無料配布ペーパーより。
連続ペーパー小説
「愛はオーバードライブ」
第3回
俯いたままだったエドワードはマスタングの言葉に面を上げると、ゆっくりと口を開いた。
「……多分、アルの身体をこちら側にひっぱり出すときに行った再構築で互いの体組織入れ違っちまったんだと思う……最初の人体錬成の時もあちこちこんがらがってたしな……そん時は怪我の功名ってやつで、お陰でアルの身体は生き長らえたが、今度は錬成を行った俺の不手際としか言いようがねえ……」
いつもの人を惹き付けるような瞳の輝きを失ったエドワードはただひたすらに自らの未熟さを悔いるかのように膝の上に乗せた両の拳をきつく握りしめたまま、言った。
「てめえの不手際だってのに、こんな頼みをあんたに出来る筋合いもないんだけどさ……入れ替わっちまった、俺とアルの体組織を元に戻す為に、俺達に軍部の持つノウハウを盗ませて欲しい……」
だが、そう言った途端、エドワードは恐ろしいまでに強い光をたたえた瞳を一瞬取り戻してマスタングを見据え--それは一瞬で消え去ってしまったのだが--また俯いてしまう。そんな少年を見下すかのように、マスタングは腰掛けていた椅子から立ち上がると苛立った声でエルリック兄弟に向かって告げたのだった。
「私に軍を裏切って手引きをしろと言うのか?ふざけるな!自分の不始末だと考えるのであれば、自分の手足を使って探すんだな!あの頃のように、南だろうと、何処へでも!」
マスタングは外套を羽織り、ブーツをつかつかと鳴らしながら部屋のドアの方へと歩き出した。エドワードは腰を下ろしたまま依然として俯き、アルフォンスは部屋を出て行こうとするマスタングを引き止めようと外套の裾を掴んで縋る。
「大佐!マスタング大佐の迷惑になるような事は一切ありませんからっ……」
マスタングはアルフォンスの細い腕から無情にも外套を引き剥がし、ドアノブに手を掛ける。だが、かつて地獄のごとき戦場を駆け巡った男とは思えぬ程に優しくアルフォンスの髪を撫でたかと思うと、おそらく、エドワードには聞こえないであろう、囁くような声で言ったのだった。
「すまない、私が言えるのはここまでだ。ただ、道は指し示したつもりだから、その先は自分達で探し出せ」
そしてマスタングの去った後で部屋の中に取り残されたエルリック兄弟は、アルフォンスが兄のエドワードに対して不安げな視線を向け、それに呼応するかのようにエドワードが椅子から立ち上がったのだった。
「兄さん、これからどうするの……?」
アルフォンスがエドワードへと歩み寄りながらそう言うと、そのエドワードはベッドの上に投げ出すように置かれていた自らの旅行鞄を早速手にして、低く、呻くように答えて言った。
「俺はここを出る。列車があるうちに移動しよう……俺が目指すのは、南部の国境地帯だ」
兄のその言葉に半ば絶句しながらも、アルフォンスも慌てて自分の荷物をまとめ始めた。
「あの頃のように……南……南部……」
アルフォンスが先刻のマスタングの言葉を何度も反芻しながら手を動かしていると、先に荷物をまとめ終えたエドワードがアルフォンスの言葉を打ち消すかのごとく言い放つ。
「前線の傷病者を殺さずにセントラルまで運ぶのは博打じみている。あの時、キメラの基礎的な実験はあの辺りで行われていたに違いないんだ……」
「キメラ……そうか!でも、記録が残っているかどうかは……」
かつて彼らと行動を共にし、敵として、そして見方として相対したあの半獣半人たちの記憶がアルフォンスの脳裏に鮮やかに浮かび上がる。だが、彼らの肉体を利用して行われた研究の記録はセントラルの国立研究所へと移され、そしてその研究に携わった者達はほぼ皆その命を絶たれているに違いなかった。
しかし、エドワードは弟の言葉に動揺を見せる事は全くなかったのだった。
「錬金術師ってのは傲慢ちきで目立ちたがりな奴が多いもんさ。自分の成果を軍にかっさらわれてそのまま大人しくしている奴がどれだけいるだろうな?どんな手を使ってでも、自分の研究を自分の名と共に遺しておきたいと思うだろう?」
