破戒

 最早、あの蕾が破裂する以前から、世界には亀裂ができていたのだとしか思えない。

 雨。
 上空からしたたる水。
 雨の循環は、閉じたものでなくてはならないと、後から知った。
 なのに、雨粒に紛れて、外界の情報が少しずつ入りこんでいたのだ。
 意図的に。あるいは無作為に。
 街の外から、そして更に外側から、覗きこむものの手によって。

 出所の知れない神のレリーフが、そこここに砕け散っている街。血と鉄錆の匂いが充ち満ちた街。
 ジャンクヤード。
 廃墟であるからには、かつて何らかの繁栄があったのだろうと思い至ったのは、つい先頃のこと。
 それまでの俺は、ただあるがままに、自分の身の上を受け入れるだけだった。
 気がつくと手の中に有ったハンドガン。
 そぼ降る雨の中、唯一乾いた音を立てて、その武器が鳴る。
 
 スローモーションのように倒れていく、コバルト・グリーンのペイントのついたトライブスーツの兵隊達。
 敵、と定義されたひと群れの人間の、更に一部。

 俺の横には、紅い髪の男がいた。
 グレイのマントに、我がトライブ、エンブリオンのクローム・オレンジの印を背負って。
 銃声を合図に、奴は立ち上がって吠え、敵陣に向かって突撃していく。

 雨に煙る視界の中、炎のように燃える髪が振り立てられ、機関銃を駆り、敵をなぎ払う。

 まるで鬼神。

 鬼神?
 ――鬼神とは、なんだ。
 ふと、そんな疑問が、脳裏に浮かぶ。
 荒々しく、横暴な、怒りの神だ。
 そして、怒りとは。

 反感と、不平とを、そして、時には悲しみを、露わにする感情だ。

 俺の中に、様々な疑問とそれへの答えが、文字と囁きの羅列となって、脳を流れていく。

 紅い髪のヒート。
 俺が気づいた時には、既にそばにいた。
 一見、粗雑な振る舞いをする男だったが、結果は的確で、俺はそれに全幅の信頼を置いていた。
 置いている、筈だった。
 
 信頼とは、命を任せて、なおかつゆるぎない、と言うことだ。
 ヒートだけではない。俺はもちろん我がエンブリオンに所属する兵士、特に幹部に、不信感を抱いたことなど、一度もない。

 しかし。
 ヒートの髪が、彼の感情の徴のように舞い上がるのを、俺はひどく不安に思った。
 
 そして、視界が、ゆらいだ。
 
 雨のせいかと思った。しかし、雨には慣れている。雨が降っていなかった日など、覚えている限り、一度だってなかったのだから。
 次に、そのゆらぎは、自分の心臓が不自然な動きをしたせいだとわかった。
 「ボス」
 裂けた肉と同じ色の髪を持つアルジラが、数日前の戦いの際に熱放射で溶けた瓦礫のすき間から、やや不審そうな声で、話しかけてきた。しかし、利き目はライフルのスコープに向けたまま。
 「戦いの最中に、他のことを考えるのは止めて」
 スナイパーである彼女は、ひとつの機械のように、廃墟の影に潜んでいた敵の額を正確に打ち抜いた。

 右手前方で、手榴弾が火を噴く。
 あたりを包む煙幕の中から、フードをかぶった男と、サブマシンガンの撃鉄を引きなおす少年が姿を現した。
 「任務完了」
 「兄貴!」
 
 燃える色の髪をした男の姿はない。

 不意に、足下を冷気が包んだような気がした。
 「――ヒートは」

 「ここだ」
 走り出して行った先より、はるか西の方角から、彼が現れた。
 部下の構成員も、三々五々、戻りつつある。

 「ボス。あなた、おかしいわ」
 アルジラが、灰色の眼で、俺をじっと見た。
 フードのゲイル、戦場ではひどく目立つドレッドヘアのシエロも、無彩色の瞳で、様子をうかがっている。

 「これから、気をつける。すまない」
 俺は、そう告げ、年少のシエロに、エンブリオンの旗を、ひときわ高い塔の上に立てろと、命令した。

――

 「敵は、弓兵を増員したようだ。今のように、互いのアジトから離れたところで戦っている限り、いつまでも決着はつかない」
 エンブリオンのアジト、ムラダーラの作戦司令室に戻るなり、参謀のゲイルは今日の戦況について述べ始める。
 あくまで自分の見解だ、とつけ足した後「これからどうするつもりだ、ボス」と訊ねてくる。
 俺は、いつもと変わらず、ゲイルに視線を返したつもりだった。
 だが、ゲイルは、無機質な眼で一瞥した後、その端正な眉を顰めた。

