あなたが側にいないのは、嫌。

 わたくしがあなたに伝えたいことは、それだけ。

 わたくしは、わたくしの願いを取り戻しました。

 次はあなたが、あなたの願いを取り戻す番です。
 
 
―7―
 
 
 新しい人物の登場だ。
 光の渦が発生し、よく似た二人が姿を現した。
 風の姉弟だ。すなわち、ハモと、イワン。
「ハモ様!」
 メアリィがほっとしたように声を上げた。アレクスは、氷の剣を下ろす。ひとまず、メアリィを手に掛けるのは後回しにできる。
 ハモと呼ばれた人物は、つかつかとガルシアに歩み寄った。ガルシアは、動きを止めている。ロビンは意識を手放したようだし、ジャスミンとシバ、ジェラルドはガルシアの手により眠らされている。
「ガルシア」
 ハモは、ガルシアの前に立つと、瞳を覗き込んだ。
「あなた、私が判りますね?」
 無表情に戻っていたガルシアが、僅かにうろたえたような顔をした。ハモは、何を思ったか、すい、と彼の首筋に手を伸ばす。彼女が引っ張り出したのは、どこか不恰好な石だった。紐を通し、ガルシアがずっと身に付けていたそれは、どういうわけか、淡く明滅している。ハモは、風を操って、紐を切った。奪い取った石を、力いっぱい地面に叩きつける。
 地面は石ほど硬くはないのに、それは割れた。
「う……」
 ガルシアが、小さく呻いた。目を閉じ、頭を振っている。寝起きのようにも見える。《魅了》が解かれかかっているのだと、アレクスには判った。どうやらあの石に、自分が与えた風と水の力の幾ばくかが吸い込まれていたようだった。
「言ってごらんなさい。私は、誰?」
 ガルシアは目を開けた。
「ハモ……さ、ま……!?」
 ぴん、とガルシアの中で何かがなる。
 瞬間、ガルシアは自分を取り戻した。
「ハモ様!?どうしてここに!?……ロビン、ジャスミン!!ジェラルド、シバ……!?」
 慌てて回復しようとするガルシアを、ハモは思いがけない方法で止めた。
 背伸びをして、唇を奪ったのだ。
「!!!????」
 哀れガルシア、顔を真っ赤にして硬直する。ハモは、その隙に、メアリィに意味ありげな一瞥をくれる。そして、イワンに、ピカードのところに戻るように言った。イワンは、ロビンたちを心配そうに見やり、更にハモに何事かを囁かれ、その場を去った。
 ハモの視線の意味するところを、メアリィは瞬時に汲み取った。目の前のアレクスに、微笑みかける。
「わたくしが、皆を回復いたしますわ。話は、その後。……よろしいですね?」
 有無を言わせぬ口調だ。
 優しい笑顔で頷くと、メアリィはその場に跪いた。
 目を閉じ、身体中の水の力を集める。この場にいる皆を癒す力を求めた。メアリィの身体が蒼い光のヴェールに包まれた。やがてそのヴェールは、彼女の背に集まる。何が起こるのかと見守っているアレクスとガルシア、ハモの前で、ヴェールは翼の形を取った。メアリィの背に、折りたたまれた蒼の翼が生えたのだ。たおやかな手を組み、メアリィは力を解放する言葉を探す。それは、彼女の中にあった。まるで泉からこんこんと湧き出る清水のように、静かに紡がれるのを待っている言葉だ。
 壊れないように、損なわないように、メアリィは言葉に命を与えた。
「ピュアウィッシュ」
 さぁっ、と微かな音がした。蒼の翼が、最大限にまで広げられた。かと思うと、次の瞬間には、翼の崩壊が始まる。翼は、まるで波にさらわれる砂の城のように、音もなく、小さな幾つもの光の粒子となる。粒子は、戦士たちの上に降り注いだ。粒子に触れたところから、皆の傷が癒えていく。
 いつの間にか、倒れそうになっていた自分の身体が楽になっているのをアレクスは感じる。メアリィは、異なる属性の力を振るう負担に悲鳴をあげていたアレクスの身体さえも、癒したのだ。
 光止んだとき、一切の傷は消えていた。
 水と癒しの力をほしいままにする、マーキュリー一族の、真なる力。メアリィの中に眠っていた、至上の蒼の力。今の彼女は、まさに《イミルの天使》の二つ名に相応しかった。
 ややあって、長い長い溜息とともに、メアリィは目を開けた。
 ロビン、ジャスミン、ジェラルド、シバの四人は、依然眠ったままだ。アテンションのエナジーを発動させようとするメアリィを、ハモは止めた。
