「灯台に行っては駄目よ、メナ」
 それが、母の口癖だった。
 母は、父と組んで、優秀な戦士だった。そのせいか、家に戻ることはほとんど無く、メナーディとカーストの姉妹を育てたのはチェレナという婦人だった。
 母の思い出など、欠片ほども無い。たまに帰ってきたかと思えば、すぐにまた出かけてしまう。誉められたことも、怒られたことも、一度も無かった。
 父が戦死した後も、母は一人で戦っていた。それでも母は強かった。
 そして父が亡くなった二年後、母は死んだ。
 
 いつまでも泣き喚いているカーストを、メナーディはひどく醒めた気持ちで見つめていた。彼女には、どうして妹がわんわん泣いているのか、その理由が判らない。大体、母と姉妹が会うことなど、数えるほどしかなかった。証拠に、メナーディは、母の顔を思い出せない。怒ることもなかったし、誉めることもなかったし、大体、言葉を交わしたことすら皆無だ。ずっと、チェレナに面倒を見てもらっていた。カーストとチェレナの息子アガティオは、お陰ですっかり仲良しだ。
 メナーディの母の死は、プロクス中を悲しみで包んだ。彼女は、優秀な戦士であったから。棺には、プロクスでは貴重品である「花」が沢山詰められていた。
 母との思い出は、いったい何があっただろう。
 メナーディはそう考え、やがて母の口癖を思い出す。
「灯台に行っては駄目よ、メナ」
 葬儀はひたすら退屈だった。皆が皆泣いているし、湿っぽいことこの上なかった。葬式を退屈だと思う不謹慎さに気付くには、まだメナーディは幼かった。だから、仕方なかったのだ……灯台に行ってみようか。そう思ったとしても。
 
 葬儀は村を挙げてのもので、よって慌ただしい。さもなくば、名義上とはいえ喪主であるメナーディの不在に気付かないことなど、有り得なかっただろう。彼女はすんなりと、誰に見つかることもなく村の外に出ることが出来た。
 手に持つものは、大鎌。まだ使い始めて一年ぐらいだが、彼女は自分の体の一部のように、その武器をものにしていた。
 雪はどこまでも積もり、踏んだぐらいでは地面は見えないぐらい、深い。空が晴れ渡っていたことが、せめてもの幸いだろう。見通しはよい。メナーディは、一人で歩き出した。遠いところに細長い建造物が見える。それが、灯台だ。
 途中で彼女に襲い掛かった魔物や獣は、そのことごとくが彼女の操る炎の前に、一瞬で塵となり、風に舞って雪に混ざった。おおよそ、彼女に敵う敵などいなかった。一応、武器を携えていた武器を、扱う暇も必要も無かった。
 ほどなくして、彼女はマーズ灯台に辿り着く。
「…………」
 見上げたが、灯台の頂上はまるで見えない。代わりに、明らかに不自然な形で建造された、四つの尖塔のようなものが見えた。壁に戯れに触れてみると、ひんやりとしている。灯台に炎が灯っていない証だった。点火された灯台の壁は、力に溢れている。扉の封印は、とっくに破られていた。
 しん――としている。
 灯台の内部、響くのは彼女の靴音ぐらいなものだった。晴れているからだろう、風の音すら聞こえない。たまに襲い掛かってくる魔物を除けば、灯台には一切の音が存在しない。そのうち、メナーディは、自分の歩く音すら床に吸い込まれ、霧散したかのように感じた。自分が消されてしまうような感覚に、思わず大鎌の柄を握る手に、力がこもる……。
「ふん……」
 彼女の唇から漏れたそれは、彼女の虚勢。
 ややあって、彼女は竜の像のある部屋に辿り着いた。
『星持たぬ者に、ここを進む価値はない。立ち去れ!』
