Novel
ヴェサリウスのブリッジに、一つのコロニーが映し出される。
オーブの所有する、ヘリオポリスと呼ばれるそこに、ラウ・ル・クルーゼを隊長としたザフト軍の部隊が近づきつつあった。
そこに地球連合が極秘裏に開発した新型モビルスーツがある、という情報を得ての行動だ。
眼下に映るコロニーの映像を見て、クルーゼはふと、昔を思い出していた。
(そういえばあの少女……、といったか……)
三年ほど前、彼がとあるコロニーから連れ出した少女だ。今はオーブ国籍を得て、宇宙に暮らしていると情報はあったが……
「……隊長?」
黙りこんだクルーゼを、訝しげにオペレーターが振り向く。
「いや、何でもない。作戦は予定通りにな」
首をゆるりと振って、それだけ告げるとクルーゼはブリッジを後にした。
Bypath-1 起点・ヘリオポリス
一仕事終えて、兄が療養するこのヘリオポリスに戻っては、すぐ近くにあるお気に入りの店で紅茶を飲む。
それが、最近のの日常となりつつあった。
13歳の若さでジャンク屋組合に所属し、そこで与えられる小さな仕事をいくつかこなしていって。気がついた時には三年の月日が過ぎていた。
兄の回復も順調で、最近では一人で日常生活が送れるというところまでになっている。
家を出る際に彼にかけられた、滑らかな発音での「いってらっしゃい」が今も忘れられない。
兄・が健やかであることだけが、今のの望みであり、救いであった。
幸い、ここヘリオポリスは中立コロニーだ。戦火に焼かれる心配も……無いとは言い切れないが、それでも他の所よりはましだろう。
は「住むならオーブにしなさい」とアドバイスをくれた知的美女に今更ながらに感謝していた。
「まあ、人使いが荒いのが難点だけどね……あの人の場合」
ティーカップを置いて、苦笑する。
兄と自分、二人分を養っていくには、何より先立つものが必要だった。
次に向かうのはユニウス7かエンデュミオン・クレーターか、はたまたユグドラシルか──
「どこでもいっか」
あっけらかんに言うと、立ち上がる。
依頼も特に無いし、プロフェッサーも今のところ何も言ってこない。
「しばらくゆっくりできるかな」
う〜んと伸びをしながら、は呟いた。久々に、兄とのんびり過ごすのもいいかもしれない。
それならなんでわざわざ外に出てきたのかという疑問もあるが、そこはもう、習慣になっているのだから仕方が無い。
会計を済ますと、は追加でそこの店の名物のクッキーを二人前、テイクアウトで注文する。
帰って、自分で紅茶を入れて、兄と一緒に食べよう。
「ありがとうございました〜」
店員の挨拶を背に自動扉をくぐる。
兄、の住むマンションまではすぐだ。
クッキーを手に、は軽やかな足取りで家路を歩いていた。
そしてちょうど、角を曲がったその時。
「うわっ!」
「え!?」
急に横に衝撃を感じたかと思うと、次の瞬間の体は地面に投げ出されていた。
「いたた……」
ぶつけた箇所をさすりながら起き上がる。
あの瞬間の感触は、おそらく人とぶつかったのだろう。
なんてお約束な……と思いながらも何とか起き上がり、いまだ地面に尻餅をついている人物を見遣る。
吹き飛ばされた帽子の下からあらわれた無造作な金髪に、服はボーイッシュなスタイルでまとめている。
一瞬少年かと思ったが、丸みを帯びた体のラインで女だと分かった。
少女に手を差し伸べる。
「大丈夫?」
「ああ……」
少女はそう答えての手を取りかけたが、すぐにぴたりと止まり、
「……き、気をつけろっ!」
叫ぶと、手を取らず自力で起き上がり、背中を向けて走り出す。
の目の端に、落ちたままの帽子が映った。
「あ、忘れ物!」
慌ててそれを拾い、少女の背中に呼びかける。
少女は足を止め、自らの頭をぽんぽんと触った。
「…………」
やがて本当に帽子が無いのを悟ると、くるりとこちらに振り向き、ずんずんと歩み寄ってくる。
無言のまま、の手から帽子をひったくると、再び走り去っていく。
「…………何あれ」
一人残されたはぽつりと呟いた。
再び歩き出そうとして、ふと両手が軽くなっていることに気付く。
さて、何故だろうか、と考えてみる──地面に、潰れてぐちゃぐちゃになったクッキーの包み紙が二つ、無惨な姿を晒していた。
「あー……!」
反射的に少女の走っていった方向を見るが、当然そこにとどまっているはずもなく。
落胆の声を吐いて、は仕方なく駄目にしてしまったクッキーの残骸を拾い上げた。
「それにしてもさっきの子……」
はいまだその方向を見た格好のまま、歩いていた。
初対面だ。それは間違いない。
だが、確かにどこかで見た記憶があるのだ。
首を傾げても、はっきりとは思い出せなかった。
思い出している余裕すら、この後なくなることになる。
最初は地震かと思った。
昔、地球に降りた時に、幸いにしてその自然現象に遭遇したことがあった。
人の力ではどうにもできないことが起こるのだと、はその時思った。
だが、今のこれは違う。
コロニーでは地震など起こらない。
「何……? ヘリオポリスが、揺れてる……?」
その揺れはだんだんと激しくなってきていた。
今、が立っているのは、ちょうどさっきの喫茶店と兄の住むマンションの中間点あたりに位置する。
行くにしても引き返すにしても、危険な位置に変わりない。
「く……」
ひときわ大きな揺れがを襲った。
咄嗟に身を伏せる。
あたりに見えていた、逃げ惑うまばらな人の姿が、視界から消え失せた。
──いや、
「あ、あ……」
運良く、崩れた瓦礫の下敷きにならなかった人影が一つだけ、の目の前で震えていた。
「!!」
身を起こし、体のバネを使ってそこまで跳んだ。
人影は、上質なワンピースをまとった少女だった。
綺麗にセットされた赤い髪は、今は埃にまみれて見る影もない。
「あなた、大丈夫!?」
「……っ、わ、私……私……」
少女は何が起こっているのか把握しきれていないようだった。
ただの腕の中で、呆然としたままである。
どうするか。
兄のいるはずのマンションに向かうつもりだった。
たった一人の兄弟を見捨てて行くことなんてできない。
かといって、たった今、せっかく助かったこの少女を放っておくこともにはできなかった。
(……兄さん……!)
悲痛な思いを胸にしまったまま、少女を立たせる。
怪我はないようだが、とても一人では歩けそうになかった。
幸いなことに、このあたりの振動は止んでいる。
は少女を支えると、歩き出した。
この近くに、緊急用のシェルターがあったはずだ。