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総士の新たなる出会い

生命の循環を理解し、新たな生命として日々成長を続ける皆城乙姫を、竜宮島へと帰還した乙姫の兄、皆城総士は静かに見つめていた。
ワルキューレの岩戸内で、緋色の同化抑制剤に浮かぶ幼女は穏やかな表情のまま、まるで眠っているかのような印象を受ける。
いや、正に彼女は眠っているのだろう。自己防衛本能によって竜宮島を庇護しつつ、人として覚醒するその日まで。
その時がいつであるかは誰も知る事はない。本人ですら知りはしないだろう。ただ、彼女を必要とする日が竜宮島に訪れれば彼女はその思いを受け入れ、覚醒する筈だった。
（乙姫……お前と再び言葉を交わす日が訪れるのであれば……）
兄と妹としての触れ合いも果たせず別れた日の事を思い出しながら、総士はある決意を胸に抱いていた。
既に亡き両親や兄である総士と家族として暮らしたいという自らの望みを「我が侭」だと評した乙姫。
年相応の少女としての夢すら抱く事も許されなかった彼女に対して自分が成せる事はそう多くはないだろう。だが、兄として彼女の望みのうちの僅かばかりを叶える事は出来る筈だと、総士は赤く染まる乙姫の身体を真っすぐに見据えて思ったのだった。
今度こそ、お兄ちゃんと呼ばせてやるぞ、乙姫！
（そうだ「総士」でもなく「あなた」でもなく！父さんも母さんも取り戻す事は叶わないが、僕たちのあの家で、お前が望む限り、２人で穏やかに暮らそう。
僕は料理などした事もないが、お前の好きなカレーなら一騎に教えを乞うてでも作ってやろう。なんならプリンも……いや、これは難しそうだから、一騎に制作を依頼するかもしれないが……とにかく、ごく普通の家族として、お兄ちゃん……お兄ちゃんと呼ばせてやる！）

さわやかな朝、眠たい目を擦りながらベッドから起き出して来た乙姫へ、総士は微笑みを返しながら彼女の目の前に用意した朝食を置いた。表面こんがり、中身ふんわりと焼き上げた厚切りのトーストを２つに切り、いちごジャムをたっぷりと乗せてやる。乙姫は専用のマグカップに注がれた新鮮な牛乳を飲みながら、あたしもお兄ちゃんと同じのが飲みたいと、総士のカップの中身を覗き込んだ。
これはブラックコーヒーだ。お前にはまだ早いと総士がたしなめると、乙姫はその白く柔らかな頬を桜の花びらのように薄く染めて、すぐに追いつくもん！と言って、トーストに齧りついた。
乙姫の桜色の唇の端に、トーストに塗った赤いジャムがついてしまった。ほら乙姫、ここ、と総士が指差してやると、乙姫はお兄ちゃん取って、とテーブルの上に身を乗り出す。仕方なく総士は指先でジャムを拭うのだが、乙姫はそんな総士の指先をぺろりと舐めて、悪戯な笑顔を浮かべたのだった……。
（以上、総士の妄想終わり）

静かな夜だった。総士はそろそろ寝ようと読み止しのチェスの本にしおりを挟んだ。
すると、背後で何やら物音がする。きい、と音を立てながら開いたドアの向こうには、小さな人影が見えており、お気に入りのブランケットを引きずり立つ乙姫の姿があった。
どうしたんだ、眠れないのかと総士が問うと、乙姫はほんの少しだけ恐い夢を見たの、と総士に聞こえるかどうかという小さな声で答える。ならば、一緒に眠ろうかと言ってやると、その言葉を待っていたかのように小さな身体が総士めがけて飛び込んで来たのだった。
総士は自分の隣に乙姫を寝かせてやり、どんな夢を見たんだい？と尋ねた。すると、乙姫は総士の胸に顔を埋めながら、あのね、お兄ちゃんがどこかへ消えてしまう夢、と返事をした。
僕はもうどこへも行ったりしないし、たとえそうなったとしても、また必ず戻って来ると、つややかな黒髪を優しく撫でながら総士は囁く。兄のその言葉と仕草に安堵したのか、乙姫は瞬く間に静かな寝息を立てて眠りの淵へと落ちて行ったのだった……。
（総士の妄想その２終わり）

そうやって妄想しつつ乙姫の目覚めを待つ日々が続いたある日の事。
総士の想いが届いたのか、乙姫に覚醒の兆候が現れ始めた。
そして、遂には岩戸を出る乙姫。痩せて小さな身体をアルヴィスの制服に包んだ姿はいつぞやの出会いを彷彿とさせた。
総士は乙姫の目の前に立つと、その整ったかんばせに柔らかな笑みを浮かべて言った。
「乙姫……僕の事が分かるか？」
乙姫の肩までのつややかな黒髪は所々がゆるやかなウェーブを描いてふっくらとした白い頬を彩ち、そしてその髪の色と同じ瞳はまるで黒曜石のごとき輝きを発しながら真っすぐに総士を見つめ返していた。
そのゆるぎない美しさを持った魂は輪廻を繰り返す度に新たな変化を加えてその輝きを増してゆくのだ。目の前の皆城乙姫と言う存在はもう総士の知る乙姫ではないのかもしれない。だが、新たに加えられた輝きの記憶の中に兄としての自分が存在する事を密やかに望みつつ、総士は乙姫の唇から自分の名が紡がれるその時を待っていた。
「……ええ。もちろんよ。『皆城総士』」

「……遠見、あのさ、最近総士の様子がおかしいんだ……なんだかすごく荒んでて……もしかして、俺のせいなのかな……？」
「ああ、あれね、新しい乙姫ちゃんに他人行儀にされたんだって。お母さんが言ってたよ。一騎君のせいじゃないってば。気にしなくてもいいんだよ」
エウロス型の侵攻の際、竜宮島のコアである乙姫と自らを同化させて守ったのが一騎の母である真壁紅音、彼女の意志を継ぐフェストゥムーミョルニアであった。
フェストゥムという「無」へ時間と存在の概念を与えた彼女が、乙姫へと影響を与えぬ訳もなく。
そんな訳で。
もしも19歳総士がやさぐれて見えたのなら、それはきっと乙姫ちゃんのせいなのかもしれません。
おわり