「しばらくは休ませてあげましょう?大丈夫、身体が休まったら、ちゃんと、目を覚まします」
「……はい」
 ハモの言葉は心強かった。
 かくしてその場には、メアリィ、ハモ、ガルシアそしてアレクスの四人だけが意識を保って残っていたこととなった。
「さて、それでは一つ、質問に移りましょう」
 切り出したのはハモだった。
 まずは、アレクスに向かい、丁寧にお辞儀すると、
「私、アネモスのハモです」
と自己紹介をした。二人は初対面だった。ハモはアレクスの名や存在を知っていたものの、アレクスはまったく知らない。イワンの姉だと言われ、アレクスは判ったような、判らなかったような顔をした。
「なぜ、ハモは《魅了》をあんなにもあっさり解けたのですか」
 それがアレクスの一番の疑問。ハモは、簡単なことだと笑う。ハモが到着したとき、既に《魅了》の支配はかなり揺らいでいた。更に、アレクスが施した《魅了》は、風と水の力を使うもの。ガルシアが持っていた石は、風と水の力の耐性を上げるものだった。その代わり、身に付けている者の風と水の力をも抑えてしまうため、ハモがガルシアに贈ったものだった。
「だが、スリープを使うとき、その石が力を貸してくれたような気がする」
 ガルシアはそう言い、ハモを驚かせた。
 ともかく、《魅了》の弱まっている状態で、それを解くには、何かきっかけを与えてやるだけでよかった。だから、ハモは、風と水の《魅了》の力を多少なりとも吸い込んでいた石を壊し、ガルシアを現実に引き戻したのだ。
「今度はオレが訊きたいことがある」
とガルシア。
「なぜ、こんなことをした」
 ここでロビンたちや自分と戦おうとしたのは、なぜか。あるいは、黄金の太陽現象で莫大な力と永遠の命を求めたのは、なぜか。ガルシアの問いは、そのどちらか判りにくかった。アレクスは、どちらでもあるのだろうと解釈する。
 なぜ。
 導き出される答えは一つ。
 アレクスは、おもしろくなさそうに呟く。
「……知るか」
 むっとするガルシア。
「オレは真剣に訊いている!」
 同じぐらいアレクスもむっとしたようだった。
「私だって真剣に答えています……知らないものは知らないんですっ!」
 メアリィはびっくりしている。ハモは、子供みたいな言い合いをする二人に呆れ顔で止めに入った。
「では、質問を変えましょう。アレクス、あなた、何が目的だったの?」
 答えるか、答えないか。
 アレクスは考える。目的は一つだ、自分が何者か知ること。育ての母親が死に、アレクスはアンガラ大陸を放浪していた。自分の故郷を求めての旅だった。だが行く先々で、その類稀なる容姿から、あるいは生きるために振るっていた水の力から、彼は恐れられ、《化け物》された。モゴルという街では殺されかけたことすらある。
 自分は《化け物》ではないと、《人間》だと、叫びたかった。
 自分は《人間》であるという、証が欲しかった。
 自分が何者なのかを、知りたかった。
 それを言葉に出すのは、しかし嫌だった。別に、ハモやガルシアに話す分になら、気まぐれで話してしまってもよかったのかも知れない。ただ、そこにはメアリィもいた。自分の過去をメアリィには知られたくなかったし、モゴルで背に受けた醜い傷跡を知られるのは、もっと、もっと、嫌だ。
「………………」
 だが、一方ですべてをぶちまけてしまいたいという思いにも駆られた。特に、メアリィに、知って欲しかった。
 ややあって、アレクスは答える。
「私は、私が何者なのか知りたかっただけです。その過程で、黄金の太陽現象のことを知りました。私は私自身を知るために、力が欲したのです」
 イミル村で腰を落ち着けるまで、ずっと放浪の身だった。最後にたどり着いたイミル村でさえ自分の故郷でないことを知ったアレクスは、大陸の外へ行くことを望んだ。しかし、それを叶えるためには、自分はあまりにも力不足だった。
 イミルでクリストという男に師事し、かなり自分の力が強まったのは知っていたが、それでもまだ、大陸の外にはいけそうにもなかった。
 そんな折、アレクスはクリストから黄金の太陽現象のことを聞いた。
「お父さんが……」
 つまりは父が既にマーキュリー一族としての使命に背いていたのだと判り、メアリィは少し気落ちした。もっとも、もう父はいない。それに、一族の使命に、結局自分も背いた。そしてそのことに、今は後悔はない。