 「――覇気がないな」
 「気のせいだろう。俺はいつもと変わりない。作戦だが、…いきなりハーリーを討つわけにはいくまい。兵糧攻めと行くか?」
 「ああ、一見良い方法だ。しかし、適切ではない。すぐに結果を出して欲しいと要
請したわけではないのだから。今日はもう、休んだ方が良いようだな、リーダー」

――

 
脳が、ひどく腫れているような感覚があった。
 眉間が重く、なのに、思考が異常に早く回転していて、矢継ぎ早に、みしらぬ言葉を泡にして意識に浮かばせた。
 けれど、単語ひとつひとつを掴もうとしても、それは清流を泳ぐ魚のように、銀色の輝きだけを残して、指の間をすり抜けていく。

 ――魚。
 魚とは、一体、なんだったろう。

 蒸気のわき上がる通気口の金網を避け、自室に向かう通路にはいると、ドアの前に、ヒートが立っていた。
 俺は、何故だか立ちすくむ。雨の中で目眩を起こした瞬間のことを思い出した。
 同時に、その時感じた不安をも。
 「サーフ」
 奴は、時々、俺をこの名で呼ぶ。
 「部屋に入れ」
 
 昂ぶっている。ヒートもまた、俺と同じように。

 「ゆらいでいるんだろう?」
 俺の後について、同じ部屋に踏み込んだヒートは、ドアを閉めながら、そう問いかけてきた。
 そうして、背後から両の腕をまわし、ゆっくりと俺を抱きしめる。
 「気味が悪りぃんだ。これをどうにかしてくれ」

 なんと例えれば良いのだろう。
 いつもフラットな自分の中味が、千々に乱れて――揚げ句、断片化したままだと感じることがある。
 自らの行動すべて、はっきりと説明がつくことが殆どなのに、ごく稀に、由来のわからない思考のさざ波に揉まれてしまうのだ。

 初期の頃には、少し多めに食事をし、眠り、癒されてた。
 
 だが、それだけでは治まらないことが、多くなっていた。

 他の人間達に全く起こらないと言うわけではない。しかし、俺と、そしてヒートとに、顕著な事象なのだった。もしかしたら、お互いの存在そのものが、この不安定な状態を呼び起こしているのだろうか。

 俺たちは、ある日それに気づき、その為に尚、ヒートは苛々とした。彼が俺より、一層ひどい波紋を身体の中に抱えているのが見て取れた。
 彼は、ひどく焦れて、これはなんだ、と俺に詰め寄ってきた。何故、俺たちばかりが、こうなるんだ、と。彼の灰色の眼が、ゆるゆると濁って、別の色を産もうとしている。

 激情に任せて、俺の胸ぐらを掴む彼。俺は自分の身体を支えるため、マントから覗く彼の肩口に手を延ばし…。

 燃えるようだった。
 肩の。その、皮膚。
 灼かれると思った。
 他人の体温を思い知った、俺の一番古い記憶だ。
 ヒートは、電流に撃たれたような表情で、俺を凝視した。
 同じ熱さを感じ取ったのだと思う。
 彼は、怯えた視線のまま、俺の掌ひとつで、まるで急所を撃たれた兵士のように、その場に膝を折った。

 何故、次の行為に至ったのかは、覚えていない。
 俺は、力の抜けきったヒートに身体を預け、そのまま折り重なった。
 熱い肩口を撫で、髪に顔を埋め、首筋を寄せ合う。
 焼けこげた石に似た髪の匂いの向こうに、ヒートの心音が聞こえる。

 意識した途端、自分の鼓動まで、大きく響き始めた。
 戦場でも体験したことのない、動悸。
 むしろ、戦場では、気づいてはいけない動悸。
 すべらかな行動を阻害するもの。
 互いの禁忌の音が、ひとつに重なっていく。
 
 不愉快に思えた心の分断が、更に進行していくのがわかった。
 堅く、棘を持っていたに違いない、小さな塊となった心の群れが、液状に溶け、寄り集まりながら不定形の渦を巻き、大きな波へと変化し、俺たちを喰らおうとする。
 その波のピークに、俺は、あえて手を延ばした。

