生きるために、この力は必要だった。

私は水の力なくしては、生きることが出来なかった。

 どこに行っても私を受け入れる場所はなかった。

 だからこそ、力が必要だった。

 その力こそが、私が排除される原因だと気付くまで、私はひどく時間を要した。
 
 
−5−
 
 
 朝の光とは違うどこか優しい光が、ジャスミンを包み込もうとしていた。
「ふぁ……」
 ゆっくり伸びをしたジャスミンは、傍らに眠るロビンにびっくりした。
(えっと……なんでいるんだっけ……)
 顔がかぁっ、と熱くなっているのが、自分でも判る。ややあって、昨日、遂に結婚したということを思い出す。お互いに疲れていたから、寝台を共にしたとはいっても、それ以上のことは何もしていない。ただ、一緒に寝ていただけだ。
 それだけのことに、びっくりする。
 窓の外を見ると、うっすらと赤みが差している。そろそろ日も暮れるのだろうか。
 朝早く、ガルシアたちがソル神殿に行くのを見送って、そのままふらふらと寝たのだ。そのせいか、気分はすっきりしている。傍らのロビンを起こさないように、ジャスミンは、そっと寝台から抜け出した。
(兄さんたち、もう帰ってきてるかしら)
 兄の目的をはっきり知っているわけではない。兄は、ただ、ソル神殿に行く、としか言ってくれなかった。何であれ、朝方に出掛けたのだ、その日のうちに帰って来れなくなるような、危ない冒険ではないはずだ。
 旅は、もう、終わったのだから。
 エレメンタルとともに錬金術がウェイアードに解放されてから、特に変わったことはない。魔物が強くなったぐらいだろう。賢者の石を巡る争いも起きていないし、何より、人々がまだ、錬金術が復活したことに気付いていない。錬金術が封印されていた約500年の間、誰もが錬金術なしで生きてきた。それゆえのことだろう。
 もっとも、レムリアでは相変わらず、ハイドロ王とコングレスのコンサバトとで喧嘩が続いているようだけれども。ピカードがそう愚痴を零していたのを思い出し、ジャスミンは小さく笑った。
 本当に、世界は平和で。
 あの辛い旅など、まるで一夜の夢のようで。
 居間は、しんとしている。
「兄さんたちったら、何をやっているのかしら」
 ジャスミンの足は、自然、ソル神殿の方に向かった。道すがら、口々に結婚を祝福され、
ジャスミンの足取りは軽くなる。自然に囲まれたハイディア、長閑で、静かな、安寧のとき……ずっとずっと続けばいい。このまま、ゆっくりと、年老いていきたい。