「それで?」
 ガルシアが先を促したが、アレクスはそれ以上は何も言おうとはしなかった。
 だから、ハモが、確かめるように言葉を継ぐこととなった。
「それで……力を手に入れていくうちに、力そのものに魅せられた、というところかしら?」
 アレクスは何も言わないが、その態度は、メアリィにハモの言葉が正しいことを教えた。
「そんなこと……」
 メアリィは、溜息をつく。
 今までのことが、流れるように思い出された。
 父の死んだ日、気が付いたらアレクスの姿はなかった。心配しているうちに、時が過ぎ、ロビンたちと出会い、そしてマーキュリー灯台の頂上で再会した。それっきり、もう会っていない。途中で錬金術を解放するという目的が同じになったのに、まだ彼は姿を現そうとはしなかった。最後まで、自分たちの敵であり続けた。そして黄金の太陽現象から三年、自分に散々心配ばかりさせておいて、再会した。そこでも戦いとなり、自分は水晶に閉じ込められもした。そして戦い終わってわけを聞いてみれば、つい力を求めるのに走ってしまいました、と。
 メアリィは、何だか悲しくなった。アレクスの不甲斐なさに、腹さえ立ってくる。
 と、何だかアレクスがメアリィの次の言葉を待っているのらしいことに気付き、メアリィは小さく吹き出した。まるで母親に怒られるのを待っているような、そんな瞳をしているのだ。アレクスが初めて見せる表情だった。
 呆れた笑みを浮かべ、メアリィは呟いた。
「ばか」
 アレクスは、ぷい、と目を逸らす。
「……どうせ馬鹿ですよ、私は」
 ハモが小さく笑い、ガルシアが後ろを向いて大いに笑い、メアリィもつられてころころと笑った。
「ねえ、アレクス、あなた気付いてる?」
 歌うようにメアリィは微笑んだ。
「あなた、随分表情豊かになっているのよ?」
 ガルシアが「あ」と声を上げた。
 他方、アレクスはうなぎのぼりに腹が立ってくる。と、ふと思いついて、これ以上ないという素晴らしい作りものの微笑を浮かべて見せた。
「それでは、私はこれで」
「えっ!?」
 止める暇もあらばこそ、アレクスはさっさとテレポートのエナジーを発動させ、姿を消した。慌てて彼を掴もうとしたメアリィの手が、むなしく空をきった。
「アレクス!」
 名を呼んでも、帰ってくるわけがない。
「どうしましょう……」
 形勢逆転だ。
 メアリィはうろたえた。せっかく会えたのに、そして今度こそ敵ではなくなったのに、また離れた。まだ、メアリィは彼に伝えるべき言葉を伝えていない。なのにアレクスはどこかに消えた。彼の行き先など、どうやったらわかるだろう。
 おろおろしているメアリィを救ったのは、他ならぬガルシアだった。何を思い立ったか、服の隠しをごそごそやったかと思うと、綺麗な蒼の石を取り出した。
 テレポートのラピスだ。
「ピカードから預かっていた。万一のとき、ここから脱出できるように」
 ソル神殿が完全に崩壊し、出られなくなったときのための保険代わりに持って来たらしかった。ガルシアにラピスを渡され、メアリィの顔がぱっとほころんだ。ハモが、力づけるように、深く頷いた。
 メアリィは大切な宝物のようにラピスを両手でくるむように捧げ持った。
 ラピスに、祈る。
(テレポートのラピスよ、わたくしに力を貸して。わたくしを、アレクスのもとへ連れて行って)
 これ以上アレクスの好きにさせるものですか……今度こそ、一緒に行く。メアリィは、たった一つの願いをラピスに込めた。わたくしは、あの人と離れるのは嫌、と。純粋な娘の想いが、ラピスの力を引き出した。
 瞬間、メアリィの身体が粒となり、そして消えた。
 残るはハモとガルシアだけになる。
「さて」
 ハモはメアリィを見送ったまま突っ立っているガルシアに、訊く。
「私も、あれぐらい自分の気持ちに正直になった方がいいのかしら?」
「?」
 言葉の意味するところを、ガルシアは全く受け取ってくれない。まあいいのだけれど、と嘆息するハモの横の方で、
「ふぁ……」
というジャスミンの声がした。身体がある程度休まり、目が覚めたのだろう。
 いの一番に妹やロビンに駆け寄り、《魅了》を受けていたことを平謝りするガルシアに、ハモは、ほんのちょっとだけ、げんなりした。
 どさくさに紛れて口付けた彼の唇は、甘く柔らかかった。