 殆ど、身じろぎもできないまま、ヒートは俺の手探りの行為に飲みこまれ、熱い、熱い、と叫び声を上げる。汗を流し、やがて、大きく背を仰け反らし、歯を食いしばって、泣いた。

 ――涙。
 人の涙を、初めて見た。

 気づけば、俺たちは互いに衣服をすっかり落としていた。冷たい個室の床に倒れつつ、まるで屋外にいたかのように、肌を汚し、一部は傷だらけで、戦闘の直後よりもひどい有様をしていた。

 しかし、俺の中の波は跡形もなく過ぎ去っていたのだ。

 「なんだ。これは…」
 つぶやきが聞こえた。
 表情の半分を隠す紅い髪を、いつもより更に乱したまま、俺の脇に横たわるヒート。
 覗きこんでみれば、
 ――彼は、すっかり、無彩色の瞳を取り戻していた。

 『リカバリ』
 俺たちは、その日起こったことを、そう名づけた。

――

 最初の時のように、急いて床に倒れ込むようなことを、俺たちはもうしなかった。
 ヒートは相変わらず、苛々と、そのくせ、ひどく震えて自分の衣服をはぎ取ろうとするのだけれども。
 俺は、利き手で彼の胸を押し、ゆっくりと部屋の隅にあるベッドに座らせる。
 なだめるように、肩口を撫でながら、マントを取り去り、トライブスーツの鈍色の金具を外す。
 肺をきつく締め上げていた防具から解放されたのもあるのだろう。ヒートは大きくため息をついた。そして、俺に向かって、吐き捨てるように言う。
 「…なんで、おまえは、いつもそう、落ちついてやがるんだよ」
 落ちついてなんていない。
 気が狂いそうなんだ。
 波が、すぐ背後まで追ってきてる。

 脳裏に得体の知れない明滅があって、しきりに警告を発している。
 放すな、と。
 この男の手を放すな、と。
 そして、一時たりとも目をそらすな、と。

 気味が悪いのは、俺も。ヒートと同じことだ。
 誰とも知れない声が、脳の中で囁き続けてるんだぜ。

 刻一刻と変わっていく、ヒートの振る舞いで、闇の声はどんどん大きくなっていく。
 羽音のように。

 『焦燥を抱えて、震えるヒート』
 『俺の眼前で、身を横たえるヒート』
 ああ、何故、こんなにも、心が揺さぶられるんだ。

 ベッドの中で、ヒートの灰色の瞳が、まるで睨むように、俺を見る。
 震えている癖に、手を延ばしたがっている癖に。
 俺はヒートのアンビバレンスな混乱を受け取って、非道く…

 ――非道く、つらくなった。
 
 声は、相変わらず俺を追いつめていく。
 やがて、俺は、声に押されて、目の前のヒートを哀れに思いながらも、手を延ばすしかなくなる。
 大波にさらわれる前に、破片になりかけた自分と彼の心を、ひとつにまとめるんだ。

 俺がいつものように、紅い跳ね毛に顔を埋めると、彼は待ちかねたようにしがみついてきた。
 「…まるで、仲が、いいみたいじゃ、ねえか」
 爪まで立てて、強く強く抱きしめてくるヒートは、ふたりの仕草を、鼻で笑ってみせる。
 「俺は、おまえが、気に入ってる」
 告げると、さも莫迦にしたような声を上げた。
 「ありえねえ」
 どうして?何故そんな冷めたことを言う。おまえの肌はこんなに火照って、俺と一分のすき間さえ、開けようとしないのに。
 黒いニットのアンダーを、俺は利き手でたくし上げて、ヒートの胸を探る。
 心音が、俺の手のひらを打つと同時に、彼が細く甘い声を上げる。
 
 常に皮肉そうに歪んでいる彼の唇が、かつてないほどに柔らかく解け、それは花のように――花?花とはどんなものだっけ――可憐な曲線を描いて見せた。
 俺は、触れたくなる。
 けれど、せがまれて、汗ばみ始めた胸からは手を放すことができず、そこで――やもたてもたまらず、同じところを――自分の唇を、彼に押し当ててみた。

 「なんで、噛みつく」
 「…さあ」
 噛みついたのではないけれど。だって、歯は当てていない。
 彼が言うのだったら、歯を立ててみてもいいかもしれない。
 俺は、唇を甘咬みする。奴は仕返しのように、同じ仕草を仕掛けてきた。
 