 だから、ソル神殿の入り口で、ピカードを見つけたとき、ジャスミンは、一瞬、訳が判らなかった。
「ピカード……!?」
 傷だらけのピカードが、倒れている。抱き起こすが、意識はない。安寧は崩れた?旅のころを思い出し、ジャスミンはエナジーを発動させる。
「クリアオーラ!」
 火のエナジーだから、本家本元の水のエナジーほどは、効果は強くない。けれど、傷を塞ぐぐらいの力はある。痛みだって、多少は薄らぐはず。その証拠に、ピカードは意識を取り戻した。
 掠れた聞き取りにくい声で、ピカードは急を知らせる。
「ジャスミン……ガルシアと、メアリィが、危ない……」
 さっとジャスミンは緊張する。
「兄さんが……何かあったのね!?」
「アレクスが、いたんです……ガルシアが、ボクだけ逃がして……」
「アレクス……」
 ずっと忘れていた名だった。黄金の太陽現象に巻き込まれ、そのまま行方知れずとなった男……かつての敵。自分たちを散々に利用した、食えない男……。
 傷は完全には癒えていないのに、ピカードはのろのろと立ち上る。
「行かないと……!」
 そんな彼のケープをジャスミンは慌てて掴む。
「駄目。まずは傷を癒さないと……とにかく、うちまで来て」
 有無を言わさぬ口調に、ピカードは抗わなかった。
 ジャスミンが肩を貸し、どうにかこうにか家に向かう。帰ると、ロビンやジェラルドなど、他の皆も起き出していた。
「どうしたの?」
とシバ。
「アレクスが、いたらしいの」
 アレクス――その名に、ロビンが険しい顔つきになる。
 とにかく、ピカードの傷を癒すことが先決だった。名乗りを上げたのは、イワン。シバは、ソル神殿に行きたがった。ガルシアとメアリィが危ないと聞いて、ロビン、ジェラルドも続く。勿論ジャスミンも行くつもりだ。
「僕がピカードを看ています。とにかく、みんなは戦いの準備を」
(戦い……勝てるだろうか……)
 そんな思考が流れ込んできて、イワンはぎょっとする。
 また無意識のうちに、リードを発動させてしまったらしい。思考の主はピカードだ。ピカードは、そのまま思考の形で、重要な情報を教えてくれた。
(アレクスは、水だけでなく、全てのエレメンタルの力を振るう……)
 ジンの力も借りずに。
 それを伝えると、誰もが驚いた。
「全部のエレメンタルの力を使えるって……まるで神みたいじゃないの!」
 シバはそうわめく。黄金の太陽現象とは、現象がもたらす莫大な力とは、つまりはそういう意味だったのか。
「行くしかねぇだろ」
 ジェラルドは面白くなさそうに言う。
「神だろうが化けモンだろうが、ガルシアたちが危ないなら、オレらで助けるしかない」
「同感だ」
 ロビンは、もう二度と使うことはないと思っていた剣を取り出した。それは、ガイアの剣。地のヴィーナス灯台で見つけた、ガルシアの持つソルブレードに勝るとも劣らぬほどの、地の力を引き出す剣だ。
 よもや、また使う日がこようとは。
 もう、旅は終わったと思っていたのに。
 戦いは、終わったと思っていたのに。
 アレクスの目的は何なのか。黄金の太陽現象で莫大な力を得たのだから、目的は達成されたはず。続いて、目的の第二段階に手を伸ばしたか。第二段階。考えられる目的は、そう多くない……世界の、支配。
「アレクスは、ウェイアードを我が物にする気か?」
 だから、ピカードを傷つけた。
 ガルシアとメアリィを相手に、戦っている。
 莫大な力とやらを以て。
「冗談じゃないわ。せっかく錬金術を解放してこっち、平和が続いてたっていうのに、アレクスなんかに邪魔されてたまるもんですか!」
「そうよ、あんなの、幾ら強かろうが、私たち8人が揃ったら、ちょちょいのちょいだわ!」
 威勢がいいのはジャスミンとシバ。ジェラルドも、ロビンも、それに続くように士気を鼓舞する。そう、自分たちは、ドラゴンにだって勝った。あの旅の後、メアリィなしで、デュラハンなる魔物に出さえ打ち勝ったではないか!
 負けるはずがない。
 アレクスが、どんな力を得ていようとも。
 と、再びピカードの意思がイワンの中に流れ込んできた。
(イワン、ガルシアが来ています!でも、あれは……ガルシアでは、ない……?)
 意味の判らない彼の心に訝りながら、イワンは反射的に部屋を飛び出した。玄関から出て、足を止める。
「どうしたの?イワン」
 後ろから追いかけてきたらしいシバもまた、足を止めた。くるりと振り返って、ジャスミンを呼ぶ。
「ガルシアが帰ってきたわ!」
 いの一番に反応したのはジャスミン。兄の無事を確認しようと走り出す。そして彼女もまた、玄関を出たところで足を止める。
「にい、さん……?」
 そこにいるのは、紛れもなくガルシア。
 だが、どこかが違う。
 ジャスミンは、混乱する。ピカードを傷だらけにしたアレクスとの戦いを経たはずの兄の無事に、喜ぶ心。メアリィの不在を、疑問に思う心。これは自分の知っている兄ではないと、そう告げる直感。三つの心が、ぐるぐると回っている。ないまぜになっている。
 ガルシアは、何も言わなかった。ジャスミンと、彼女に追いついたロビンを認めると、後ろを向いてすたすた歩き始めた。
「待って!」
 ジャスミンは、慌てて追いかける。ガルシアは、歩みを止めない代わりに、走り出そうとはしない。すぐに追いついた。
「兄さん!兄さんでしょ!兄さんは、大丈夫なの?アレクスは?メアリィは?」
 矢継ぎ早の質問に、ガルシアは無言を以て答えとした。
「兄さん……?」
 腕を掴むと、ガルシアは初めてジャスミンを見た。しかし、そこに自分の姿がないことに、ジャスミンは気付く。ガルシアは、どこかぼんやりとした瞳を妹に向けていた。そこにジャスミンがいることは認識していても、ジャスミンが自分の妹であることに、気付いていないようだった。
「兄さん……?」
 自然、ジャスミンの力が弱まる。ガルシアは、その隙に腕を抜くと、またもすたすたと歩き始めた。
 意味不明の展開に、立ち尽くすジャスミンの肩を、ロビンが優しく抱く。
「いいから。とにかく、ついていこう。メアリィが、心配だ」
 優しい夫の声に我に返れば、シバとジェラルドが、それぞれの武器を持って控えていた。ロビンは、掠めるようにジャスミンに唇を寄せ、そして彼女の武器を渡した。マサムネという名の、軽めの剣。彼女が最も愛用していた剣。
 振り返れば、イワンが心配そうに皆を見送っている。後で必ずピカードとともに行きますと、イワンは叫んだ。それが、また、心強くジャスミンを支えた。
 ガルシアは、離れたところで、立ち止まっている。
「今、行くわ……兄さん」
 ジャスミンは、歩きだす。
 何があったかは判らないけれど、何かとんでもないことが起こったということは、判る。