サテュロスは、足を止めた。
「これは、また……話には、聞いていたが……」
彼の目の前には、砂が渦を巻いていた。竜巻というものをご存知だろうか。あれの、砂を含んだものだと思っていただければよい。それが、彼の、ひいては彼らの行く手を塞いでいた。
「何だ」
後ろから、彼のパートナー・メナーディが顔を出した。彼女の視線が、砂嵐に釘付けになる。
「……確かにな」
「どうしたの?」
連れ兼人質のジャスミンが、サテュロスの右側から顔を出す。上背のあるサテュロスの胸の前の辺りで、メナーディと目が合うことになる。メナーディは、うるさそうに砂嵐を指した。
「すご……」
ガルシアに情報収集をさせたところ、この近くのスハーラ村で、砂嵐についての話を沢山得てきた。曰く、遠い北の地の大地震のあと、この砂嵐が発生したこと。曰く、砂嵐に巻き込まれても死ぬ事はないが、なぜかスハーラ村の入り口にまで飛ばされてしまうこと。曰く、砂嵐のせいでスハーラ砂漠を越えることができなきうなっていること。などなど。
眉唾物の話だったから、話半ばに聞いていた。だが、これはどうだ。ここにアガティオがいれば、試しに砂嵐に巻き込ませることも出来るのに、とサテュロスは冗談を言う。ガルシアが小さく吹き出し、メナーディは、その通りだ、とでも言いたげに大いに頷く。
(本気だったのか……)
サテュロスは、自分が砂嵐に巻き込まれないように、彼女を怒らせないよう気をつけねば、と思った。
何はともあれ、この砂嵐をどうにかしないとならない。こんなとき、頼りになるのは同行している人質の学者スクレータである。もう一人、まあまあ賢い連れがいるのだが、彼は今、ここにいない。
「そうじゃのう……」
スクレータは、ぎりぎりまで近づいた。メナーディもジャスミンも、心配そうに彼を見ている。
「うーむ……」
手元の砂を拾ってみたり、枯れ木の枝を投げつけてみたりと、色々と行動をしている。
中々対処法を思いつかないらしい。そのうち、メナーディが、スクレータを砂嵐に投げ込もうとうずうずしていることに気付く。
彼女の肩をぽんぽんと叩いた。
「落ち着け、メナーディ」
「だっ……遅いのがいけないのよ!」
図星だったらしい。本当に、判りやすくて助かる。メナーディは、ふん、と鼻を鳴らした。
「……そうか」
ややあって、スクレータがぽん、と手を打つ。
「判ったの?」
ジャスミンとメナーディの声が綺麗に重なる。感情が表に出やすいという意味で、メナーディとガルシアは似ている。つまり、ガルシアの妹たるジャスミンと、メナーディもどこか似ているというわけだ。
「つまりじゃな」
スクレータは、学者にありがちだが、わざと勿体ぶっている。
「早く教えろ!」
メナーディの剣幕に、慣れているはずなのに、ジャスミンはびくっ、とする。サテュロスを真似て、ガルシアが妹の肩をぽんぽん叩いた。残念なことに、ジャスミンは兄の手を、うるさそうに払う。
「つまりじゃな、水じゃよ」
とスクレータ。
「これは魔物が起こしているものじゃ。そういう気配がするじゃろ?だから、水を掛けて、砂を洗い流してやればいいじゃろ」
「水……」
砂漠でどうやって、砂を洗い流すだけの水を手に入れればよいのだろう。そう思った瞬間、彼らの背後に水の粒が集まった。水の粒は、次第に人の姿を取る。
水のエナジスト、アレクスのご登場だ。
「おお!素晴らしいタイミングだ」
サテュロスはほっとする。
「……取りあえず、お金、稼いできましたよ」
アレクスの渡す袋は、ずっしりと重かった。中を見ると、その全てが金貨だ。
路銀が残り少なくなったとき、アレクスが、一つ、稼いでくると言って、姿を消したのだ。彼に渡したときは、袋の中身は銀貨と銅貨だった。それが、全て金貨に。ただ、アレクスは稼いだ方法を決して語ろうとはしなかった。代わりに、ガルシアに意味深な笑みを見せただけだ。ある日のことを思い出し、ガルシアは小さく震えた。
とにかく、スクレータは砂嵐を払う方法を教えた。
「水を掛ければいいのですね?」
メナーディが濃い火の力をその身に備えているように、アレクスの備える水の力もまた、無尽蔵なものだった。
「アクア!」
雨粒が砂嵐に襲い掛かる。
しかし……。
「うわっ」