 そんな声がした。実際は、聞こえた側から吸い込まれていったがゆえ、彼女の記憶の中で再構成された言葉にすぎなかったものの、言いたいことはよく判った。星とやらが何なのかは、見当も付かなかったが。
 その部屋には四つの壁画があった。看板代わりの石碑を、一つ一つ読み取っていく。
 サカナ、水を支配した命。ヒト、地を支配した命。トリ、風を支配した命。ドラゴン、炎を支配した命。あるいは、あの尖塔は、これら四つの支配者を司るものなのではないのだろうか。
 と。
「…………!?」
 背後に魔物の気配。振り向くと、見たこともない鳥の魔物がいた。魔物らしく、普通の鳥よりも、数段大きい。メナーディは、恐れなかった。落ち着いて、炎を練り上げ、放つ。
「ファイア!」
 彼女の秘める炎の力は苛烈。しかしその魔物は、霧散することはなかった。うるさそうに、真紅の翼を振るう。するとどうだろう、炎の方が霧散した。
「炎が効かない魔物か」
 メナーディは、大鎌を握りなおした。
「おもしろい!相手になってやるわ!」
 魔物が、一直線にメナーディ目掛けて突っ込んできた。ひょい、と、彼女はそれを意図も簡単に避ける。同時に、魔物の後ろを追うように走り、大鎌を振るった。赤い羽根が幾つか宙に舞う。怪我は与えられなかったらしい。魔物の第二撃を、彼女はまたも避けた。今度は鎌ではなく、炎をぶつけてみる。
「ヴァルカン!」
 火山の神の力を借りた、攻撃系のエナジーである。魔物は、それにちっともこたえていないようだった。根本的に、炎が効かない。
 そのうちに、魔物も彼女の戦い方を覚えたようだった。翼で掬うように、彼女に攻撃を仕掛ける。メナーディは、跳ぶだけでなく、時にはしゃがんでそれを避ける。爪による攻撃は、大鎌の柄を盾代わりに構えた。じいん、と衝撃が走り、メナーディは魔物の力に舌を巻く。
 勝者はメナーディの方。
「っ……」
 息が荒れていた。
 魔物はその場に伏したまま、動かなくなった。そろりそろりと近づいてみても、それは変わらない。勝利を確信した瞬間、メナーディは自分が、思っていたより強く緊張していたことに気付いた。ずるずると、その場に座り込む。
 心臓がばくばく言っていた。疲れが、どっと出る。
 ああ、しかし……メナーディは、ぼんやりと思う。
(なぜ、こいつは霧散しないのか?)
 今までの魔物は全て、死んだ瞬間、霧散していなかったか?炎を使わずに止めを刺した魔物がいたが、それも同じく、霧散していなかったか?
 疲れは、彼女にそれ以上の思考を許さなかった。
 彼女は目を閉じる。どっちにしろ、魔物は死んだ。もう動かない。勝ったのは、自分だ。
 息を整えるのに、大分時間が掛かった。それだけ、疲労していた、と、そういうことだろう。
 しかし息がやっといつも通りになったと思った瞬間、新手の魔物が現れた。小さく舌打ちし、メナーディは立ち上がる。足が重く感じるのは、疲労が抜けきっていない証拠。灯台に言っては駄目と、散々言っていた母を思い出す。なるほど、母の言葉は正しかった。
 新手の魔物は、先ほど倒したものと同じ種類の魔物のようだった。そいつは、メナーディを見つけておきながら、真っ先に彼女の方へ向かうことはなかった。先ほどメナーディが倒した方に近づき、ぐるぐると変な飛び方をした。
 それは、舞いを見ているかのようだった。戦いの途中だというのに、その華麗さは、メナーディをして見とれさせる。
 そうこうしているうちに、信じられないことが起きた。
「なっ……?」
 有り得ない話だ。そして、眼前で有り得ている話。
倒したはずの魔物が蘇るなどと!
