総士は一騎達が住む竜宮島の代表で、島にひとつずつある小中学校の校長を兼任している皆城家の一人息子だ。将来は父親の跡を継いで島の代表になると目されているが、それに相応しく聡明で礼儀正しい子供だった。
対して一騎は父親が経営する陶器店の一人息子だ。だが陶芸家として陶器の製造も行っている父親は口数の少ない、いわゆる「変わり者」といった風情の男で、経営している陶器店も繁盛しているとは言い難かった。
そんな、家柄の全く正反対な総士と一騎が仲が良いのは一騎の穏やかな性格と総士の真面目な性格がどことなく馬が合った事もあるのだが、もうひとつ、2人に共通する物があったからだった。
「一騎はすごいね。買い物とか、料理とか、家の手伝いをちゃんとしているんだよね」
「うん。俺んち、母さんいないし、父さんなんにも出来ないから、俺がちゃんとしなきゃ駄目だって、隣りの家のおばさんにも遠見先生にも言われたんだ。だから俺が家の事はしなきゃいけないんだ」
「僕の家もお母さんいないけど、お手伝いさんが全部やってくれるから……」
「総士んちはいいなあ。家も大きいし、お父さんは学校の先生だし、うちとは全然違うよね」
一騎は皮肉でも何でもなく、思った通りのことを声に出して総士の家庭を羨んだ。
夕暮れの坂道を並んで歩く2人は見た目も対照的だ。
一騎は黒髪にくりくりとした瞳が愛らしく、子供らしい容姿なのに対して、総士は日本人にしては抜けるように白い肌を持ち、亜麻色のさらさらとした髪はまるで西洋人形の様だった。身長も総士の方がやや高く、一見すれば総士の方が年上に見えた。
そんな二人が親友なのは、どちらの家庭も「母親を亡くしている」という共通点があることが大きかった。
この島では病気や事故で親を亡くしたり、最初から片親の子供も決して珍しくない。彼らだけが特別なのではないのだが、彼らにとって共通点はそれしかなかったから余計にその事が彼らにとって大事なことだったのだ。
「でも、一騎はお父さんからうちのことを任されていろんな事が出来るじゃないか。僕にはその方がうらやましいよ」
総士もまた素直に一騎へと羨望のまなざしを向けて告げた。
一騎と総士は島の高台から海岸近くにある商店街を目指して歩いていた。
「一騎、お父さんと約束した時間にはまだ早いから、僕も一騎の買い物に付いていってもいいかな?じゃまにならないようにするからさ」
親友との別れが名残惜しいのか、自分の家への道を過ぎても一騎に付いてきた総士が一騎に尋ねると、
「魚屋さんとスーパーに買い物に行くけど、それでもいい?」
「うん!」
「じゃあなるべく早く買い物を終わらせるから、一緒に行こう」
一騎も総士とまだ一緒に居られることがうれしいようで快諾した。
島に一軒の総合スーパーへ入った二人はまず玉子売場へと向かった。
「よかった!まだ残ってたあ!」
十個入りの玉子パックを手に、一騎が安堵した声を上げた。何事かと総士が尋ねると一騎は
「今日は特売日なんだ。いつも木曜日は玉子が少しだけ安くなる日なんだよ」
テストで久し振りに良い点を取ったときよりも嬉しそうな顔をして答えた。
それから二人は野菜売場に向かった。一騎は何をするときよりも真剣な眼差しで野菜を吟味している。総士の目にはどれも同じように映る野菜でも一騎にとっては優劣があるようで、野菜の根元を見てはこっちがいいとか、手にとって重さを量りこっちの方が絶対おぃしいなどとつぶやきながら買い物かごへと納めていた。
「ごめんね総士、つまんないでしょ?」
何も言わずに後をついて回るだけの総士へ、一騎が申し訳なさそうに小さな声で言った。
「そんな事ないよ!僕、あんまり買い物とかしたことないから見ててすごく面白かったよ!」
総士は一騎を落胆させまいと懸命にそう訴えた。
事実、普段は大人しくて体育以外目立つことのない一騎が買い物に関しては総士も驚くほどの頭の回転の早さを見せていたのが興味深かった。
何種類かあるそばの中のある製品を手にとっては「こっちの方が沢山入ってて安いんだ。こっちは百グラム分で五十八円だけどこれは四十三円だから」などと即座に答えるのだ。試しに総士が総菜売場にあったコロッケ三個で二百五十円が二割引になっていたのでそれはお買い得なのかと尋ねると、一騎は少々考え込んでから「一つずつ買うと九十円でこれは一つ当たり六十六円になるけど、明後日がコロッケ一つ五十円の日だからそれまで我慢する」と答えた。
(算数の授業を全部買い物に例えたら、一騎の成績も上から五番目くらいになるかもしれないな……)
楽しげに買い物をしている一騎を目の前にしてそんな事を考えてしまう総士だった。
スーパーでの買い物を終えた一騎は次に魚屋へ寄ると言って総士と共に向かった。
魚屋の店頭にはザルに山盛りになった魚そのままや切り身が並べられており、一騎はその中の鯖を指さして
「サバください。二枚おろしで」
などと注文を付けていた。
「何を頼んだの?」
総士が一騎に尋ねると
「父さんが包丁は危ないから、魚は魚屋さんに捌いてもらいなさいって。特別に頼むんだよ」
魚を捌くようなある程度以上の大きさの包丁を持つことは禁止されているらしく、魚屋の店主に向かって告げたことを説明してくれた。魚屋ももう心得ているのか「あいよっ、ちょっと待ってな」と威勢の良い返事をして、まるまると太った銀色の魚を一匹店の奥へと運んでいき、あっと言う間に一騎の頼み通りに処理して戻って来たのだった。
「一騎くん、いつもご苦労だねえ。ほら、鱈のアラが出たから持って行きな。煮つけると旨いぞ」
「わあ、ありがとう!」
思わぬおまけまで手にすることが出来て上機嫌の一騎はいつもよりも饒舌に総士へと自分の家のことを話した。
「父さんの店、あんまりお客さん来ないから、僕がおうちの事をちゃんとしないと余計に父さんが大変になっちゃうんだ。お年玉も出来るだけ使わないで貯金してるんだよ。お客さんがこなくて父さんが困ったら使ってもらうんだ」
「そっか……一騎は本当に偉いね。きっとそのうちお店にお客さんも来るようになるよ」
一騎へ対して総士はどこか寂しげに微笑んで言った。
買い物を終えて2人は今度こそそれぞれの家を目指して別れた。
薄暮はすっかり濃い蒼へと変化して、島中の家々から暖かな明かりが灯り始めていた。
総士は一騎の背中が見えなくなるまでその姿を見つめていたが、本当にすっかり見えなくなると小さく嘆息し、そしてきびすを返して歩き出す。
(一騎……お前の父さんは僕の父さんの次にこの島を動かす事の出来る偉い人なんだよ……)
その事実をいつ彼に明かす事が出来るのだろう?自分はいつまで嘘をつき続けなくてはならないのだろう?
総士はどんな事があろうともそうしなくてはならないのだと自分に言い聞かせ、地下へ続く通路をゆっくりと降りていった。