アレクスは思わず飛びずさる。風圧に負け、雨粒は全てアレクスと、最前列で見ていたメナーディのところへ掛かる。びしょ濡れになる二人。メナーディの、堪忍袋の尾は、実に呆気なく切れた。
「ええいっ!役立たず!」
アガティオの代わりは、アレクスになった。すなわち、メナーディは砂嵐目掛けて、彼を蹴っ飛ばしたのである。
「何するんですか!」
彼の悲鳴もむなしく、簡単に彼は砂嵐の上まで巻き上げられた。その光景に、スクレータはぴんと来る。
「今じゃ!アレクス、もう一度アクアじゃ!」
抵抗する余裕も気力も、今の彼にはない。言われるがまま、アレクスはアクアを発動させる。今度は、上手い具合に砂が流れ落ちる。砂嵐の中心には、魔物の姿がある。メナーディの表情が、喜びに満ちた。
そこから先は早かった。
「デンジャラクト!」
彼女のエナジーは、砂嵐の威力を倍増させ、アレクスを明後日の方向に吹っ飛ばした。
何て弱いんだろうと、彼女は思った。
「うわあーっ!」
とか、
「ひょえーぃ!」
とか、とにかく情けない悲鳴を上げて、彼女を護衛していたはずの男たちは、砂嵐に巻き込まれていった。きっと、スハーラ村に飛ばされたのだろう。ふと、彼女は、自分が自由であることに気付いた。
同時に、独りぼっちになってしまったことも。
「あああ……」
彼女は、思わずその場に座り込んだ。
(どうしよう。いくら私の力でも、あの砂嵐をどうこうすることはできない……)
かといって、スハーラ村に戻れば、そこでトレビ兵に見つかるに決まっている。そしたら、また自由でなくなる。トレビの支配者バビの思うままに操られるなんて、まっぴらごめんだった。
と、背後で何かが埋まるような音がする。
音の主を見て、シバはぎょっとした。
人だった。
(人……よね……?)
綺麗な水色の髪が、印象的だった。残念なことに、その人は、胸のところまで砂に埋まっている。きっと、砂嵐に巻き込まれたのだろう。そしてどういうわけか、砂嵐が行く先を間違ったのだ。
そろりそろりと、シバは彼の背後に回る。独りでなくなったことは嬉しいが、いきなり声を掛けるような馬鹿なことはしない。代わりに、彼女はリードというエナジーを使った。
『まったく、ひどい人ですよ、メナーディは。お陰で吹っ飛ばされたじゃないですか。さて、これからどうすれば……ん?』
(ばれた!?)
その人が振り向こうとするのと、シバが慌ててリードをやめたのは、ほぼ同時。
ただ、その人は、埋まっているせいで完全にこちらを向くことは出来ないようだった。
「ああ、その力……リード、ということは、風のエナジストですね?」
彼は、アレクスと名乗った。
「あなた、スピンを私に放ってくれませんか?」
意味が判らない。スピンというのは、小さい旋風を起こす力だ。散らばってしまった落ち葉を集めるのに重宝する。勿論だが、人に向かって撃ったことはない。
あるいは、上手い具合に砂が巻き込まれ、アレクスをもっと深くまで埋めてくれるだろうか。だとしたら、面倒なことは何もなくなる。独りぼっちに戻ってしまうが、アレクスとやらは、何だか得たいが知れない。目的のはっきりしているトレビ兵の方が、まだましだというもの。
「やってみるわ」
シバは、スピンを発動する。
悲しいかな、アレクスがそれ以上埋まることはなかった。砂は、彼の腰の部分まで削り取られる。自由になった手で、アレクスは砂を押し上げ、出ようとした。なかなか上手くいかない。見かねたシバは、彼の手を引っ張って、助けてやることにする。握った彼の手は、冷たかった。
「ふう」
彼は地上に戻り、砂をぱたぱた払った。
「すみませんね、助かりました」
アレクスは、手を差し伸べる。しばらくして握手を求めているのでは、と思い、シバは慌てて彼の手を握りなおす。
瞬間、アレクスは彼女ごとテレポートを発動させた。
二つ目の砂嵐を前に、初めてアレクスの不在に気付いたサテュロスは、己の迂闊さを呪った。彼がいないと、これ以上砂漠は進めない。
万事休す。
メナーディの性格に今更腹を立てる気はないが、彼女を上手く御せなかった自分に腹を立てる気はあった。
だから、彼らの目の前に水の粒が現れたとき、サテュロスは心の底よりほっとしたものだった。まこと、メナーディを御すのは難しい。
アレクスは、女連れだった。