難解な比喩を駆使して同業の術死にすら解読出来ない構築式を綴る錬金術師も多い。マスタングはそういった文書の存在を知っており、エルリック兄弟にそれを見つけ出す事が彼ら兄弟の求めるものに近いのだと知らせていたのだ。
「すんなりと、それが見つかればいいけれど……」
「ああ、俺一人だからな……骨が折れるぜ」
一筋の光明を見いだした兄弟だったが、アルフォンスは兄の言葉に驚いて目を見開いた。
「一人って……なにさ、それ?」
「聞こえなかったのか?南部に行くのは俺だけだ。お前はばっちゃんのところで待っているんだ」
エドワードはまるで当初から決まっていた事のようにさらりと言い放って、すっかりくたびれて手に馴染んだ旅行鞄を担いで歩き出したのだった。
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「待ってよ!どうして兄さん一人で行こうとするの?」
自分は生まれ故郷で待っていろと告げられたアルフォンスは慌てて兄のエドワードの前に走って回り込むと、彼にしては珍しく怒り昂った口調でエドワードに向かって詰問した。
「お前を連れて行く訳にはいなかいよ、アル……」
「どうして!今回のこの事は、兄さんと、そしてボクの問題でもあるんだ!そのボクが何もせずに待っていなきゃいけないなんて……そんなの、おかしいじゃないか!」
アルフォンスは両手でエドワードの二の腕を掴むと、そのまま兄の身体をがくがくと前後に揺さぶり、声を荒げた。だが、そんなアルフォンスの抗議にもエドワードはその決意を揺るがそうとはしなかった。
「おかしくても、そうでなくても、お前は連れて行かねえ」
「独断でそんなことを言わないで!どうしてそんな事を言われなきゃ行けないのか、だったら理由を聞かせてよ!」
あくまでもエドワードに食い下がるつもりのアルフォンスは、冷めた瞳で自分を見つめている兄の身体をさらに揺さぶってそう言う。だが、次の瞬間、びくりと背を引きつらせて小さな悲鳴を上げたのだった。
「……っあっ!やっ……あ、うっ……や、め……」
アルフォンスの腕から力が抜けて、エドワードの上半身は自由を取り戻した。だが、自ら解放された腕でもう一方の手の指を反対で反り返らせている。
「止めて!兄さんっ!ずるっ……ずるいぃぃ……あっ……くあ……ひっ!」
アルフォンスはエドワードが力を加えて痛めている指と同じ方の手を口元に持って行き、そのままへたり込んでしまう。そして先刻マスタングに見せたような、快楽を感じて上気した表情をその端正な顔立ちに浮かべると、口元にあった指をそのまましゃぶり始めたのだった。
「んふぅ……もっ……い……ちゃう……んっ……ふあ、んんっ!」
自らの指をしゃぶりながら、アルフォンスはその細い身体をくねらせて床へと這いつくばってしまった、その身の揺らせ方はまるで発情期を迎えて牡を誘う牝猫のようだとアルフォンスは湧き上がる快楽の中でぼんやりと考えていたのだが、エドワードが自らの指を痛めつける事を止めない限り、その快楽の中から抜け出す事は出来ないと知っていたので、もう行き着く所まで行ってみたいと望むようになっていた。
だが、極限まで募った射精感はその寸での所で遮断されてしまった。
「……立てよ、分かっただろう?今の自分がどういう状態なのか……」
エドワードは指を元の状態に戻すと、床にしゃがみ込んでいたアルフォンスに向かって言い放った。
「お前の今のその身体じゃ、もしもの時に俺はどうすればいい?俺に加えられたダメージを、お前は全部感じ取っちまうんだ……正直、足手まといにしかならないだろう……」
「あ……ああ……でも……ボクは……だって、ボクの……」
「いいから、待っていてくれ。その代わり、俺の身に何か起こった時はマスタングの野郎に……その為にも、お前は待っていて欲しいんだ」
再び、エドワードは旅行鞄を手にすると、今度こそ部屋を出て行った。
アルフォンスは未だ熱を持っている身体を強張らせながら、兄の後ろ姿を見送る事しか出来ずにいたのだった。
(つづく)