 復活した分と、新しく来た分と、二匹が同時にメナーディを敵と見做した。
 一応、足掻いてみる。メナーディは、今の彼女が唯一使える最上級エナジーを放った。
「デンジャフュジョン!」
 二匹とも、その凄まじいまでの爆風を、簡単に避ける。
「私の負けか」
 メナーディは、不敵な笑みを見せた。
 大鎌を離す。からん、と音を立て、大鎌は床に転がった。メナーディは、間合いを詰めようとしている二匹の魔物の前に、両手を広げて立ちはだかった。
「私は、弱い」
 そう言う彼女の表情は、不思議なほどに輝いている。
「ここで命果てるも、私の弱さのなせる事実。来るがいい!」
 魔物に彼女の言葉の意味が判るとも思えなかった。
 カーストには悪いが、こうして戦いの中で死ねることは、そう悪くないことのように思えた。
 二匹同時の突撃に、思わず彼女は身構える。
 と。
「何をしている!」
 知らない男の声がした、その瞬間、腹に、鈍器で殴られたかのような痛みが生じた。立っていられなくなって、そのままその場に蹲る。まさに、私を殺してくださいと言わんばかりだ。事実、彼女は攻撃の第二波を待っていた。
 だが。
「…………?」
 それは、随分待っても訪れない。
 メナーディは、顔を上げた。
 見知らぬ男がいた。
「……何者だ!?」
「何者とは、ご挨拶だな。俺はサテュロス」
 男はしょうがないな、と言わんばかりの表情だ。
「サテュロス」
 メナーディは、思わず彼の名を復唱した。ついで、彼の表情を見る。
「余計なことを……」
 それがメナーディの言葉だった。まだずきずきと痛む腹を無視し、立ち上がって、スカートの汚れをぱんぱんと払う。
 サテュロスが、ぽつり、と零した。
「だから人助けなど嫌だったんだ」
 それは、彼女の気位を逆なでした。頭にカッと血が上った。メナーディは、己の欲望のままに、彼に両手をかざす。
「デンジャラクトッ!」
 至近距離からの攻撃に、サテュロスはなすすべもなく吹っ飛ばされた。彼の持ち物らしい赤い剣が、からんからんと乾いた音を立てる。
 メナーディは、サテュロスに向かい、昂然と言い放った。
「覚えておくがいい、サテュロスとやら。私は、メナーディだ!」
 この日、サテュロスは、彼の炎に出会ったのだ。
 
 その日まで山にこもってひたすら剣の修行に明け暮れていたというだけあって、サテュロスは中々の片手の使い手だった。戦士としても優秀で、次第にメナーディの好敵手的存在になった。彼女は会うたび、彼にデンジャラクトを発動した。最初のうちは、さしもの彼も、まともにデンジャラクトの餌食となっていたが、回を重ねるごとに、避けることの方が多くなった。
 10回連続で避けたとき、メナーディは彼への攻撃をやめた。
 彼の実力を認めたのだ。
 プロクス族の証である『竜変化』の力を得るための試練にサテュロスがしくじっても、彼女の態度は寸分違わなかった。
 ずい、と彼女はサテュロスに手を出した。
「私がお主のパートナーだ。嬉しい?」
 有無を言わせぬ口調だった。俺に選択権はないのか、とサテュロスは内心苦笑する。
「俺は、プロクス初のなりそこないだ。それでもいいのか」
 メナーディは、鼻で笑った。
「だからどうした。私は、言っておくが、今の一族の中で最も強い炎の力を持っている。私とパートナーを組めるのは、剣の腕が最強のお主しかいない。私は、弱い者と組むぐらいなら、慣習に逆らって、一生独りで戦う」
 背筋をぴんと伸ばし、決め付けるように宣言する彼女は、その実、サテュロスから拒否されることなど、爪の先ほども考えていないのだろう。彼女の予想は、当たっているのだ。
「そうか。嬉しいよ」
 サテュロスは、傲岸な炎の手を取った。
 
 それからまた何年か経って、二人が20を越えて少し経ったぐらいのことだった。
 メナーディは、部屋の中を苛々と歩き回っていた。
 サテュロスが、帰ってこないのだ。二日ほど前、マーズ灯台を調べに行くと言い残して去ったまま。一人で行きたいようだったから、放っておいたら、それから今まで姿を現そうとしない。往復に一日掛からないような近くに灯台はあるのに。彼にしては、全くもって有り得ない話なのだ。やはり、止めるべきだったのか。
 カーストが、姉の部屋に顔を出す。
「そんなに心配なら……」
ぎろり、と姉に睨まれ、慌ててカーストは別の言葉を探した。
「……とと。気になるんだったら、行けばいいのに。サテュロスが何か危険な目に遭っていたとして、それに対抗できるのは、プロクスじゃ姉さんぐらいだわ」