見たところ、若いというより、まだ幼さが残る顔立ちだった。紫のマントも儀式がかった白い服も、トレビではついぞ見慣れなかったものだ。
「神の子シバ……」
ガルシアは、少女の正体をそう結論付けた。驚いているところを見ると、正解だったらしい。
「彼女は……シバは、風のエナジストです。連れて行くと、便利でしょうね」
とアレクス。
「どういう意味だ?」
「風のジュピター灯台に入るには、シャーマンの杖と、彼女の力が必要なのです」
ちょうど、彼らには風のエナジストだけが欠如している。となれば、シバの存在は、連れて行くと便利どころか、必要不可欠な存在ということになる。
「荷物がもう一人増えるのか……」
メナーディはげんなりしたが、サテュロスはそれをわざと無視する。必要なら、連れて行くことしかない。
ようやくシバが口を開いた。
「ちょ……話が見えないんだけど」
サテュロスは、素っ気無かった。
「付いてきてもらう」
「だから……」
メナーディが、両手をかざす。
「黙れ、デンジャラクト!」
慌ててかばったアレクスとガルシアごと、シバは数メートル後ろに吹っ飛ばされた。
(むちゃくちゃですよ……メナーディ)
アレクスは、混乱しているシバに、自分たちの目的を話す。
つまり、各灯台の封印を解き、ひいては錬金術そのものの封印を解くために旅をしているのだ、と。シバの使うリードやスピンがエナジーと呼ばれる力で、錬金術の力の一端であることを教えたところで、アレクスは説明をやめた。シバは、余計に混乱している。
「……あとは、あなたにお任せしますよ、ガルシア」
彼の方に、とん、とシバを押す。不意の衝撃にバランスを崩した彼女を、ガルシアは慌てて支えることになる。
「今夜にでも、教えてやってください」
それきり、ガルシアの意見にはつゆも耳を貸さないアレクスであった。
砂漠の夜は、冷える。
スハーラ砂漠は広いので、とてもではないが、一日で抜けることは出来ない。よって、その日は野宿となった。ちょうど、上手い具合に洞穴が見つかったのだ。
シバへの説明は、ガルシアでも、学者のスクレータでもなく、彼女とすぐ仲良くなったジャスミンが行った。ついでに、ジャスミンは、自分が人質であること、無理やり彼らに連れまわされていること、彼らがハイディアでやったことなど、今までの経過を簡単に話す。
「どうして逃げ出さないの?」
素朴な疑問に、ジャスミンは、兄の心中を思い、声をひそめた。
「私たちじゃ、ここら辺の魔物に太刀打ちできないの。彼らとはぐれたら、生きて帰ることも難しいわ。それに……」
と、薪の側でうつらうつらしているアレクスを見やる。
「彼、瞬間移動のエナジーを使えるの。逃げ出したところで、すぐに見つかって連れ戻されるわ」
「そう……」
他ならぬその瞬間移動の力で強引に連れられてきたシバは、取り敢えずの逃亡を諦めるしかなかった。実際、シバも、一人では砂漠を抜けられない。
拉致されたのだ。あるいは、誘拐された。連れ去られた。
アレクスはあのとおり、まどろんでいるし、サテュロスとメナーディは、早々に一枚のマントにくるまって眠っている。これだけ見張りが手薄なのに、逃げられないとは、ただただ悔しい。
その夜、シバはジャスミンと一緒になって眠った。ガルシアはスクレータと一緒、アレクスだけが一人で火の側で眠っている。
それは夜――深夜。
メナーディは、一人で起き出していた。
砂漠の夜は冷えるが、あまり気にならなかった。元々彼女は、北の大地の生まれだ。サテュロスやアレクスと同じ。寒さには滅法強い。まして彼女は火のエナジストであり、熱さにもそれなりの耐性を持っている。
「どうした」
いつの間にか、サテュロスが背後にいた。着いてきていたのだろう。
「別に」
メナーディは素っ気無い。
「眠れない夜もある」
事実、どうして自分が起きだしてしまったのか、彼女自身にもその意味は判らなかった。夜が明ければ、またガルシアたちを守りながら進まなくてはならない。明日からは、お荷物が一つ増えた。アレクスは、回復用に力を残すのだといって、絶対に戦ってくれない。一度でいいからデンジャフュジョンをぶっ放してやりたいぐらいだ。
「お主こそ、なぜ起きた」
「寒かったからだ」
その言葉に、メナーディは思わず吹き出す。
