Novel

 は放心した少女を連れて、一番近くのシェルターへと急ぐ。
 幸い、たいしたごたごたもなく中に入れてもらえる……先に少女を放り込むと、は一度だけ、家のある方向を見遣った。

(兄さん、無事で……)

Bypath-2 カプセルの中

 戦闘(あれはおそらく戦闘だ)はまだ続いているようだった。
 時折シェルター内が揺れ、ぱらぱらと埃が舞い落ちる。
 隣に座らせた少女は膝を折り、そこに顔を埋めて震えていた。

 小さな肩だ。
 はそっと少女に触れる。
 一瞬だけびくりと動いたが、それでも人の体温が心地良いのか、少女は黙っての手を受け入れていた。
 昔、よく兄にこうやっていたことを思い出す。
 目の前のこの少女はあの時の兄よりも小さくか弱いものに見えた。それは男女差によるものだけではないのだろう。
 少女は恐怖がどんなものかを知っている。
 物言わぬ兄、よりも、怯えた少女が一層小さく映る。人間の目はそういう風に出来ているのだな、と思った。

 と、震える唇から小さく呟きが漏れる。
「サイ……」
 親しい人の名前だろうか。
 は少女の横顔をちらりと見た。目を閉じて祈るような表情をした彼女は女の目から見ても一種の美しさを持って映る。
 安心させるように……同時に自らの安心も得るために、は赤子にそうするように少女の背を撫でた。

 少女の背は、とても暖かかった。


「……落ち着いた?」
 しばらくして少女が顔を上げる。
 横から覗き込むようにしては少女に尋ねた。
「え、ええ……その、ありがとう……ずっと、ついててくれたのね」
 そう言ってはにかむ少女。はそれに笑んで返す。
「ううん。私も……ちょっと、心配な人がいたから」
 だから、少しでも人のぬくもりを感じていたいのだと、は独り言のように言った。
 少女が名を呼んだ親しい人のように、自分にも、大切な兄がいる。
「兄さん……」
「……お兄さん?」
 小さく漏らしたはずの言葉は、はからずして少女に聞こえていたらしい。
 ちょっとだけ照れたようにが頷くと、意外にも少女はなんだか安心したような表情を見せた。
「そうよね、みんなそういう大事な人がいるものなのよね」
 一人で納得したらしく、少女はうんうんと頷いている。
 ふと、は周りを見回してみた。

 シェルター内の誰もが、どこか不安そうな、何かを案じるような顔をしている、と感じた。
 先程少女が『サイ』と名を呼んだ時の様子に少し似ている。

(……そうか)

 やっと合点がいって、は再び少女を見た。
 誰にだって大切な人がいる。
 まるで自分だけが不幸であるような態度をとったことを、少女は恥じたのだ。

 にも、同じことが言えた。

(兄さんだけじゃない、ヘリオポリスにはたくさんの人がいた……)

 マンションの近くにあった喫茶店の店員も。
 帰り道にぶつかった通りすがりの少女も。

 今日会った人だけではない。

 ヘリオポリスに引っ越してきた時に「うちの地方の風習だ」と言って蕎麦をふるまってくれた隣人。
 兄の車椅子を引いていて地面の凹凸に引っかかった時に手伝ってくれた少年。

 そんな、愛すべき人たちがあのコロニーにはたくさんいた。
 そしてそれら全ての人が、誰かの『大切な人』なのだ。
 自分にとっての兄のように。

「ね、あなたの名前は?私は
 少し落ち着いたらしい少女にそう問うと、すぐに答えが返ってくる。
「私はフレイ・アルスター。改めて……ありがとうね」
「ううん、困った時はお互い様」
 のその言葉を聞いて、少女──フレイの表情がほころんだ。