「…………ふん」
 外は、吹雪だ。いくら目を凝らしたところで、灯台など見えはしない。ややあって、メナーディは無言で大鎌を掴むと、部屋から歩き去った。ほう、と安堵の溜息を漏らすカースト。戸口から、姉とは違う人物の声がした。
「おーい!カースト、飯食いに来たぞー!」
 パートナーの声に、カーストは先ほどとは種類の違う溜息をつく。
 カーストが仕方なくアガティオに昼食を振舞っているころ、メナーディはマーズ灯台に着いた。
 相変わらず、灯台は静かだ。自分の足音が、やけに大きく響く。外から吹き付ける雪混じりの暴風が、たまに落雷のような音を反響させた。
「ふん……」
 腕を組み、しばらくその場に突っ立つメナーディ。暴風の音の中に、微かな剣戟の音を掴んだ。彼女は、戦士だから、耳はいい。音を辿って進んでいくと、かつて彼女がサテュロスと出会ったあの広間に着いた。
「ほう……」
 そこに累々と広がっているのは、ブルーデーモンの成れの果てだ。五体ほどいる。そしてそれらは彼女の見ている前で、見る見るうちに砂となり、霧散する。それが消えるのを待って、顔を上げ、メナーディは彼を発見した。
 サテュロスは、囲まれていた。ブルーデーモンがもう五体いる。見たところ、サテュロスは満身創痍に近い。剣捌きにいつものキレが見られないのは、彼の負う無数の怪我のせいか。だから一人で行かない方がいいと思ったのだ、とメナーディは笑った。自分がかつて、母の言いつけを破ってここに一人出来たことなど、すっかり失念している。むしろ、そのときの借りを返せることが嬉しくて仕方がない。
 ブルーデーモンは、図体は大きいものの、そして力は強いが、それだけだ。火には、可哀相なほど弱い。メナーディは、それまでの彼女に比べたら最高記録ともいえるほどの速さで火の力を貯めた。
 一気に、放つ。
「デンジャフュジョン!」
 かつては通用しなかったエナジーは、サテュロスごと、ブルーデーモンを吹っ飛ばす。実に呆気なく、ブルーデーモンは霧散した。吹っ飛ばされたサテュロスの元へ悠然と向かう彼女は、この上もなく誇らしげだった。メナーディは、クリアオーラで彼の外傷を治す。それは、サテュロスには使えないエナジーだった。
「どうだ。借りは返したぞ?」
 サテュロスは差し伸べられた彼女の手を、ぐいっ、と引く。
「――!」
 叫ぶ暇もあらばこそ。
 唇を奪われたのだと、気付くまで、かなりの時を要した。メナーディは、頭がくらくらしてくるのを感じた。冷たい唇の感触が、妙に心地よい。初めての口付けは、血の味がした。たまらなくなって、ぎゅっと目を閉じると、それを合図のように、サテュロスは彼女を離す。
「何をする!」
「お前を所有する」
 メナーディに助けられたというのに、サテュロスは勝ち誇ったような笑みを見せている。勿論その笑みは、誇り高い彼女の癪に、さわるさわる!反射的に、彼女の中に至高の火の力が駆け巡った。
「デンジャ、」
 開放の言葉を叫ぶはずだった唇を、サテュロスは再度奪う。
「んっ!」
 彼女の背に手を回し、力を込める。腕の中で、彼女がくぐもった悲鳴をあげた。唇の間から、サテュロスは舌を差し入れた。勿論、噛まれた。それでも、サテュロスは舌を抜くことはしなかった。噛み千切られるわけではない。それぐらいの抵抗など、すぐにでも奪えるだけの自信はあった。彼女の口腔内で、サテュロスの舌がうごめいた。驚いているのか、引っ込んでいる彼女の舌を見つけ、舐めあげる。がくん、と彼女の身体が力を失った。唇を離すと、唾液が糸を引いた。
「痛いな。普通、噛むか?」
「普通も何も……」
 弱々しくも、メナーディはサテュロスを睨む。
「私は、そういうことは一切、したことがない」
 だから判らないと、言いたいのだろう。普通、女というものは、唇を奪われたら恥らうか怒るかするものではないのか?自慢ではないが、彼女が自分を愛していないことなど、百も承知だ。受け入れられることはないだろう。覚悟の上で、サテュロスは彼女を所有することを選んだ。
 ここに一人で来たのだって、メナーディを誘い込むためだ。女などに興味はないが、メナーディに女を求めてみたいと思った。その欲望に、彼は素直に従うことにした。彼とて、彼女を愛しているわけではない。一人の男として、彼女を求めるだけだ。
 だというのに。
(こいつは、どこまで判ってるのか?所有の意味を、知っているのか?)