そりゃあ、寒いだろう。二人して身を寄せ合って眠っていたのだから。火の側にいるアレクスはともかく、身を離して眠っていては、寒いのも当然だ。
「それにしても、眠れない夜か」
サテュロスはメナーディの隣に座った。堪えきれないように笑っている。メナーディは、むっとする。らしくないとでも、思っているのだろう。至近距離でデンジャラクトを放ったが、あっさりとかわされた。もっともっとむっとする。しかし、彼に肩をぽんぽんと叩かれて、釈然としないまま、どうにか気持ちを落ち着けた。
「私も女だ。眠れない夜の一つや二つ、何が可笑しい」
瞬間、サテュロスは、遂に声高らかに笑う。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
メナーディがどんどん激高していくのが、手に取るように判る。実際、満月の光は、彼女の一挙一投足を、鮮明に見せてくれる。
「何がおかしい!」
「いいや」
どうにか笑いやみ、代わりにサテュロスは彼女に身を寄せた。
「そうだったな。お前は女だったな」
「……何を言いたい」
「久々に、お前に女を求めたくなってな」
メナーディが息を呑んだのが判った。しかし彼女が身を固くするより前に、彼女の後頭部に回した腕に力を込める。強引に重ねた唇は、柔らかかった。
勿論、メナーディはパニック状態だ。昼間、強引に連れてこられたシバと、おそらくは同じ。何も考えられないほどに、混乱している。
やっとのことで、言葉を発することが出来た。
「……ここでか?」
(何を言ってるんだ私は!?)
メナーディは、自分のせいで余計混乱してしまう。
どちらにせよ、今の彼女を諦める気は毛頭ない。
彼女を引き寄せ、今度は頬に唇を寄せた。そのまま、唇そのものを奪うことなく、徐々に顎に、首筋にと、唇を移していく。苦しそうに彼女が身をよじった。これ幸いと、尖った耳の先を口に含む。
「いいだろう?メナ」
(メナ!)
久々の愛称と、唇の感覚に、メナーディは一切の抵抗を止める。
その一部始終を、わりと近くから見守っていた存在があった。
(何やってんだか……)
今宵は満月だ。また、彼らはプロクス、火そのものの一族である。ゆえに、彼らの身体は、縁取るように発光している。それに気付かないとは、さすがプロクス族である。
(さて、と……)
アレクスは、視線を彼らから自分の目の前のジャスミンに移す。
彼女は、二人の行動に釘付けだった。とはいえ、混乱しているらしい。何をしようとしているのか、見当もつかないのだろう。背後を取るのもたやすい。アレクスは、彼女を後ろから抱きすくむように捕らえた。
そっと囁く。
「まだ早いでしょう」
彼女が悲鳴を上げるより早く、テレポートでその場から離れる。
「何するのッ!」
彼女の声が響いたところは、先ほどの場所から離れた地点。誰にも聞かれることはない。
「まったく、あのままあそこにいて、二人にばれたらどうするつもりだったんですか」
そう言ってやると、彼女はふと我に返った。
「……怒られてた?」
「そりゃあ、ねぇ……」
「………………………………」
ジャスミンは押し黙っている。
それにしても、火が消えたせいで目が覚めると、人員が著しく減少していることには驚いた。何より、ジャスミンの姿がないのだ。彼女は大切な人質だから、よもや逃げ出しはしないと思いつつ(ジャスミン本人が逃げ出せないのだとシバに言っていた気がした)、一応、捜しに来た。そしたら二人のあれに出くわし、その側で息を潜めているジャスミンを見つけた。
(焦りましたよ。さすがにね)
まあ、これが「彼女」でなくてジャスミンだったから、よかったようなものの……。
「ねえ、あの二人は何をしていたの?」
「知りたいんですか?」
「…………別に」
ぷい、と横を向くジャスミン。何を思ったのだろうか。
とにかく、彼女を洞穴まで連れて帰らないと。ついでに火をつけてもらうことにしよう。寒さに離れているものの、眠るときには多少の暖が必要だ。
「送っていきますよ。私も寝直したいですし」
そういえば、そもそも彼女はなぜ、起き出していたのだろう。
訊こうと思ったが、やめておいた。まずは、彼女をこのまま大人しく送っていくのが先決のように思えたから。
砂漠の夜は更けていく。もう一度、テレポートを発動させる前に、アレクスはあくびをかみ殺した。