 その時、シェルターがひときわ大きく揺れた。ガクン、という音まで聞こえてくる。
 それは先程までの振動とはまったく違う種類のものだった。
「もしかして、外に発射された?」
 の呟きに、フレイがさっと青ざめるのが分かった。
「私達、これからどうなっちゃうんでしょうね……」
 ぽつりと、心細い声が聞こえる。
「そうだね……まずは、信号を誰か……連合かジャンク屋だとありがたいんだけど……見つけてもらって……」
 フレイを安心させるように、努めて明るく言おうとしたが、はここではた、と動きを止める。
「……どうしたの?」
「いや、何かおかしいような……」
 首を傾げるフレイをよそに、はシェルターブロック内の一点を見つめていた。
 確かそこに管制する箇所があるはずだ。シェルターの構造は、職業柄嫌と言うほど知っていた。
 普通、緊急時(今回のように避難船として宇宙に出たときなど)には、シェルターは救難信号を発する。そうして見つけてくれた者と中の者が通信を行うための通信装置も完備されているはずだ。
 しかし、それらが作動しているようには見えなかった。
 シェルター内にも、それらは知らされるはずだ。

(まさか……故障!?)

 焦り、思わずは立ち上がる。
「ど、どうしたの!?」
 突然のことにフレイが声を上げたが、はかまわず管制室へと向かう。
 そこかしこにうずくまった人の群れを刺激しないようにかきわけて、やっとたどり着く。

「やっぱり……」
 落胆の声と共に、はすぐに元いた場所へと引き返してきた。
 不思議そうにしている少女に、嘆くように告げる。
「救難信号が発信されてない。通信機も故障してるみたい……」
「そんなぁ!?」
 悲鳴を上げる。それに反応してか、シェルター内の人達の視線がフレイととに降り注いだ。

「通信機が壊れてるって!?」
「直らないのか?」
「それじゃここはどうなるの……」

 驚愕、恐怖、絶望。
 狭いシェルターにそれらのマイナス感情が伝播するのはあっという間だ。
 ウェストポーチに下げた小型の整備キットに手をやる。あの混乱の中唯一持ち出せたものだ。
 直すにしても、これだけでは道具が足りない。
 ましてやコロニー取り付けのシェルターだ。一人でできるような作業でもない。

 だがまだ希望はある。
 久々にヘリオポリスに帰る前、は上司にあたるプロフェッサーにこう伝えられていた。
 曰く、

「あたし達も今日ヘリオポリスへ行くわ。大物が眠ってるらしいから……まだロウ達にはナイショよ」

 だそうだ。
 彼らに見つけてもらえば、拾ってもらえるかもしれない。
 少しだけ希望がわくと同時に、プロフェッサーはこうなることを予見していたのではないかと少々疑問に思えてくる。


 そんなことを考えていて押し黙ったを、冷静なのだと勘違いしてか、フレイはヒステリックに叫んだ。
「あなた、どうしてそんなに平然としていられるの? 死んじゃうかも知れないのよ!?」
「そんなことない。私は、助けは来るって信じてるよ」
「気休め言わないで!」
 フレイは軽くパニック状態に陥っていた。
 この状態は危険だ。不安に晒された他の人が、彼女と同じ症状を引き起こすかもしれない。
 腕を振って拒絶するフレイをかまわず抱きとめる。
「私には、仲間がいるから」
「仲……間……?」
 赤子を諭すように、優しく語りかける。
「うん。仲間のジャンク屋が、今日ヘリオポリスに来ることになってるの。その人たちなら、きっとこの船を見つけてくれる」
「本当に……?」

 は顔を上げてフレイを見た。いまだ不安げな彼女の顔に、にっこりと笑いかける。
「本当だよ」
「……」

 しばしの沈黙。

「そうよね……どうせここで待つしかないのなら、信じる方がいいわよね……」
 恥ずかしげに顔を伏せ、フレイが僅かに微笑んだ。


 その時だった。
 先程よりも大きな揺れがポッドを襲ったのは。
 通信機、レーダーともに故障しているため、外の様子は分からない。

 だがには、この覚えのある感覚だけは分かった。
 モビルスーツや重機で大きなものを運んでいる、あの揺れだ。
「フレイ……私達、助かったかもしれないよ……」

 少し声が上ずる。
 ロウ達だ、とは内心歓喜の声を上げていた。

 だが運命は、彼女を別の道へと進ませる──……