわり