気づいたのは、12月24日の午後だった。

 土曜日の午前中は、菜々子の病室で過ごした。あの子は、今日がイブだと言うことを知っていたのだろうが、俺が何も言わなかったので、殊更口にしなかったにちがいない。そんな子だ。
 堂島の叔父さんも、きっとクリスマス自体を忘れていた。覚えていれば、きっと俺に菜々子へのプレゼントを頼んだろうから。
 病院内には、ツリーの飾りはもとより、イブの集い――入院生活が長くなっている子どもたちのためのもの――のポスターが貼ってあったが、それが今日だとは思っていなかった。
 この日の午後、急な院長回診で追い出されたのも、よく考えれば、一時帰宅のできる患者には、自宅で年を越させたいという意図があってなのだったが、菜々子も俺も「大変聞き分けのよい子ども」なので、深く考えもせず、普通に「バイバイ」と別れた。

 夕刻のニュースで、今日の日付を知らされた。

 そして、何故気づかなかったのかと言えば、俺の元に両親からクリスマスカードが届かなかったからだ。
 ものごころ着く前の2年間、キリスト教圏で暮らしたことがある。カードはその頃からの習慣。少なくとも両親にとっては。

 俺もいい加減、悪い息子だから。
 叔父さんや菜々子が入院したことも、それどころか自分の近況さえ、知らせていなかった。
 稲羽にPCがないのも手伝って、Webメールを打つのが横着になり、たまに届くポストカードさえも、斜め読みした後、読みかけの雑誌のしおりに使ったりしていた。

 彼らの帰宅後を考えると鬱になった。
 けれど、一緒に住まないわけには行かない。海外ではメイドが雇えるような職業だけれど、日本では無理だ。次の勤務地が決まるまでは、俺のサポートが必要だった。

 ぽっかりと時間が空いた。

 居間のテレビはいつもと同じジュネスのCMを流している。
 「毎日がお客様感謝デー」
 時計を見ると、まだ6時だ。ジュネスの閉店には間に合う。できあいの総菜でも買ってきて、夕飯にしようか。
 そこで、別なことに気づく。
 クリスマス・イブ。
 ジュネスでバイト中の陽介とクマ。今頃、チキンやケーキの売り場でこき使われているに違いない。閉店間際に行って、余り物を買ってやった方がいいかもしれない。明日になれば、どっちも投げ売りだ。ケーキのホールは無理でも、チキンなら数日食える。

 そのまま、うとうとしてしまった。

 携帯の着信音で目が覚めた。

 「俺」
 相棒の声がした。
 「今、病院?家?ケーキいっちょ差し入れしてやんよ。誰かそこにいる?」
 「家。誰もいない。バイトは?」
 「終わった」
 時計を見ると、9時を回っていた。
 「来るのか?クマも一緒?」
 「…いや、クマは…今、行くわけにはいかないというか」
 なにごとかをつぶやいているが、あまりよい内容が想像できなかったので、そっとしておくことにした。
 
 通話を切ってから、なにか塩気のあるものはないかと、冷蔵庫を探した。当然ながら、なにも探し出せなかった。

 「なんで!なんで電話の時、言わないの!用意してやったのに!チキンでもキッシュでもツリーでも!」
 他人の世話に生き甲斐を見いだしてるとも言える花村陽介には、今の俺がとてつもなく可哀想に見えたらしい。
 客観的に見れば、俺だけでなく、陽介もある意味可哀想な状況になってしまっていたのだが。

 俺の自室のローテーブルには、ホールケーキが2つ。
 直径15センチの小さめサイズとはいえ、生クリームたっぷりのイチゴショートが、ひとり頭ひとつ、と言う絶句するしかない光景が目の前にあった。
 「…失敗だったなー。一個は俺んちのつもりだったのよ… けど持って帰るわけにもな…」
 頭をかきながら、もごもご言っている。
 これも、スルーしよう。

 「来る前に完二にも声かけたんだ。時間が遅かったからな。おふくろさんが色々用意しちゃったらしくて」
 あそこも親ひとり子ひとりだしね。
 俺は、ちょっと考えてから、立ち上がった。
 「コーヒー入れてくるよ」
 「おお。めっちゃ濃いヤツ頼む」
 叔父さんが使ってるサイフォンがある。挽いてない豆も沢山あるから、がぶ飲みしても問題はなさそうだ。自分のテリトリーを侵されて、退院後にすねられるかもしれないが、そこは致し方ない。

 台所でしばらく思案して、俺はサイフォン一式を二階に運んだ。叔父さんはいつも熱湯をサイフォンにいれてしまうが、アルコールランプでじわじわと沸騰させてみたかった。
 これには、そこそこ時間がかかる。
 ケーキを一旦ケースに戻してもらい、俺はテーブルの上にミルを置き、豆を挽いた。
 コーヒーの香りが、部屋中に漂う。
 ランプにアルコールの青い火がともる。
 これは、キャンドルに見立てても、特に不足がないような気がする。
 「電気消してみる」
 「うい」
 同じことを考えていたのか、即答する陽介。
 青い炎を見ていると、心が凪いだ。
 わずかな光に照らされて、陽介の長いまつげが、目元に濃い影を落としている。
 「てかさ。女子組、誰も声かけてこなかったの?」
 おずおずとヤツが問いかけてきた。
 「なんで?」
 「俺、てっきり、イブは誰かと一緒だと思ってたんだわ」
 「でも、俺、土曜日は菜々子のところに行くって言ってたはず」
 「あー、誰も本気に取ってなかったんじゃね?おまえがまさかクリスマスイブ忘れてるなんて考えつかねーだろうし。アレだ。バレーボールのボール、誰かが受けると思って遠慮してたら、コートの真ん中に、すとーん、と」
 「その喩えは、あんまりだ」
 流石の俺も、へそを曲げる。
 「あ、い、今のはなかったわ。ゴメン!マジ、ゴメン!」
 両手を合わせて謝るので、勘弁した。
 「ボール落ちる寸前で、陽介がサーブしたってことになるかな」
 「あ、そう?そうなのかな?」
 何故か頭をかいて照れている。
 「でも、みんな…全員、おまえのことはいつだって気にかけてくれると思うぜ」
 陽介が、いつになく真剣な声で言った。
 わかってる。
 雪子も、千枝も、りせも、俺を親友と言ってくれた。
 そして、目の前の陽介も。

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つづきます(08.12.26)