 そして、いつの間にか、舌を、歯を、探り、絡め合わせ、むさぼり合うように、息と体液を吸いあう。
 気がすんで、唇を離したのは、どれくらい経ってからだったろう。
 俺たちの間を、銀色の糸を引いて、唾液が滴った。
 「…おまえは…予想もつかないことを…」
 濡れた唇をぬぐいもせず、ヒートは擦れた声で言う。
 「酔う、ね」
 戸惑うヒートに、微笑みかけて、俺は素直な感想を口にする。
 彼は頬を赤くした。同じ気持ちになってる証拠だった。
 こんなに、気持ちがひとつになってるのに、仲が悪いなんてこと、あるわけがない。
 
 そう。俺の中に潜む得体の知れない不安なんて、そんなものは。

 唇を離すと、ヒートの肌が、更に熱くなっているのに気づいた。内面のフラグメントが溶けてきたようだ。
 俺の不安も、同時に溶けていく。
 彼とリカバリをして初めて知ったことがあった。俺と、彼との、身体の中心。
 断片化したとき、肌を触れあわせると、尿意を覚えている訳ではないのに、その部分が反り上がるのだ。始め、お互いに衣服の上から触れあった。その途端、あの波がひときわ高く寄せるのを感じた。
 そして、奇妙な安堵。高揚しているのに、安心する。ヒートの素振りと同じ、アンビバレンス。
 
 これは、なんの、ための、行為だ。

 俺たちは意味を理解しないまま、ただお互いの中心を触れあわせた。今日も。
 ヒートは、もどかしげに自分のアンダーを引き下ろす。
 「サーフも、脱げよ」
 「……」
 「――早く」
 別に、躊躇っているわけではないのに。堪え性がなさすぎるんだ、きみが。
 骨張った大きい手が、俺をさえぎって、手早く素肌に剥いた。
 触れられて、俺は大きくため息を漏らす。
 「――ヒートの、手…熱い」
 「おまえのここの方が、ずっと、熱いぜ」
 言いながら、乱暴なくらいに、俺を扱き始める。
 自分がされたいようにしか、施してこないヒート。
 でも、それでもいい。俺も、始めの時はそうだったのだから。
 
 そして、彼にも触れてやると、途端に大仰なくらいに背を反らす。
 「…っ、あ…っつい…」
 「ヒートは、騒ぎすぎだね」
 「…う、せぇ…っ…あ…」
 炎のような前髪のすき間から、とろりとした暗さの瞳が、俺をじっと見ている。
 「…ヒートは…」
 俺は、ふと、問いかけてみたくなった。
 「ヒートは、俺が、嫌いなのか?」
 
 「好き嫌い、とは違うだろう。おまえは、ボスだ」
 そう。ボスだ。
 気がついた時は、ボスだった。決めたのは誰なのか。
 「俺は、ヒートを気に入っている」
 先ほど口にしたことを、繰り返してみる。
 「ヒートは…?」
 ヒートは?
 彼の暗い眼に、一瞬、黄金が射した。
 「そんなことに、なんの、意味があるんだ?」

 意味は、ないね。
 この行為と同じように。
 ただ、聞きたかっただけなんだ。
 聞いて、ただ、落ちつきたかっただけ。

 俺は、もう、考えるのを止めた。
 こんな思考は、フラグメントのせいだ。
 いつものようにフラットになれば、煩わされることもない。
 数あるトライブの頂点に立つ、そのことだけに明け暮れる毎日に、簡単に戻って行ける。

 「…っ、ふ…」
 望むように激しく掻いてやると、ヒートの息が荒くなる。それと同時に、胸と腹とを、唇と舌で探りまくった。彼は悶えて、また俺の肩に爪を立てる。すがってきながら、それで、なにも意味がないなんて言う。いや、もう考えるのは止めるんだ。
 「あ、熱い…」
 ヒートは、熱いとしか言わない。この部屋に、廊下からの蒸気が紛れ込んできているんじゃないのか。俺はまだそんなに熱くない。でも、波がきている。鼓動が早い。
 ふと思いついて、告げてみる。
 「――噛むよ」
 「…あ…っ」
 ヒートがあわてたような声を漏らしたので、楽しくなった。両足を高く掲げさせ、いままで掻いていた部分を、俺は口に銜えた。ヒートの唇を吸った時と同じように。
 「おい…!…すんじゃね…ぇ」
 何故?唇同士であんなに酔うんだったら、ここなら、きっともっと。

 「やめろ!よせよ…サーフ!サー…」
 こんな時ばかり名前で呼んだって、俺は返事なんかしてやらない。

 そして、前で快いんだったら、後ろだって。
 俺は、ヒートの脚の間に、ゆっくりと指を立てていった。

 「だめだ…!熱い…!」
 熱い、しか、言わない。
 本当は、どんな言葉を口にしたいんだ?