 ある意味、気高い彼女を敢えて《所有》しようとするのは、サテュロスぐらいだろう。それが許されるのも、また、彼のみ。
 堪えきれなくなって、サテュロスはくつくつ笑い出す。
「何だ!何が可笑しい!」
「別に」
 戯れに彼女の髪に手を伸ばし、梳いた。彼女は、少しも身構えることはない。むすっとした表情で、彼のされるがままになっている。
 もう一度口付けて舌を差し入れると、今度は噛まれなかった。ただただ彼女は目を閉じている。おずおずと、彼女の舌が彼のそれに触れる。
「どうした。噛まないのか?」
 からかうつもりで唇を離す。
「噛むものなのか?」
 真面目な表情でメナーディは答えた。
 言葉は、いらないようだった。愛は言葉なしでも伝わるとか、そういう意味ではない。彼女に説明は不要だという意味だ。むしろ、説明は、するだけ無駄だ。
 ぐい、と引き寄せると、彼女はそのまま彼の胸にしなだれ掛かるような格好になった。髪を撫でてやりながら、豪奢な彼女の髪は、先の方でつんつん跳ねていることに気付く。そんな彼女からは、年相応の娘らしいいい香りではなく、どこか血生臭い匂いがした。それでこそ、戦士。誇る気持ちを込めて頭をぽんぽん叩いてやると、怪訝そうな表情で彼女がこちらを見ていた。
「お主、私で遊んでいるのか?」
「まあ、そういうことだ」
 それ以上何も言えないように、唇を塞いだ。三度目ともなると、彼女も具合が少しは判ってきたのか、積極的に彼の舌に自分の舌を絡ませてきた。唇を離し、サテュロスは彼女の首筋に唇を移す。
「ん……」
 吐息が彼女の唇から漏れた。
 ぐるっと彼女を回転させて、自分の前に座らせた。腕を回せば、彼女を後ろから抱きすくめる状態になった。プロクス族特有の尖った耳の先を、サテュロスは口に含む。
「ふぁ……」
 メナーディが、軽く身をよじった。
「どうした」
「判らんが、何か変な感じがした」
「嫌か?」
「判らん」
 耳朶を甘噛みすると、彼女の身体が小さく震えた。唇を離してみる。彼女の耳は、先のほうが萎れていた。
(ふうん……?)
 では、彼女もそれなりに感じているというわけか。一人でそう納得する。あるいは、もっと感じさせれば、根元の方から萎れてきたりするのだろうか。それはそれで、見てみたい。
 だから、彼は彼女の服の隙間を探す。丁寧に彼女の服の結び目を解き、中に手を滑り込ませた。一気に胸を掴む。
「サテュっ?」
 メナーディの声が上ずる。救いを求めているような瞳は、本能的な抵抗なのだろうか。サテュロスは、彼女の胸をそのまま揉みしだく。わざと荒々しくしてやると、簡単に彼女の息は上がった。本当に、判りやすい。それでも突端には、わざと触れないでおいた。その周りだけを器用に弄ぶ。
 彼女がそれとはっきり気付かないうちに、一枚一枚、彼女を裸に剥いていった。
「……寒い」
「じきに熱くなる」
 何だか妹か何かのわがままを聞いているような気分だ。冗談交じりで、彼女を宥めながらの行為。もしかしたら、これからも彼女を、宥めたりして上手に扱うのはサテュロスの役目になるのかもしれない。事実、よく暴走する彼女を上手く抑えてきたのは、彼だった。こうして彼女を所有する以上、彼女の招く全てをも同時に所有せねばならぬだろう。望むところだ、とサテュロスは遂に彼女の胸の突端に触れる。
「あっ!」
 メナーディが、思い切り喉をのけぞらせる。期せずして、サテュロスの胸に彼女の頭が強く押し付けられた。空いている左手を彼女の顔に近づけ、指を唇の間に潜り込ませる。
「ん……あ……ぅ……」
 柔らかい口腔内が、彼の指をいやらしく濡らした。
 一度触ったら、もう抑える必要はない。ここぞとばかりに彼女を攻めた。たかだか胸だけなのに、メナーディは実にいい声で啼いた。それが、サテュロスの心を狂おしいものにしていく。たまらず、彼女のおとがいに指を掛けた。唇を奪い、貪るように吸う。息苦しさに、彼女の顔が歪むまで、ずっと。唇を離すと、今度は彼女の体の向きを変えた。床に押し倒す。背中に触れる灯台の床の冷たさに、メナーディの喉が小さく鳴る。それはあんまりだと気付き、サテュロスは自分のマントを脱いで、彼女の下に敷いた。