 ヒートは、奥歯をきしませながら、両腕で自分の頭を抱え込んだ。
 息を細く吸い、やがてすすり泣きを始める。

 大丈夫、この波が過ぎれば、無彩色の世界に、俺たちは戻れる。
 俺も、なんだか頬が熱くて、汗にまみれて、身体の動きが止まらないのだけど、それはいっときのことだから。ひとりきりで壁に頭をぶつけて嘆くより、ずっとましなはずだ。

 なあ?ヒート、一緒に。

 一緒に、越えていこう。

――

 あんなに熱かった空気が、気がつくとひんやりしていて、俺はベッドの毛布を引きなおした。
 傍らで目をつぶるヒートの肩までをそれで包み、更に自分の両腕で囲み、毛布にくるまる。
 建物の中は、もうすっかり静まりかえり、寝ずの番がたまに立てる靴音だけが、遠くからかすかに響いてくる。
 
 「治まった…か?」
 俺が問いかけると、ヒートは視点の定まらない眼で、見返してきた。
 それは、いつもの灰色の視線と少し違う。まだ、もやもやとした思考が頭の中でもつれあっているようだ。
 「もう一度…?」
 「……」
 ヒートはかすかに首を横に振る。
 フラグメントのせいではないのか。
 
 「これは…なんなんだ…?」
 さあ、と俺は答える。ヒートは始めの時も同じ事を問いかけてきた。
 答えは、相変わらず見つからない。

 「…必要な、ものなのだろう?よくはわからないけれど」
 「おかしな、行為だな。俺が俺でなくなる。でも、ひとりでいたとしても、結局狂ってしまうのだとしたら、やはり、これも必要なことなのか」

 理屈じゃない、とその時には、俺はなんとなくわかり始めていた。
 ヒートに触れて、人間が熱いものだと、初めて知った。そして多分ヒートも同じだろう。
 戦い、生き残ることが、俺たちの目的なのだが、きっとそれだけでは壊れてしまうようになったのだ。
 なにがきっかけなのか、今は知る術がないのだが。

 「ヒート」
 「…なんだ…」
 「少し、話をしないか?」
 「ごめんだね」
 つれないな。
 「おまえと話をすることなんて、なにもない」
 「そうかな」
 俺とひとつの毛布を分け合っているヒートは、相変わらず、少し色の溶けた瞳で、俺を見つめている。
 「リカバリの時、ただでさえ、俺はおまえでいっぱいになっているのに」
 「…いっぱいに」
 「おまえのことしか考えられない」
 それは、初耳だ。

 「俺が、おまえになって、おまえが、俺になる感じだ。不愉快で仕方がない」
 「不愉快、か」
 ヒートらしい、と俺は思った。
 「それは…思考が入れ替わる感じ、か?」
 「思考が入れ替わる、わけがねえだろう。おまえのことなんか、今もって、何一つ見当がつかない」
 そんな冷たい眼をしやがって、と、ヒートはつけ足した。
 俺は、そんな風に見られていたのか。
 「何が、入れ替わるんだ…?」
 「見えないもの…掴めないもの…なにか…『情報』…?」
 ヒートは、その単語を口にしてから、すぐさま否定をした。
 「いや、違う」

 そして、いつになくゆっくりと、
 「それは、つまり」
 噛みしめるように答えた。
 
 「魂、とでも言うのか」

 たましい?

 俺が繰り返すと、ヒートは今夜初めて、薄く、微笑んで見せた。
 長い睫毛が、二度三度、しばたたかれ、後はそっと閉じたきりになった。

 鼻筋の通った、彫りの深い彼の顔だちが、暗闇の中でほんのり白く浮かぶのを眺めながら、俺は幾度か繰り返してみた。
 魂。
 たましい、か。

 彼の炎のような髪を指で透きながら、もう一度考えた。

 そんな言葉、聞いたことがない。

END

――

あまり色っぽくもないのだな… この人達、なにしてるかわかってないもので。と言うわけで、覚醒前のエンブリオンのつもり。ヒートがセラにしたキスは、サーフから教わった、みたいな。うをを。