「は……うぅ、サテュ……っ……」
 唇を、彼女の胸に落とす。桃色の肌を強く吸い、所有のしるしを残していく。胸に、首筋に、鎖骨に、腰に、腹に……徐々に唇は下がっていく。同時に、下半身を覆っていた全てのものを、剥いた。生まれたままの姿で横たわる彼女は、既に紅潮しており、言いようもなく妖しかった。
「足を開け」
 やや傲慢な口調で命じる。
「こうか?」
とメナーディ。
 サテュロスは、彼女の秘所に一気に指を入れようとする。
 その瞬間。
「そうか!やっと判った!」
 いきなりメナーディは大声を出す。思わず、サテュロスは入れかけていた指を引いた。
「何が判ったんだ」
 どうせ大したことではないだろうと思いつつ、一応、訊いてみる。彼女は自信満々に答えた。
「お主、私を抱く気だな?」
「…………………………………………………………………………………………………もういい…………………………………………………………………………………………………」
 メナーディの意外な一面を垣間見たような気がするが、それを気のせいだとサテュロスは飲み下す。この様子では、《抵抗する》という行動選択肢も、彼女の中には無いと思われる。だから、さしたる抵抗が無かったのだと、呆れながら納得する。そこはかとなく空しくなってきた。
 ああ、だが彼女はちゃんと濡れていた。何も、身体がこの種の行為に適さないとか、そういうわけではないらしい。もう優しくする気も完全に失せて、指を彼女の中で大胆に動かした。そのたびに、唇から、ついぞ聞いたことが無いような嬌声が漏れた。そうして、彼女が溢れさせるものがある程度の粘り気を持つまで待って、指をすっと引き抜く。濡れたままの指をどうしようかと考えて、彼女の口に押し込んだ。
「自分の味だ。悪くなかろう?」
「う……」
 彼女の舌が自分の指に絡みつく感触に、期せずしてサテュロスは眉をひそめた。何か、背筋を走ったような感覚がある。
「ふ……まあ、いい……」
 サテュロスは、彼女への侵入を開始することにする。
「痛いなら、噛め。遠慮はいらん」
 左指を入れながらの侵入は少し難しいが、敢えてそれに彼は挑む。
 乙女を犯すのは、さすがにきつい。十分に濡らしたつもりだったが、それでもなお。少しでも侵入の抵抗を弱めるため、彼女のあごを引いた。こうすると、括約筋が緩み、侵入が楽になると、聞いたことがあった。
 彼女の痛みは左手の指が教えた。本当に、遠慮なく噛んでくれている。噛み千切られそうだと思うほどの痛みは、最初に舌を噛まれたときよりも強いものに感じた。奥まで入れ、指を抜く。見れば、血がうっすらと滲んでいた。
「遠慮の無い奴だ」
「お主に言われる筋合いは無いわ」
 メナーディは笑った。
「ふふ、不思議だよ。お主が私の中にいることを、手に取るように感じる。こういうかたちでまたお主と一つになれたことを、嬉しく思う」
 ユニオンドラゴンになるとき、二人の心はつながる。もとより二人には、双方向の強い信頼が存在する。その上で身も心も一つとなった。サテュロスが彼女という《炎》を完全に手に入れると同時、《炎》なしでは彼の強さはなくなることとなった。
 それが、所有するということ。
 《炎》を手に入れる代わりに、《炎》を手放せなくなること。
 信頼よりも強い、呼び名の無い絆を結ぶこと。
 所有すること。
 二人が男女であることは、きっと必然だったのだろう。普通の男女らしい感情が一生芽生えないのだとしても、それでも。
 ふと、メナーディが手招きをしている。応じて彼女に顔を寄せると、今度はサテュロスが唇を奪われた。間抜けな顔をしているサテュロスを、メナーディは思い切り笑ってやった。
「来るがいい。奥の奥までお主を受け入れてやるわ」
 強敵に対峙したときと変わらない口調でメナーディは宣言する。
 
 彼の炎は、この上もなく美しい。

炎と出会う